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法話

命、終わる時は楽しい 4 次の世へ行くための支度

あの世に持っていけるもの

次の世(天)からの声を聞くというお話をしましたが、今度はあの世へいくための支度を整えなくてはなりません。

この世の旅でも、お金を用意し、着替えの服や洗面用具、お化粧の道具などをカバンに入れて持っていきます。

同じように、あの世、次の世に行く時に旅支度をしていかないといけません。

お金はどうでしょう。
火葬で焼けてしまいます。

着替えの服や歯ブラシ、みんな焼けて後かたも残りません。
これらの物は、持っていけないわけです。

あの世へいって確かに持ってきたはずだと思っても、そこには歯ブラシはありません。焼けてしまったからです。

では何を持って、あの世への旅支度になるのでしょう。

あるときお釈迦様に天から神が降りてきて、「老い」について尋ねたことがありました。

そのなかで神が「老いに至るまで何が善いことであるのか」と尋ね、
最後に「何が、盗賊も奪い去りがたいものであるのか」と問うている仏典があります。

お釈迦様は、

老いに至るまで戒めをたもつは、善いことである。

(中略)

福徳は、盗賊も奪い去りがたい。

(『神々との対話』中村元訳 岩波文庫)

と教えられました。

これは「戒めを保ち、福徳を培いなさい」という意味ですが、この福徳こそ、あの世に持っていけるものです。

この世の旅では、いろいろなものをバックに詰めて持っていきますが、盗賊がきて包丁でも向けられ「そのバックをよこさなければ、殺すぞ」と言われれば、バックを置いて逃げたくなります。

でも、バックを奪われても、その人が日ごろ培ってきた徳というものは奪うことはできません。 同じように、この身体を焼いても、その人が持っている福徳は消滅することはありません。

この福徳を、心のカバンに入れて持っていくのです。

福徳という支度をする

先ほどお釈迦様の教えの中に戒めを保つということが出てきました。

そこで、どんな戒めを持ち、それを人生の指針として保ちながら生きていくかです。

3つほどあげてみましょう。

1.日ごろから善を積むことを心がける。
2.人の痛みが分かり、相手を理解してあげる心の力をつける。
3.支えられている自分を素直に感じ、感謝できる自分をつくる。

この3つを戒めとして保ち、生きていくなかに、福徳をつくっていくことができましょう。

積極的に善を積もうとし、そのとき相手のことを自分のことのように分かってあげて、
さらに善を積んでいる私を支えてくれている多くの人、多くの見えない存在を知り、
それらの方々に感謝の念をささげて生きるということです。

もし、「ありがとう」と素直に言えなければ、旅支度ができていないことになります。
何の支度もなしに旅に出るのですから、これは大変なことになります。

「悪を重ね、自分のことばかり考え、支えられている真実を分かろうともしない」
そんな重荷を背負って旅立ちを迎えないことです。

(つづく)