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みにミニ法話

(190)「自分が変わる」

自分が変わるというのは、自分の意見や見解が曖昧で、
人の言葉にころころ自分が変わるという意味ではありません。

もしそうであれば、他の人から
「あの人は信用できない」というレッテルを貼られるのがおちでしょう。

ここでの自分が変わるというのは、
自分が変わることで、他の人が幸せになり、
自分も幸せになっていけるということです。

人はとかく、相手を変えようとします。
自分が幸せでないのは、相手が悪いと考えやすいのです。

「相手が私を理解しようとする努力が足りないから、私は不満だ」とか、
「私はこんなにしてあげているのに、あなたがあまりにも無関心だから、
幸せになれない」など、いろいろです。

しかし相手を変えるというのは、極めて難しいことです。

会社でも自分の思うようにならないことばかりです。
上司の意見に従わなくてはなりませんし、自分の時間を拘束され、
給料も思うようにはいただけないものです。

会社はともかくとしても、家の人は変えられるだろうと思っても、
妻や夫をいつまでも自分の思うように動かすことはできません。
子供でさえ、小学校を過ぎれば、言うことを聞かなくなります。
お年寄りも年を取ればとるほどに、頑固になっていく人が多く、
若い人は若い人で考えがありますから、しだいに両者の間に摩擦がおき、
結局一緒には住めなくなってきます。

そんなときには、まず自分が変わっていくという決意をすることです。

嫌なことを言われれば、相手を責めるばかりでなく、
その言葉を受け流していけるように自分が変わっていくのです。

相手が分かってくれなければ、さらに善を推し進めていく努力をしていくのです。

あるいは病気になれば、神様やまわりの人を責めるのでなく、
何か気づかせてくれる尊い出来事なのだと思い、自分が変わっていく。
そんな生き方の中に、人は大切なものを発見できるのだと思うのです。

何事も他の人の責任にしていては、
何の発展もないということを心すべきだと思います。