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みにミニ法話

(188)「自己を発見する」

この世を生きていくうえで、なぜ自分を発見しなくてはならないのでしょう。

自分を発見するというのは、
自分というものがどのようなものなのかを、よく知っているということになります。

しかし、自分がどのようなものかを知らなくても、
なんとかこの世を生きていけそうです。

ほんとうにそれでよいのですか、自らに問うてみるのです。

たとえば、ここに消しゴムがあったとします。
この消しゴムが、自分を知らないとします。

知らないというのは、
自分が紙の上に鉛筆で書かれた字や絵を消すことができるというのを
知らないということです。

間違えて書いてしまった字や、余分に描いてしまった線を消して、
紙をもとの白い面にし、新たに字や絵を描けるようにする「力」が、
自分にはあるというのを知らないとなるのです。

そんな消しゴムであったら、どうでしょう。
そこにいる価値がなくなってしまいます。
自分の仕事ができなくなります。

ということは、もし自分を知らなければ、
まわりに役立つ仕事ができないということになります。

考えてみれば、消しゴムだけのことでなく、
自分のまわりにある一切の物が、何かに役立つためにあります。
紙も鉛筆も、机もノートも、家にあるものすべてが役立つためにあります。

ですから自己発見の一つは、「私は役立つためにある」といえましょう。

「私は何らかのお役に立つために生きている」と知ることです。
これは生きるうえで、とても大切な発見です。

消しゴムが役立つためにあると知り、
さらに具体的には「字を消すため」にあるということでした。

これは自分自身が役立つために生きていて、さらには具体的に
「何のお役に立つために、生きているのか」という発見につながっていきます。

人の生き方は多方面に広がっていますから、
それぞれの役割や立場で、具体的なことも違ってきましょう。

できれば、「私は役立つために生きていて、その具体的な仕事は、何々である」というところまで発見していただければ、自分をもっと大切に生きられるように思われます。

さらに自己発見を深めてくことが大切です。