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みにミニ法話

(131)「心の食事」

人は食べていくために働かなくてはなりません。

働かなくてもお金に余裕のある人は、毎日ゆっくり休め、
おいしいものを食べたり寝転がったりして日を過ごせるのですが、
でも、ずっとは続かないものです。

働くことが、人の生甲斐を作るからです。

特に食べ物についてはおなかがすくので、
普通、私たちは日に三度、食事をとります。
その三度の食事を取るために働くわけです。

また私たちの身体は、
ただ単に自分の好きなもののみを食べていればいいというのではありません。

栄養が偏らないように、野菜を食べたり、
力をつけるために肉をいただいたりで、食べ物にもよく注意を払って食べます。

これと同じように、心にも食事がいることを知っているでしょうか。
心の食事を取るために、働かなくてはならないし、心を健康に保つためにも、
よく注意を払って心の栄養を取らなくてはならないのです。

しかし、心のほうはおなかがすくといったように、はっきり自覚できないので、
ないがしろになりやすく、気がついてみると一生を終えて、
私は何のために生きてきたのかと後悔をするはめになるのです。

心の食事とは「教えを心にいただく」というふうになります。

この教えも偏ったいただき方をするのではなく、身体が栄養を考えて食事するように、
悲しみの時の食事、苦しみのときの食事、失敗したときの食事、
あるいは成功をおさめたときに必要な食事とさまざまです。

ですから、そのさまざまな心の食事である教えを常に学んでいくというのが大事で、
教えを学ぶというこの行為が、働くということにもなりましょう。

日々、心にも食事が必要なのだということを心におき、常に学ぶ姿勢を大事にして、
健康な身体と健康な心を維持しながら、他の人の幸せのために生きることが大切です。

きっと素晴らしい人生になります。