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法華経の詩

法華経の詩(25)

譬喩品 第三(1)

舎利弗(しゃりほつ)は
全ての人が仏性を供えているがゆえに
やがてみな仏になれるという
この話(方便品)を聴いて
心躍(こころおど)らせ 喜び満ちて
手を合わせ礼拝し 仏に語った

世尊(せそん)なる仏よ

菩薩たちは 仏になれるという
確かな記(しるし)をいただき
実際に 仏となったときの名を聴きました
しかし この私たちは
仏となる性質を持ち合わせいるのに
なぜ 大いなる仏の智慧を得られないのか
世尊なる仏は 智慧深い仏となれる教えを
なぜにお説きくださらないのかと
いつも 悲しい思いで嘆いていました
山や岩 洞窟や森林の中の静かな場所で坐しては
仏となる性質を誰しもが持っているのに
私たちには 仏は劣った小乗(しょうじょう)なる
乗り物としての教えを説かれているのだ
しかしこの思いが
私たちの思い違いであって
私たちの智慧の足りなさからきていることを
知りました

仏が方便としての方法で 
私たちの機根にあった教えを説かれ
悟りの因(いん)が深まったとき
この大乗(だいじょう)としての教えを説かれ
私たちを
悟りの道に誘ってくれることが分かりました

ですから 私たちは仏の子であり
仏の教えに従って生き
仏の教えによって 真なる命をいただき
教えの力によって 煩悩の汚れを無くし
この世の苦しみから 離れることができ
いま とても心 爽やかです