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法話

遠い世界からのメッセージ 3 「ほんとうの喜び」

先月は、平凡な生活の中に教えられることがたくさんあり、 それを見つけだすために「どう生きるか」ということに関心をもたなくてはならない、というお話を致しました。続きのお話をいたします。

食事をいただくことの喜び

平凡な日々のなかに、真理(人としての正しい生き方・考え方)がたくさんあふれているのですが、その真理との出会いが、実は大きな喜びなのだということを考えてみます。

一般に喜びというと、どのようなときをいうのでしょう。

たとえば美味しいものを食べるときなどは幸せになります。
あまり豊かでなかった昔、冷蔵庫がまだ普及していない昭和の30年以前(昭和33年ごろから冷蔵庫が普及しだし、50年には冷蔵庫を持つ家庭はほぼ100%となる)は、 食べることがほんとうに喜びでした。

今のように物があふれている時代ではなかったので、田舎で育った私は、野にある柿や栗は貴重な食べ物で、木に柿が残っているといった景色は見たことはありませんでした。 今はその柿も木にたくさん残っていて、鳥の餌(えさ)になっています。

豊かになった今では、昼夜を問わず営業しているコンビニに美味しいそうなものがたくさん並べられています。

私はプリンが好きなのでよく買って食べますが、工夫されたその甘さが身体をポカポカさせてくれます。これも美味しいものを食べたときの喜びなのでしょう。

でも人の口は慣(な)れてなれてしまうと、満足度がへってきて、いくら美味しかったものでもやがて飽きてしまうものです。

「美味しいものが食べたい」と思っても、「はて、何を食べたらよいのか」と考えてしまう贅沢を思います。

今現在、世界で7人に1人が日々飢えていると聞きます
(『世界を見る目が変わる50の事実』草思社)。

世界で8億の人が飢えで苦しんでいて、
慢性的な栄養失調の人が20億、
飢えや飢えのため病気で亡くなっていく人が1,800万人、
毎年5才未満の子ども1,000万人が亡くなり、その半分は栄養失調だといいます。

そんな人たちが毎日困らないで食事ができたなら、その喜びは一入(ひとしお)でしょう。

食料支援で、アフガニスタンへ国連から小麦を大量に送ったそうです。でもそのため小麦の価格が下がり、 小麦を生産していた農民のみなさんが生活に困り、アヘンを栽培し始めたとも聞きます。

支援の難しさを思うとともに、それに比べ日本の平和な日々をありがたく思います。

大切な言葉を

食べ物でも喜びを感じますが、お小遣いをもらったり給料をもらったときにも喜びは大きいものです。

自分で一生懸命働いて得たお金は尊いもので、その尊さゆえにお金のありがたさを思うものです。

誕生日にお花をいただいたり、お祝いにプレゼントをしてもらうのも嬉しいものです。
人からやさしい言葉をかけてもらったり、励ましの言葉を投げかけられたり、映画を見たり、面白いテレビのドラマがあったり、みな喜びを感じるものです。

これらの喜びも人生を生きるうえで大切な喜びなのですが、さらに真理に出会ったときの喜びも経験しておくことが大切です。このときの深い喜びは何物にも変え難いものです。

オランダに生まれ、晩年はフランスで活動したゴッホ(1853〜1890)という画家がおられました。そのゴッホが次のような言葉を残しています。

人間は毅然として現実の運命に耐えていくべきだ。
そこに一切の真理が潜んでいる。

含蓄のある言葉です。苦しみや辛さのなかを耐えて生きていくと、そのなかに「ほんとうにそうだ」という真理に巡り合えるというのです。

そんな真理に巡り合えたときの喜びは大きなものがあります。そしてその真理の言葉はずっと自分と共にあって、人生を一緒に生きてくれる良き友でもあるのです。

今はスポーツジャーナリストをしている増田明美さんのお話を致します。彼女はかつてマラソンの選手で、日本の記録を12回、世界記録を2回更新した実力者でした。

1984年にアメリカのロサンゼルスで行われたオリンピックにも出ています。増田さんが20才のときです。でもこのときは、16キロ地点でリタイヤしてしまいました。 棄権してメディカルセンター(医療施設)に運ばれたとき、テレビ中継に吸い寄せられたといいます。

そこには脱水症状でふらふらしながらも完走しようとしていたスイスのアンデルセンという選手の姿があったのです。 そういえば私もその姿をテレビで見ていて、たいした人だと感心したことを思い出します。

増田さんもその姿を見て、「自分はゴールできなかった。なんて弱い人間なんだ」と思ったのです。
そして恥ずかしくてその後、会社の寮に3ヶ月間閉じこもってしまいました。

そんなとき「明るさを求めて暗さを見ず」という一枚のハガキが届いたのです。
ほほえんでいるような字で思わず涙がでました。

それ以来、その言葉が今の暗さから増田さんを引っ張り出しくれて、前向きに生きることができるようになったといいます。

その後、競技生活を終えて、スポーツライターとして再スタートしました。さらにラジオのパーソナリティなども勤めるようになります。

そのラジオで、結納(ゆいのう)という字を「ケツノウ」と、門松(かどまつ)を「モンマツ」と読んでしまって落ち込んでしまいました。
私も学生のころ浪花(なにわ)という字を「ロウハナ」と読んでずいぶん馬鹿にされたことがありますが、そんなときは落ち込むものです。

落ち込んだ増田さんが出会った言葉は「自分の力はこんなもんだと、諦めなさい」という言葉でした。
増田さんの尊敬する方からの言葉だそうで、落ち込んだときにはこの言葉を思い出し再び元気に歩き出すといいます。

増田さんの人生を支えてきた言葉は、「明るさを求めて暗さを見ず」と「自分の力はこんなものだと、諦めなさい」でした。
「常に前向きに明るく」ということと、「100点を取れなくても頑張ったんだから、70点で満足しよう」という考え方でしょう。 この言葉をいただいて生きる勇気がわいて、前へ歩き出したのです。
これはゴッホの語っている、運命に耐えて、その中から見つけ出した真理といえます。

そしてこの真理の言葉に出会い「ほんとうにそうだ。私もそう生きていこう」と思ったとき、喜びが心に満ちるのです。 この喜びが人として最も尊い喜びであると、私は感じています。

今この「法愛」を書いていますが、これを読むときに手を合わせてから読まれるという方がいらっしゃるそうです。
そのことを聞くと、ありがたく嬉しい気持ちになります。それとあわせて、もっと勉強し研鑽を積まなくてはならないと思います。 この言葉も、真理の言葉として受け止め、私にとっては大事にしていきたい言葉です。

ひとことの重みと幸せ

身近な生活のなかにも真理がたくさん散りばめられています。それを発見できるかできないかで幸不幸の道が分かれていきます。

ずいぶん前になりますが、一つの投書(朝日新聞」平成12・10・8)をお読みください。「あのひとこと」という題で、78才の女性の方が書かれたものです。

あのひとこと

51年前、私は4歳の息子を連れ、3歳と6歳の姉弟のいる彼の元へ嫁ぎました。
3人の子の良い母親になれるだろうかと不安いっぱいで訪れた日、義母はうどんを打って温かく迎えてくれました。

ちゃぶ台を囲み、6人がはしを取ろうとした時、3歳の男の子が立ち上がり

「うれしいなあ、きょうからおばあちゃんとお母ちゃんと二人いる」

と歌いながら、台の周りを回り始めました。
見ていた2人の子も歌いだし、3人で踊りながら回り出しました。

当時、彼は引き揚げ後に妻を亡くし、やっと公務員の職が決ったところ。
私も身内の大反対を押し切っての再婚で、挙式など考えられないことでした。

子供の言葉はどんな立派な式場の、どんな偉い方のスピーチより、私には忘れられないひと言でした。

それからは、事あるごとにあの日の光景を思い出し、  あんなに喜んで私を迎えてくれた子供たちがもし悪くでもなれば、それは私の責任と、自分に言い聞かせてきました。

夫亡き後も、3人は優しく私を気遣ってくれます。
今の幸せは、あのひと言のお陰と、心から感謝しています。

偉人の言葉でなく、たった三才の子どもさんが言った一つの言葉が、彼女を支え、幸せな道に誘っていきました。

温かな人の思いは心で受け止めるのです。それがまた強く生きる糧になっていくのですね。身近な生活のなかに、真理があふれているのです。