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みにミニ法話

(194)「時間は金貨」

よく時間が金貨にたとえられることがあります。

時間は金貨のように大事であるから、大切に使いなさいということですが、
この時間は金貨のように働いて稼ぐ必要もありませんし、
すべての人に無条件で与えられているものなので、軽視しがちです。

毎日使っている金貨、お金は、自分が働いた代償で受け取るので、
たいがいの人は大事に使います。
なかには貯金をし、計画性を持って使っている人もいます。

お金の使い方の下手な人は、みな遊びに使ってしまったり、
賭け事に使ってしまうこともありましょう。

なかには大金を目の前に見せられると、理性を失って、欲に負け、
奪い合う世界で不幸をみることもあります。

  初めから与えられている時間は、苦労しないでも、手元にあるので、
それほど貴重なものであるとは思いません。
ですから無駄に使ってしまうことが多いのです。

「時間は金貨以上に大切なものである」と自分に言い聞かせ、
常日頃から時間を大事に使っていくことが必要です。

亡くなるときに、「果して私は何のために生きてきたのか」と悔いを残し、
「もう一度、やり直したい」と思わないようにしなくてはなりません。
そのためには、生きる目的をしっかり持っていることです。

目的がなくてお金を使うことがないように、
生きる目的がなければ時間も上手に使うことができないわけです。

受験であれば、希望する学校に受かるため、勉強という形で時間を使います。
短歌を習いたければ、そのために時間を使います。
お腹がすけば、食事という時間を使います。

同じように、人生に生きる目的を持ち、そのために時間を使っていくわけです。
そこから得た知恵や体験が時間という金貨から与えられた報酬といえます。

この生きる知恵や体験は何ものにもかえがたい宝として、ずっと心に残り、
来世にも影響を与えていきます。

そのように時間を使ってこそ、時間は金貨になるのだといえます。
この一年、人生の目的を持ち、そのために貴重な時間を使っていきましょう。
時間は金貨なのです。