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法華経の詩

法華経の詩(18)

方便品 第二(6)

仏は 世の中が悪い心に染まり
多くの人びとがほんとうの真理を知らず
どうしたら正しい道を歩むことができるか
それが分からなくなったとき
大いなる慈悲のもとに
仏はこの世に現れて教えを説くのだ
今の世は五つの濁(にご)り
五濁(ごじょく)に満ちている

仏は三千年に一度 この世に現れて教えを説く
なぜならば 仏が去って時代が長くなれば
何が正しく何が間違いであるかが
分からなくなるからだ
これを五濁の一つ 劫濁(こうじょく)という
教えが分からなくなると
内に潜む煩悩を 統御する方法を失い
煩悩に振りまわされ 苦しみに流される
これを煩悩の濁りといって煩悩濁(じょく)という
また人びとが さまざまな立場を理解できず
相手の心を察することができずに 仲たがいして
社会の不安をあおる
これを衆生濁(しゅじょうじゅく)という

さらに 教えがないために
人びとが正しい生き方を 見定めることができず
お互いが偏見や邪悪な見方しかできないため
お互いを傷つけあう
これを見濁(けんじょく)という

そして五番目に 命濁(みょうじょく)だ
あまりにこの世に止まり過ぎていると
真なる仏の姿を 忘れてしまうために迷い
百五十才も生きられない 命の短さをいう

そんな人びとに さまざまな方便を使って
仏に成る方法を 三種の乗り物にたとえて説いたのだ
しかし本来は誰でもが 仏性を内に宿している
ゆえに 私の教えはただ一つ
すべての人が 仏の心に目覚め
仏の知見(ちけん)を えさせることなのだ