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みにミニ法話

(176)「自制心を育てる」

自制心とは自分の感情や欲望を抑える心のことをいいます。
自分を律する心とも言ってもいいでしょう。

たとえば、人はお付き合いの中で、嫌なことを言われたり、けなされたり、
逆にほめられて、うきうきするときもあります。

嫌なことを言われたときは、憤慨(ふんがい)して、
なかにはきつい言葉で返してしまうときもあるかもしれません。

でも、その場の状況で、笑って受け流すような訓練もいります。
けなされても、冗談で返したりするような、そんな心の力もいります。
これも自制心の一つです。

鉄は、自分の内から出てきた錆(さび)で、鉄そのものをだめにしてしまいます。
同じようなことが人間にもいえるのです。

自分から出てきた、煩悩という錆で、自分自身をだめにしてしまうということです。
その錆なる煩悩を出さないように心を律していく力が必要なわけです。

人から嫌なことを言われて、心がイライラし、その勢いで、怒鳴ってしまった、
ということがあれば、怒りという煩悩を抑えることができなかったわけです。
その怒りで、相手も自分の心をも傷つけてしまったわけです。

自分の思うようにならないことがあって、つい愚痴としてでてしまった。
一度ぐらいの愚痴なら、聞いてくれる場合が多いのですが、
何度も愚痴や不平不満を言葉で言っていると、やがて仲たがいが起き、
取り返しのつかないことになってしまうことがあります。

これも愚痴を抑える心の力が足りないからです。

逆に、積極的に「ありがとう」や「すみません」ということを言わなくてはならないとき、
「そのような言葉は、気恥ずかしくていえない」と思う気持ちがあったなら、
その気恥ずかしさを抑えて、言葉に出し、
しっかり自分の思いを伝えるという心の力もいります。

心は筋肉と同じで、鍛えれば、それなりに強くなっていきます。

自分の心を育てるつもりで、
怒っていけない、欲をかいてはいけない、「ありがとう」と言おうと、
何度も心に語りかけていくいことで、
やがて心を律する自制心が養しなわれていきます。