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護国寺について
護国寺の由来
伝説では、弘仁四年(813)、伝教大師(天台宗を開いた最澄)が、上野国に安東法塔院を建立し、 その帰途、東山道を経てこの地に立ち寄り、当地に留錫道場を設け、 自作の華厳の釈迦像を安置して教化を行ったのが、当寺の始まりといわれている。
この春近の里に幾つもの古墳がみられるが、それが6〜7世紀のものと推定されていることから、 9世紀頃にはこの地域に、お寺の存在があったことはおかしくない。
現在のお寺の位置は中殿島であるが、この地に古寺(ふるでら)という地名があり、以前はそこに護国寺があった可能性が強い。
建立された当時は、やはり天台宗であったが、 その後、鎌倉建長寺の陽谷南用和尚が、弘安元年(1278)に、廃跡を興して、臨済宗の道場とした。
現在の本堂は、平成元年に建てられたものである。
つねに天上の世界から、大いなる存在が降りてこられ、ご加護をいただけるように、清浄な雰囲気を大切にしている。
野の花観音
護国寺の境内から裏山にかけて、野の花に見立てられた観音像が立てられている。
昭和62年に1番の「母子ぐさ観音」が立ち、平成20年に33番目の「父子ぐさ観音」が立った。33体建てるのに21年もかかった。
「野の花の中に、やわらかい、優しい花がたくさんあります。そのほほえみが観音に似ています。 忙しくしていると大切なものを逃してしまう。立ち止まって花を見ながら、自分はどういう生き方しているのかを感じていただく。 その機縁にしていただければと思いますね」
(杉田 寛仁住職 伊那毎日新聞2003/10/11より)
住職紹介
杉田 寛仁(すぎた かんじん)
長野県伊那市在住。護国寺住職、詩人。
1954年、長野県生まれ。
新潟大学法学部哲学科にてギリシャ哲学を学ぶ。
さらに、静岡臨済寺僧堂で3年間の禅修行により、禅と釈迦の精神にふれる。
その後、臨済宗妙心寺教化センター研修員として2年間、教化学を根本に置き、
ギリシャ的自由な精神を踏まえて、本来の幸福や人としてどう生きるかべきかを現代的に探求し続けている。
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