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法華経の詩

法華経の詩(48)

薬草喩品 第五(7)

世尊なる仏は
長老である魔訶迦葉(まかかしょう)に
喩(たと)えの意義を明らかにし 語った

生まれつき盲目というのは
六種の運命をたどって
生死(しょうじ)の迷いを
繰り返している 人間をさすのだ
六種とは地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天をいう

かれらは 正しい教えを知らず
煩悩のために盲目となり
暗黒の世界を増している

さらには 無知のために盲目となり
無知の行いが 心の傾向性となり
それが縁となって
大きな苦悩が蓄積し
苦しみを多い人生を送り
生死(しょうじ)を繰り返しているのだ

仏はそんな 火宅の三界を出で
父が愛する子を憐(あわれ)み 慈しむ心を起こし
火宅の世に降りてきて 理智の眼で
それぞれの気根を知り
巧妙な手段を用いて 三種の乗り物を示すのだ

声聞(しょうもん)独覚(どくがく)と
二つの乗り物を求めるものは
盲人が視界を得るのと同じであるのだ
そして
わたしは 煩悩の呪縛(しゅばく)から解放された
六種の世界から解放された
すでに学ぶべき教えはない
今わたしは 悟りの境地に達したのだと言う

そこで 仏は語る
すべての教えを聞いていないものが
「さとり」の境地に達することがありえようか
この世は 陽炎(かげろう)のようであり
夢幻(ゆめまぼろし)のようなものだ
それを肉眼で見るのでなく 心の眼で見るのだ