法話
心の食事と良き人生 3 「「よき人生」という定食」
苦しみの味
よき人生を送るためにまず「心の定食」をいただいて、しっかりした戒体を作ってみましょう。
ご飯があり、お味噌汁があり、漬物やメインのおかずがあれば定食になります。
食堂でも日替わり定食などがあって、食べに来る人に工夫をしているお店があります。定食は安くて栄養が偏っていず、しかも飽きないところが利点です。
心の食事としての定食とはどんな食べ物をいうのでしょう。
この定食をいただくことで、よき人生を送ることができるわけです。それは、苦しみと幸せとはどういうものなのかをよく知っていることです。
ご飯の味を知っているように苦しみの味を知っている。お味噌汁の味を知っているように幸せの味を知っていることです。
人生のなかでこの苦しみと幸せあるいは楽しみ、喜びをどう受け止めていけばよいのでしょう。
この「苦と楽」というのは、私たちの身近なところにあって、そのことで私たちの心がずいぶん振り回されています。
日ごろの出来事を振り返って、苦楽を探してみましょう。
たとえば朝のことです。
朝になれば起きなくてはなりません。
私はお坊さんなので、朝はお勤めがあります。一年中寝坊はできません。
朝はいつまでも寝ていられるタイプなので、起きるのが苦しみです。
中には年をとってきて、眠られない人がいるようです。
そういう人にとっては眠ることが苦しみになります。
朝起きるのが苦しみの人、朝まで寝なくてはならないのが苦しみの人、
さまざまです。
食事を作る苦しみもあります。
できれば食べる側のほうにつきたいと思っていたら、やがて一人暮らしになった。
そうすると、食事を作ってあげる人がいない。
すると食事を作れないのが苦しみになります。
食事を食べるにも、好きなものがでれば喜びでしょうが、嫌いなものがでれば、それが苦しみになります。
私はしいたけとそばが苦手ですが、いつだったか、どこかの宿で食事をしたときに、しいたけとそばで作った汁物が出て、それをどうしても食べなくてはならない。
絶妙な味でしたが、あんなに苦しい思いをして食べたのは、保育園のときにかす汁をいただいたとき以来でした。苦しみの味が、よく分かった気がしました。
仕事でもそうです。毎日出かけるのはつらいものです。でも、会社からもう来なくてもいいといわれれば、仕事ができないのが苦痛になります。
畑仕事でも、毎日出て働くのは大変です。大変だといっていても、3日も雨が降り続いて畑仕事ができなければ、できないことが辛くなります。
今日は久しぶりに外食をしようと思う。楽しみです。でも入ったお店がとても込んでいて、なかなか頼んだものが出てこない。「来なけりゃよかった」とつい思ってしまう。
そんなことでも苦しみになります。
今日はテレビで「水戸黄門」があると楽しみにしていて、ちょうどいいところで電話が掛かってきた。早く切ろうとするのですが、相手が長話をしてきて、「この紋所が目に入らぬか」という肝心なところが見られなかった。それがイライラにつながって、苦しみなるわけです。
やれやれと風呂にいろうとすると、まだ風呂が沸いていない。そこでまた頭にきて、不満の言葉が口からこぼれ落ちます。
眠ろうとして床に付く、「ああ、やっと眠られる。幸せだなあ」と思う。すると「ブーン、ブーン」という音がする。どうも蚊がいるようだ。その音が気になって眠れない。「蚊のやろう、こんちくしょう」と心がまた乱れて、苦しみを思います。
苦しみと楽しみは、どうも隣合せですね。
ささいな苦しみは、小川のせせらぎのように、さらさらと流し、あまりこだわらないようにしていきます。「穏やかであれ」と心に語りかけていきます。
また料理にも苦味や辛味があるように、人生にも苦しみが苦味であったり辛味であったりして、自分の人生を豊かにしていることもあります。
このような苦しみのとらえ方が大事になります。さらさらと流していく一方で、苦しみの味をしっかりと受け止め、自分の人生の味わいにしていくのです。
そう心に念じていくと苦しみの味が分かってきます。
(つづく)