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法話

人生計画のすすめ 3 「人生のテーマを決める」

先月は計画にはどんな力があるのかということや、人生計画を立てるために、人生で知っておかなければならないことなどをお話し致しました。続きのお話を致します。

テーマを設定する

人生計画にまず必要なのが、「人生のテーマ」を決めるということです。 テーマは目的、目標といってもいいでしょう。人生の目的、目標を設定するわけです。

自分の人生のテーマを設け、よく人生を考え生きている人は少ないかもしれません。 でも、思うようにならない世にあって、人生のテーマを立て生きていくことは、とても必要なことだと思います。

またこのテーマを持っていることは、自分が何のために生きているかを問われたとき、明確に答えることができる生き方でもあります。

人生のテーマは、あたかも灯台のような働きをしています。 暗い海のなかで、他の船にぶつからないように、あるいは座礁しないで、無事航海をすることは難しいことです。
でもそこに灯台の光があって、その光を頼りに行けば、船も今どこにいて、どのように進んでいったらよいかが分かります。
ましてや人生は海を行くよりもさらに困難なことですから、なおさら灯台の光としてのテーマがいるわけです。

「正直」というテーマ

たとえば「正直」という人生のテーマを決めます。この正直さがどうように人生の舵取りをしていくかですが、一つのエピソード(逸話)をお話し致します。

内村鑑三という方が『代表的日本人』(岩波文庫)という本を出しています。
これは明治の中ごろ英文で書かれたものです。当時はまた肌の色で人を判断するという差別意識が高く、 内村は欧米人に対して、「日本を世界に向かって紹介し、日本人を西洋人に対して弁護するため」にこの本を書いたといっています。

この英文が日本語に訳されて、私たちも読めるようになりました。昭和の16年ごろです。またドイツ語やデンマーク語にも訳され、多くの人に影響を与えた本です。

この本の中には、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮といった日本を造ってきた人々の優れた考えや功績が書かれています。
そのなかで中江藤樹という方のなかに、感動を呼び起こす逸話が出てきます。

中江藤樹は江戸初期の儒学者で、日本の陽明学派の祖といわれ、近江聖人として多くの人に慕われた人です。 彼の弟子に、熊沢蕃山という人がいます。この本全体が、なかなかの名文で書かれていますから、実際、原本を読んでもらうのがよいですが、一つのエピソードを簡単に要約してみます。

 岡山より師を求めて旅をする青年がいました。
ちょうど近江(今の琵琶湖周辺で滋賀県)というところで宿を取ったその夜、
わずかにふすまを隔てて、二人の話し声が聞こえてきました。
その話に青年は思わず聞き入ったのです。

「私は主君の用事で江戸へ行きました。
帰るとき、主君から金子数百両を預かったのです。
大切なお金なので、いつも肌身離さず持っていました。

この村に着いたある日のこと、宿を取り休んでいると、
金子のないことに気がついたのです。

そういえばその日の昼ごろから半日、馬を雇いました。
馬に乗って安心したのか、いつも肌身離さず持っていた金子を、
その馬の鞍に結びつけたのです。
馬からおりるとき、それをうっかり忘れてしまったのです。

私は馬に乗せてくれた人の名も知りません。
金子数百両がなければ、藩の財政も困窮してしまいます。
そこで、家老と親族に遺書を書いて、切腹をしようと覚悟しました。

すると夜中も遅くに、宿の戸口を激しくたたく物音がします。
間もなくのこと、私に会いたいという人がいると宿の人に聞かされました。
その人を見たとき、私は非常に驚いたのです。
その人は、まさしく昼間、馬に乗せてくれた人だったからです。

彼は言います。

『お武家さま、貴方は鞍に大切なものをお忘れになりました。
私は家に着いてからそれを発見したのです。
それで、それをお渡しするために戻って来たのです』

そう言うと、私の前に彼は金子を出したのです。
それを見て私は言いました。

『その方のおかげで、生命が助かった。
お礼としてこの金子の四分の一を取ってくれ』

彼は『私はそのようなものを受け取る資格はありません。
金子は貴方のものです。貴方がそれを受け取るのは当然のことです』

そう言われてもと思い、私は十五両を彼に押し付けたのです。
しかし彼は受け取りません。
五両、三両、一両と差し上げようとしましたが、受け取ってくれません。
彼は言うのです。

『私は貧乏人ですから・・・。
家から四里の道を歩いてきました。わらじ代として四文ください』と。

私が無理やり押し付けたのは二百文でした。
喜んで帰っていく彼を呼び止めて、私は聞いたのです。

『あなたはどうしてそんなに正直な人間になったのか。どうか私に教えてくれ。
今の時代に、このような正直な人を見るとは思わなかった』と。

彼は『私が住む小川村に中江藤樹という方が、
いつも私たちに生きる術を教えてくださっています。
それは人生の目的は利得ではない。
正直である。正義である。人の道であるという教えです。
私たち村人は、その方の言われることを聞き、
その教えによって歩んでいるのです』と言うのです。

青年はこの話を聞いて、膝を打ち、叫びました。
「これこそ私が捜し求めていた聖人だ。是非弟子として教えを請う」と。
その青年こそ、熊沢蕃山であったのです。

徳川家康が天下を統一して、江戸幕府が着々とその礎(いしずえ)を築いている最中、 このような生き方をしている人が日本にいたのですから、驚きです。

今からいえば、数百両というお金は相当の額になるでしょう。 それをわざわざ四里ですから、16キロある道のりを歩いて、返しにきたわけです。
その力は「正直である」という教えでした。

正直というテーマにそって生きることが、400年以上も前のことであるのに、  今でも新鮮に伝わってきます。
テーマを持ち生きることの大切さを思います。

もし、この馬を引く者が、このテーマを持っていなかったなら、 16キロの道を歩いて返しに来たかはわかりません。

迷いなく、正直という灯台の光に導かれ生きたので、人としての感動深い物語になったのです。

テーマを作る

そこで、自分自身のテーマを作ります。

真理は簡単であるということから、先ほどお話した「正直」であるという簡単なテーマがよいかもしれません。「感謝」というテーマでもいいでしょう。
あるいは「笑顔」「穏やかさ」「知足」「やさしさ」「慈悲」「愛」「勤勉」「信心」「親切」など、さまざまです。

要はこのテーマを持って生きていくと、自分も幸せになり、まわりの人も幸せになっていける、そんなテーマを持つことです。

人を犠牲にして自分だけが幸せになっていくのでもないし、自分が犠牲になって他の人だけが幸せになっていくのでもありません。 自分も他の人もみんな幸せになっていけるようなテーマ作りが大切です。

思うようにならないときには、常に原点であるテーマに戻り、そこから再出発していきます。

一生のテーマを決めると、生き方にぶれることがなくなるのですが、今年一年のテーマとか50代、60代のテーマを決めてもよいでしょう。

単純なテーマを持つということですが、それを実践していくと、さまざまな真理に出会っていきます。 たとえば「感謝」をテーマにすれば、相手を理解しなくては感謝はできませんし、自分自身を見つめて支えられてあることを知らなくてはなりません。

感謝が進めば、相手に報恩といって、恩を返して行くことも必要になってきます。 そのための努力や学びが必要になってきます。さらには、見えない存在に支えられていることを知るようになると、信心の思いが深くなってきます。

「感謝」一つをとっても、そこには多くの真理が隠されていて、実践していくなかで、たくさんの真理と巡り合うことができるようになるのです。 そこに人格の深さと、他を思う力がついていきます。