みにミニ法話
(102)「思いやり」
長い人生のなかで、自分を正しながら生きていくことはとても難しいことです。難しいことでもありますが、また楽しいことでもあると思います。
自分を正し生きていくために、心の教えを聞き、その教えにそって生きていくことが大切になります。そのために生きる指針としての教えを学ばなくてはなりません。
この世には多くの聖賢が残した、学びきれないほどの教えがあります。どの教えを指針として生きていったらよいのかと迷っているうちに、一生を終えてしまうかもしれません。
そこでこんな生きる指針を示した逸話があります。それは『論語』のなかに書かれているものです。
子貢(しこう)という人が孔子に尋ねました。
「一言で、一生を行っていける指針の教えがありましょうか」と。
つまり、一つの教えを守って生きていけば、君子、すなわち立派な人として生きていけるような、そんな教えがあるでしょうかと問い尋ねたわけです。
孔子は、「それは恕(じょ)である」と答えたのです。
恕というのは簡単にいえば「思いやり」です。
この思いやりを生きる指針として一生涯し続けていけば、人としての道を十二分に生きられるというわけです。
思いやりという教えは、私たちには普段使いなれていて、子どもでも口にできるような教えです。それを数千年前に現れ、いまだに尊敬されている孔子が言ったのですから、それだけの深い真理がここには隠されているのでしょう。
多くの教えのなかで、この一言の教えを実践していくことだけで、一生悔いのない生き方ができるというのですから、すさまじい教えです。
でも私たちはそんな深い意味のある言葉として受け止める人は少ないかもしれません。
孔子がいうのだから、確かです。
この思いやりを、ありふれた言葉と思わず、深い意味をその底に秘めた教えとして、まず行ってみましょう。やがて実践の日々のなかで、孔子の真意を発見することでしょう。