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みにミニ法話

(141)「幸せへの道」

よく言われることですが、お金はあったほうが幸せでしょう。

しかし一億円あっても幸せになれない人もいますし、
名も知れない一輪の花をプレゼントされただけで、幸せになれる人もいます。

こう考えていくと幸せは、どこに求めたらよいのでしょう。
幸せは空のかなたにあるのでしょうか。

まず幸せで言えることは、
「自分は不幸だ」と思っていると決して幸せにはなれないことです。

不幸を思っている人の特徴は、「物足りなさ」ばかりが思われ、
その穴を埋めるために人に求めてばかりいます。

その穴は底がなく、求めても求めても飽き足りません。
それは、自分は不幸だと思う気持ちが心を支配しているからです。

小さな頃、あまり幸せでなかったがために、不幸感覚の強い人もおられるでしょうが、
今まで多くを与えられてきたという自分をより強くイメージして、感謝の心を少しずつ育て、 底なし沼のような不幸の穴から抜け出すことが大切です。

「自分は不幸だ」と思うより、
「自分は幸せになる」と積極的な思いになることが大切です。

しかし、自分が幸せになるために「何でもしていい」となると、
幸せは見えてきません。

人と自分は見えない糸で結ばれていて、
幸不幸を共有できるように神様が私たちをお創りになっています。

ですから他の人の幸せを犠牲にして得た幸せや、
他の人の幸せを踏み台にして、自分の幸せを求める人は、
一時は幸せを手に入れたように思えても、
結局は本当の幸せを手に入れることはできないのです。

他の人の幸せが自分の幸せに通じていけるような生き方、
それが本当の幸せをつくってくれるのです。

そのために、
今まで自分がしていただいた多くの恩を、お返ししていくという精神のもとに、
まずは家族の人に、また縁あって出会った人たちに、
こちらからさせていただく生き方をするのです。

そんな日暮の中に、幸せの道が開け、
「安らぎは人の幸せを願う、心の内にある」という言葉の意味を知るのです。