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みにミニ法話

(136)「安らぎの価値」

論語のなかに、

君子は平安でのびのびしているが、
小人(しょうじん)はいつでもくよくよしている

という教えがでてきます。

君子は正しく生きている人で、
小人は生き方がよくわからず幸せを逃してしまっている人と、
ここでは解釈してみたいと思います。

常日頃から、心を平安にのびのびとさせていることは難しいものです。

一つの言葉でイライラしたり、
あらぬ噂で心を波立たせ、くよくよしてしまったり、
また自分の将来の生活を考えても不安になるものです。

心が平安である、穏やかであるというのは、
そこに大きな価値を見出しにくいものですが、
本当の幸せとは、この心の平安にあるのです。

少し古い資料になりますが以前、
「国民生活に関する世論調査」が行われました。
(平成15年6月、全国の成人1万人対象、7,030人回答)

そのなかで生活に不安と答えた人が67%で、
3人に2人が、日常の生活に不安を感じている結果がでました。

その内容は「老後の生活設計」であったり「自分の健康」であったり、
「今後の収入や資産の見通し」であったようです。

心配を探していけばきりがないようです。

これらの結果を自分に当てはめて見れば、みな不安を抱きます。
老後はどうすればよいのか、自分の健康は大丈夫か、
今後の収入でやっていけるのか、など考えれば考えるほど、
不安になり心が落ち着かなくなるものです。

これらのことは生活不安として誰にでもあるものですが、
そうだからといっていつも不安に思って暮らしていると幸せにはなれません。

それは小人の生き方でしょう。

杞憂(きゆう)の言葉のように、
いつ天が落ちてくるかを心配して生きるよりも、
今このときを大切に花咲かせていくことが大切です。

心の平安は今日この日をいい一日として生きられる人です。

それは自分からも、相手からも、
社会からも善き点を見つけて、それに幸せを感じられる人です。

その生き方の中に心の平安が培われ、
いつも心穏やかでいられるようになるのです。

怒りの思いが起こったら三つ数えて青い空を見ろといいます。
それも青い空にある大らかさを見ろということでしょう。

平安で穏やかな思いは、
すべてに善き点を見つけ出していく生き方のなかにあるのです。

常に心穏やかで、安らかであることの価値を、今一度省みましょう。