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みにミニ法話

(177)「死後の世界」

死後の世界とは生の世界、すなわち生きる世界とまったく反対側にある世界です。
紙にも表と裏があるように、生きる世界があって死後の世界があります。

人はよく、
「死んだことがないから、死後の世界、あの世は分からない。
だから、信じないし、死んだらそれで終わりだ」
と言います。

それは紙の表側を見ているだけであって、裏側を見ないだけであるわけです。

ごく簡単に真理を言えば
「あの世はあり、この世の生き方で、あの世のいく世界が決る」
といえます。

真理は簡単なところにあって、難しいものではありません。
「この世の生き方であの世のいく世界が決る」というところは、
少し説明がいりましょう。

この世を楽しく暮らしていくのは結構なことですが、
その楽しいことの内容が肝心なわけです。

自分のみの幸せのみを追い求め、他の人の苦しみや悲しみに気がつかない生き方は、
あまり勧められない生き方です。

そんな人が死んであの世に行った場合、自我の強い世界へ行くことになります。
「自分よかれ」という人が集まる世界ですから、幸せな世界とはいえません。

あの世の法則のひとつに、同じ考えや思いを持った人が一同に会するというのがあります。
怒り多い人が死ねば、そんな人が集まる村にいきますから、
互いに怒り、傷つけあう日々が続きましょう。

ですからこの世で、常に穏やかな心を持ち、
自分の幸せは勿論ですが、他の人の苦しみや悲しみに耳を傾け、
困っていたら助けてあげ、幸せになれるように努力する。

そんな生き方が尊いわけで、そんな考えのもとに日々を送り、
さらにできれば、微笑みと感謝の日々を送っていれば、やがて死を迎えたときに、
そんな生き方と同じよう世界に行くことができるわけです。

たとえば感謝の念が深い世界は、
光がきらきらと輝き、きれいな花が咲いて、笑顔いっぱいの人たちが暮らす世界です。
そんな死後の世界に帰るために、この世の生き方をもう一度考え直し、
正しく心清らかな毎日を送ることが大切です。

「あの世に行けば分かる」では遅すぎるのです。