しきたり雑考(31)
祭り
今月は「祭り」についてお話し致します。
祭りには春のお祭り、夏のお祭り、そして秋のお祭りがあります。
これらの祭りは神と深いかかわりがあります。
春は豊作を神にお願いし、夏は神に疫病退散を願い、
秋は神に今年の豊作を感謝するために行います。
11月には新嘗祭(にいなめさい)と言って、五穀の収穫を祝い、
それを神にお供えして一年の恵みに感謝し、その供えたものを頂いて、
健康を願うお祭りです。
祭りの最も大切なことは、神を迎えるということです。
その神を迎え、供え物を献じ、神にささげる神楽という歌と舞をささげます。
(平成28年10月号『法愛』の「御神楽」参照)
神は仏教の仏像などのように、その姿を直接表すことをしません。
なんらかの媒体として、何かに寄り添うものに降臨されます。
それを依代(よりしろ)と表現していますが、
そこに神が降りられ、そのもの自体が神のご神体としての役割を果たすわけです。
それは境内にある老木あったりし、それを神木と表現したり、
特に榊(さかき)などの常緑樹が、その依代として重んじられています。
長野県の諏訪地方で七年に一度行われている御柱(おんばしら)も、
その木がご神木で神を迎える依代であり、神のご神体そのものといえます。
神に供える最も大切なものは酒と餅です。
酒は古来は濁り酒でした。ですから、
お祭りの前夜に濁っている甘酒を作ったところもあって、
それをお祭りの日に供え、その供えた甘酒をおろしていただくところもありました。
餅は供えるのに、その形を随意に変化させることができるので尊ばれ、
特に、鏡餅(かがみもち)のような、大きな丸いお餅は
オスガタと呼ばれることもあって、
神のご神体と考えたところもあったようです。
また、その神聖な餅を小さく分けて配るところもあり、
あまねく神の恩恵をうけるという意味が、そこにあったのです。
酒や餅ばかりでなく、その地方の特産としての海や山の幸を供えます。
海の物には魚もあって、精進ものを供える仏教との違いが分かります。
また初物を供えては、神慮(しんりょ)として、神のみ心をなぐさめ、
神への信仰を大切にしたのです。
祭りは神に私たちの謙虚で感謝の思いをささげるために行われるものであることを、
心して感じ取っていくことが大切です。