ホーム > 法愛 4月号 > みにミニ法話

みにミニ法話

(293)「心を正す」

たとえば、何も使ってない部屋でもしばらくすると汚れてきます。
ですから、それ以上に普段使っている部屋は掃除をしなければ、
汚れがひどくなっていきます。

心も同じで、心を普段から気づかい、汚れないように掃除をしていなければ、
心にもほこりがたまって汚れてくるのです。

心の掃除にはさまざまな方法がありますが、
その一つに「悪を止め善を行う」という方法があるのです。
悪は心の汚れを表しています。
その悪を無くし善を行っていくことで、心の掃除ができるのです。

別の言い方をすると、これが心を正すことになります。
心を正すというのは、心の掃除をすることだともいえます。

先日、3月26日にお寺でお経会を致しました。
その折に、平成15年2月5日の読売売り新聞に出ていたある出来事をお話ししたのです。
今から14年ほどの前のもので、当時のお経会でお話したものであったようです。
お話しした当人が忘れていたので、参加されたかたも覚えていなかったでしょう。
その新聞記事に、「JR快速、温情、臨時停車」と見出しがありました。

千葉と東京を結ぶ線で、ひとりの女子中学生(15才)が
高校受験のために午前7時45分、反対車線の電車に、間違って乗ってしまったのです。

それを知った彼女は、不安のために泣き出しそうになりました。
近くでその様子を見ていた乗客のみなさんが、理由を聞いて、
親と話をさせようと携帯電を貸したり、車掌と相談するために、
満員の乗客の間を縫うようにして中学生を最後部車両まで、連れていってあげたりしました。

申し出を受けた車掌が本部と連絡を取り
「若者の将来がかかっているから」と臨時停車を決め、
その否を車内放送で乗客のみなさんに報告してから、臨時停車をし、
中学生を車掌室からホームにおろし、同駅の駅員に乗り継ぐ方法を教えてもらったのです。

そして、目的の駅に着き、受験に間に合ったという、そんな記事でした。
後にその中学生の親から、受験に間に合ったという感謝の電話があったといいます。

みんながこの中学生のために、正しい判断をされ、助けてあげました。
こんな善を積むことで、心の掃除がされ、心正して生きていくことができます。

心は汚れるものです。
それは悪という泥が混じるからです。
常に善というほうきで心を掃除し、正していくことが大切です。