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法話

四つの大切な気づき 1 「気づきの大切さ」

今月から二回にわたって、「四つの大切な気づき」というテーマでお話を致します。

有り難い出来事

「有り難(がた)い」という言葉があります。

これは仏教からきた言葉ですが、その意味は「有ることが難(むずか)しい」ということです。
有る事が難しいということが、もし叶えば、嬉しいし幸せでもあるので、「これは有り難い」とか「ありがとう」という感謝の言葉にもなります。

また素晴らしいこととか、尊いという意味も「有り難い」のなかにあります。
私たちはこの有り難いことに気づくことが大切なのですが、毎日の生活のなかで「有り難いことだ」としみじみ思うことはまれです。

何か奇蹟のようなことが起こって、それが喜びに通じていけば、ほんとうに有り難いと思うかもしれません。
でも静かにまわりの事ごとを見つめてみれば日頃の生活のなかに、たくさんの有り難いことがあるわけです。 それにどれだけ気づいていくかで、私たちの人生の喜びと生きる充実感が違ってくるのではないかと思われるのです。

特別なことで「有り難い」と思ったことがありました。

少し前になりますが、2冊目の『自助努力の精神』という本を出したときでした。 長野建設産業労働組合にいらっしゃるある方からお手紙をいただいたのです。

そのお手紙には、私の本を読んでくださり、とても感動したから、是非講演にきてくれという趣旨のことが書かれていました。
そこで3月の中旬ごろであったと思いますが、長野市にある職業訓練センターへお話に行ってきたのです。

事前にいただいたその日の日程表には、午後の2時半からのお話でした。高速を使って2時間あまり車を走らせ、 2時半にはまだ時間がたっぷりあったので、更埴というところのサービスエリアで時間を調整しながら行ったのですが、 それでも1時間前に講演会場についてしまいました。

内心は「早く来てしまったなあ。遅れるよりはましかもしれない」と思っていました。
会場に着いたときにはすでに係りの人が外で待っていて、私を迎えてくれまいた。
「1時間も前に待っていて、丁寧な人だなあ」と思いながら、その人は会場へ案内してくださったのです。

普通は講師用の部屋に通していただいて、お茶でもいただくのだなあと思っていたのですが、その係りの方は直接会場に案内していきます。そして講師の机に座るように支持するのです。

講演の前の会合に私も出るのだろうと思いながら、手渡された次第を見みると、お話が1時40分からになっています。
時計を見ると、すでに1時35分。実は時間ぎりぎりの到着だったわけです。休む間もなく演題にたち、喉(のど)が渇いていたので、演台に置いてあった水を一口いただいてから、お話を始めました。

どうも先にいただいた予定表に間違えがあったようです。このとき事務の手違いは指摘しませんでしたが、それよりも時間に間に合ったことが有り難く、 帰りの車のなかで、どんなに神仏に感謝したことでしょう。

このような体験はめったにあるわけがないので、有り難いと感じるのですが、日頃の出来事のなかに、この有り難いことに気づく心の力を持っていることが大切であると感じます。

涙のしずく

日頃の出来事のなかで、あまり気がつかないでいる有り難いもののなかに「涙」があります。

涙は生理学的には、ゴミが入ったときや異物ができたとき、あるいは疲れたときなどに涙が出たりして眼を守っています。

精神的には悲しいときにでる涙、辛いときの涙、嬉しいときにでる涙、感動したときにでる涙、大切にされていると分かったときの涙、 正しい生き方や愛深い生き方を知ったときにでる涙、自分の至らなさを知ったときにでる涙、さらには守られ支えられていることを知ったときの涙、さまざまです。

年をとるごとに、人はなぜか涙腺が緩(ゆる)んでくるのでしょうか、涙もろくなるものです。
私も五十を過ぎて、少し涙もろくなりました。父も生前、テレビで放映している水戸黄門が好きで、涙を流しながら見ていたのを思い出します。

この涙が出るというのを、今まで有り難いことであるとは思ってみたこともありませんが、考えてみれば涙がでるというのは有難いことです。
なぜ涙が出るように神様(創造主)は私たちをお創りになったか分かりませんが、人の営みとして、この涙はなくてはならないものです。 涙があるゆえに、人と人との触れ合いが深いものになっていくのが分かります。

『世界で一番いとしいあなたへ』(中央公論社)という本のなかに、「優しい涙をありがとう」という題で、この本では優秀作として掲載されている文章があります。
佐野さんという五九才の男性の方が書かれたものです。

 この薬が効かなかったら余命一年ですと言われ、
抗癌剤による治療が始まりました。
強烈な吐き気。吐く度に吹き出す脂汗、口の中も体もべとべとでした。

頭髪は勿論全身の毛が抜け、顔はまん丸に腫れ、
自分でも惨めに思うことがありました。

貴女は一日中私の枕元に座って、私の体を拭(ふ)き口をすすいでくれました。
あまりの苦しさに、抗癌剤を打つのを止めようかと何度も思いました。

しかし、朦朧(もうろう)とした目を開けると、
枕元でじっと私を見つめている貴女の優しい顔があり、
ついに口に出せず半年が過ぎました。

そして、組織検査結果の日が来ました。
「寛解です」(かんかい・症状が消えること)という主治医の声を
天の声かと思いました。

私も貴女も主治医も泣きました。
貴女の涙は、何時までも何時までも頬を伝わっていました。

あの涙は終生忘れません。
優しい涙を有り難う。本当に有り難う。

(括弧筆者)

こんな愛の手紙です。

最後に「優しい涙を有り難う」と書いています。
佐野さんの人生にとって有り難い出来事として、奥さんの涙がありました。
このような涙はとても美しく、天使の涙のように見えますね。

日頃の生活のなかで涙だけでなく、多くの有り難い出来事があります。 空気を吸い、食べて、排泄できて、眠ることができ、笑って、しゃべって、自然をめでて・・・。

まだまだ数えきれないほどの有り難いことがあります。一つでも多くの有り難いことに気づき、気づいたことに感謝の思いを抱いて生きていくことが人生を深くしていくのです。