しきたり雑考(101)
しあわせはにつかず
今月は「しあわせは袖褄につかず」についてお話しします。
{『ことわざ・名言辞典』(創元社)を参考}
袖褄とは衣服の総称とあります。
そんな衣服に幸せがくっつくはずはありません。
そんなところから、このことわざの意味は、
「幸せはうまれつきそなわっているものではない」となります。
うまれによって幸せがそなわっていないと言っても、
豊かな家に生まれて幸せに暮らしている人もいれば、
貧乏の家に生まれて苦労して、なかなか幸せになれない人もいます。
しかし、お金持ちの家に生まれても不幸な人もいるし、
貧乏な家に生まれても幸せになる人もいます。
あるいは、生まれて障がいのある身体に生まれてくる人もあれば、
元気で生まれても病気をしたり、事故にあって、
身体が不自由になる人もいます。
そんな境遇にあっても、幸せをつくりあげる人もいれば、
健康なのに、幸せになれない人もいます。
口で絵を描き、そこに詩を添えた作品をたくさん残した星野富弘さんが、
昨年6月に78歳の生涯を閉じられました。
24歳のときに、手足の自由を失い、
その試練で、どれだけ悩み心を乱したか。
そして介護したお母さんがどれだけ苦労をなされたかは、
星野さんの本を読めばわかります(『愛、深き淵より』立風書房)。
亡くなられて、9月に特に心の残る作品を集めて、
『ひと枝の花に似て』(偕成社)という本がでました。
その中に、星野さんの奥様、昌子さんが好きだという、
「がくあじさい」の絵に、こんな詩が載せてありました。
結婚ゆび輪は いらないといった 朝 顔を洗うとき 私の顔をきずつけないように 体を持ち上げるとき 私が痛くないように 結婚ゆび輪は いらないといった 今 レースのカーテンをつきぬけてくる 朝陽の中で 私のもとに来たあなたが 洗面器から冷たい水をすくっている その十本の指先から 金よりも 銀よりも 美しい雫が落ちている
幸せはどんな境遇であっても、自分でつくり上げるもの。
そして共に、愛の思いでつくり上げていくものだと、
この詩から教えていただけます。
