ホーム > 法愛 4月号 > みにミニ法話

みにミニ法話

(154)「人生の目的」

人に与えられた一生をどう生きていくかは、その人の自由ですから、
単純に考えれば、Aさんが目的があるといえば、
Aさんには「人生の目的」はあるでしょうし、
Bさんが人生の目的などないといえば、ないことになるでしょう。

しかし人生はこんな好き勝手なものではないといえます。

目的地も定めないでぶらりと旅をするのもいいでしょうし、
しっかりした目的地を決めて旅をするのも効果的ですが、
やはり目的をしっかり定めて事を成したほうが、
より充実した時間をもつことができるのは確かなことです。

私たちの1日に与えられた時間は誰しも24時間です。
その24時間をどう使うかは、その人の考え方にまかされています。

その時間を充実した時間にするためには、
目的をもって使うことが大切になります。

今日は仕事の合間に「一冊の本を読む」という目的を持つ。
あるいは「感謝の言葉を言う」という目的を持つ。
今日、必ずどんな小さなことでもいいから「陰徳を積む」という目的を持つ。

そう思って一日を過ごせば、何の目的もなしに一日を過ごすよりも、
充実した一日になることは確かなことなのです。

身のまわりのものを見てみても分かります。
それらのものは、みなそこに有用性があって存在しています。
そのものの目的があって、ここにあることが分ります。

外出するときの靴、着て行く服、メガネ、雨の日の傘、
車、ハンカチ、お財布、お金、キャッシュカード。
みなそれぞれの目的があり、使っています。

もし必要もなく目的もないならば、
それらのものは自分には無関係になりますし、
なくてもいいものになるわけです。

この私はどうでしょう。

何のも目的もなく必要性もなければ、
生きていく価値がなくなってしまいます。

やはり「何かの必要性があり、この私がこの場に生きている。
家庭のなかで、社会のなかで生きている。それは何らかの必要性と目的があるのだ」
そう思うことで初めて生きている力が湧いてくるのです。

人生の目的は各人さまざまでしょうが、自らの目的を発見し、
見定めて生きていくことの重要性を知っておきましょう。