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みにミニ法話

(147)「あの世の真実」

あの世は、あるかないかです。
30%ある、いや20%はある、といったものではありません。

もしあの世がないとしたら、どうでしょう。
私たちの命はこの世限りになります。

この世限りの命であったなら、どう生きればよいでしょう。
大概の人は、楽しく、苦労せずに生きたいと思うでしょう。

もしこの世が嫌になったら、自分で逝ってしまえばいいことです。
毎年の自殺者が3万人をこえています。最悪の状態になっています。

この世限りの人生であれば、それもひとつの選択になってしまいます。

盗みをしても、極端な話ですが、人を殺しても、
この世の法律から逃げのび、誰にも見付からなければ、
何の罪もないまま、死んでいくことになります。

善を積んでも、不幸に病におかされて死んでいく人もいますし、
悪を積み重ねても、笑いながら一生を終える人もいるかもしれません。

そうしたらどうでしょう。
人生というものに、なんともいえない肌寒さを私は感じるのです。

お釈迦さまは因果の法といって、
原因があれば必ず結果があるという、ひとつの悟りを私たちに示しています。

この原因結果の法則も、
私たちがこの世限りの命であれば、間違いになります。
そんな悟りをお釈迦さまが私たちに、説かれるはずはありません。

あの世があり、原因としての、この世の生き方が、
あの世で、結果として問われる、といういのが真実です。

テストをすれば必ず点数が付きます。そのテストも頑張って勉強した人は、
それだけの結果がで、得点の高いものになるでしょうし、
遊びほうけていて、テストを受ければ、低い評価しかもらえないでしょう。

あの世の真実も、同じことです。
この世で正しく善を積めば、あの世で点数の高い人生得点をもらえるのです。

高得点の答案を返してもらったときには、その喜びは大きなものがあります。
あの世に帰って、よく生きたね、というねぎらいと賞賛の得点をもらえば、
やはり嬉しいのです。

逆に悪を積み重ねて生きた人は、この世でいくら楽をしても、
あの世でその生き方の結果がで、その罪を消し去るまで、苦しい日々が続くのです。

これがあの世の真実です。

抜かりなく、今日この日を、精いっぱい生きぬいていくことです