ホーム > 法愛 3月号 > みにミニ法話

みにミニ法話

(95)「なおざりになるな」

お釈迦様の教えのなかに、

「読誦(どくじゅ)しなければ聖典が汚れ、修理しなければ家屋(いえ)が汚れ、身なりを怠るならば容色が汚れ、なおざりになるならば、つとめ慎む人が汚れる」 というものがあります。これは『法句経』の中に書かれているもので、中村元先生の訳です。

はじめの「読誦しなければ聖典が汚(けが)れる」というところの聖典は、今でいえばお経の本、あるいは仏典です。 お経の本でも読まなければ、ほこりがたまるばかりで何もならないわけです。仏典に綴(つづ)られている教えを聞き、実践しなければ、その仏典も何もなりません。

「修理しなければ家屋が汚れる」というのは、雨もりがする家で、いつまでも修理しなければ、その家も使えなくなってしまいます。 家は上手に使って長持ちしますから、こまめな修理が必要なわけです。「身なりを怠るならば容色が汚れる」も、顔も洗わず風呂も入らず、服も洗濯せずに着たきりすずめ状態になっていれば、身体も臭くなって汚れてきましょう。 しまいには、人も寄り付かなくなります。

最後の「なおざりになるならば、つとめ慎む人が汚れる」は、ここでお釈迦様が一番伝えたいことです。 この「なおざり」は、教えをいい加減に受け止めて、実行もせずにおろそかにしていることです。 本来仏と同じ尊い性質をもった私たちでも、心も磨かずなおざりに生きていると、 しだいに人格が下がっていき、心もちりやほこりにまみれて、慎み深さがなくなっていきます。 その結果、平気で悪をなすような人になっていくのです。

つとめ慎む姿が、私たちの本来の姿であると看破し、その姿をさらに輝かせ大きなものにしていくためにも、 なおざりになることなく、正しい教えに基づいて、自らを高めていくことが大切です。

「怠ることなく努力せよ」という教えは、お釈迦様が最後に残した言葉でもあります。