みにミニ法話
(126)「まごころの姿」
まごころという言葉はよく知られた言葉ですが、
そのまごころの中には、神仏の姿が重なっているというのは知らないかもしれません。
神仏は目に見えない存在ですが、まごころを通して見ることができるのです。
相手のまごころを感じ、自分のまごころが感応して、
相手のまごころを大切に受け止めます。
少し難しい表現になりますが、それは相手の心の内にある神仏の思いを、自分の心の内にある神仏の思いが感じ取り、互いが神仏の思いで重なり合っているのです。
作家の川端康成さんが、ある出版社で領収証にサインをされようとしたとき、
万年筆を忘れてきたことに気がつきました。
「どなたかペンを貸しくくれませんか」
と、川端さんは近くの人にお願いしたそうです。
するとそばにいた二人の女性がペンを差し出しました。
一人は雑誌の編集者で、もう一人は事務員だったそうです。
二人はあわててペンを差し出して先を争う形になったのですが、
編集者の女性がわずかに速く「どうぞ、先生」とペンを差し出しました。
それは高価な万年筆であったようです。
ところが川端さんは
後から差し出した事務員のボールペンのほうを受け取ったのです。
ボールペンのほうが書きやすくて受け取ったのではありません。
事務員がそのボールペンを差し出す時に、小さく折りたたんだハンカチで、
そのボールペンの全体をそっと拭いて渡そうとしたからです。
川端さんは、その事務員のまごころを受け取ったのです。
相手を思うその行為はとても小さなことでしたが、
川端さんの心に充分響いていったのでしょう。
これはまごころからでた行為ですが、
そこに相手を思いやる神仏の姿が重なっているのです。
ですから、相手にうったえる力があるのだと思います。
ハンカチでそっと拭いて差し出すその心は、
神仏の姿がそこに重なっているから尊いのだと思います。
どうぞ、まごころという思いの中に、神仏の姿を感じ取ってみてください。
まごころの姿と神仏の姿。神仏の世界は神秘的です。