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法華経の詩

法華経の詩(93)

見宝塔品 第十一(5)

多宝如来が
仏 世尊に 獅子座の半分を譲って
世尊が譲られた座に坐ると
そこに集うみんなに 次のように語った

多宝如来が
幾千万の昔に入滅したにもかかわらず
「法華経」を聞くためにここに来られた
この教えを聞くためならば
彼はどこへでも出かけていく
なぜならば
このような教えは得難いからである

世尊なる私が入滅したとき
この「法華経」を弘(ひろ)め伝えてほしい

しかし
この教えを伝えることは
非常に難しいことなのだ
この須弥山(しゅみせん)を手に取り
遠方に投げ捨てるのは 難しいことではない
この大千世界を 国土の向こうに投げ捨てることは
それほど 難しいことではない
すべての虚空を
ひとつかみにして投げ捨てることは
そんなに 難しいことではない

しかし
世間の主である 仏が亡くなり それ以後に
この経典を 信じ説くことは
誠に難しいことであるのだ
仏が亡くなり
この経典を書き写す者があるとすれば
それは非常に困難なことだ
さらにいっそうの困難といえば
誰かが 一瞬でもこの経典を語ることなのだ

仏が入滅した後に
この「法華経」を説き弘める者は
神と人間の住むこの世において 師となり
すべての人びとの中において
学識ある人であり 礼拝される者である
(見宝 了)