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みにミニ法話

(125)「目的と使命を知る」

「私たちの仕事は、まわりの人に惜しみなく愛を浴びせることなのです」

と言ったのはマザー・テレサです。

私たちがこの世に生れて来たのは、
何の目的もなく偶然に生まれてきたのではありません。

人間として生まれて来たのは、必ずそこに深い理由があります。
その目的あるいは使命を、この世に生きているうちにつかまなくてはなりません。

その目的や使命の方向性を指し示しているのが、マザーのこの言葉です。

私たちの仕事がこれと逆に相手から何かを奪うものであったら、
人としての目的や使命を逸脱しているといえます。

人に愛を浴びせるためには、自分の心が相手の心に向いていなくてはなりません。
そして人を愛するというのは、相手の心の内に輝いている神仏の心を愛するということでもあります。

それは自分の心の内にある神仏の心を見出すことにも通じていきます。

あるときマザー・テレサが托鉢で得たお米を
スラムに住むやせ衰えた主婦に分け与えたことがありました。

すると彼女はそのわずかなお米を半分に分けて、
別の裏にある家に持っていたのです。

驚いたマザーは
「あなたの家族は十人のいるのに、そんなに少なくて大丈夫なの」
と尋ねると、その主婦はにっこり笑って
「でも、あの家の人たちは、もう何日も何も食べていないんです」
と答えたそうです。

マザーはそのとき、
ほう骨の出た、目のくぼんだ女性に「キリスト」を見たと語っています。

相手に愛を分け与えている人はキリストだというのは、仏教的に言えば仏様です。
相手に愛を浴びせてあげられる人は、そこに神仏の姿が現れでていることでもあります。

愛を与えてあげられる、そんな方向性の中に、
この世に私たちが生まれてきた目的と使命があります。
それは神仏の心を生きることでもあると言えましょう。

常日頃からよく考え、自らの生まれてきた目的と使命を発見することが大切です。