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法話

ほんとうの宝 1 目に見える宝

先月の4月号は、3月11日に起こった東日本大地震の前に書き、
印刷も終わっていたので、地震については一切触れていませんでした。

今回の5月号は、4月11日に女性部の理事会でお話ししたものをここに載せてみたいと思います。 地震のことについて少し触れていますので、また違った観点から今回の地震を見つめることができると思います。

震災に遭われた方々の平安を、心から祈ります。

気づかないごく普通の幸せ

3月11日に襲った地震は大変なものでした。
津波がすべてをのみ込み、持ち去って行きました。

被災された方々の中ですべてを失って見えてきたものは、
「命があるだけでありがたい」とか
「今まで、どんなに幸せな暮らしをしてきたかが分かった」という、
そんな日ごろは気づかないあたりまえの事ごとでした。

宝というのはお金や財産、あるいは好きな人からプレゼントしていただいた物とか、
家族などあげられるかもしれませんが、日ごろから普通に生活できることが、
ほんとうの宝であったと私たちも知ったわけです。

被災した方が、津波で亡くなってしまった家族を思い出すために、
倒壊した家の中から家族の写真や想い出の品を探すのを見ていると、
それらの遺品もあまりにも大切な宝といえます。

普段の生活であたりまえのようにさまざまな物を得て暮らしている私たちですが、
今回の地震からの教訓として、今の暮らしがあたりまえのことでなく、
宝の山の中で暮らしているという真実に目覚めることが大切に思います。

私自身、昨年、跡取りの副住ができて、いろいろな面で助けてもらえるのですが、
副住ができれば、またそれなりに苦労もあると思っていると、まわりのみなさんが、
「和尚さんは、幸せだあ」と言ってくれます。

私自身、目の前の幸せが良く見えず、他の方に言ってもらって、
「ほんとうにそうなんだ」と気づかせてもらうのです。

法愛を読んでもらう幸せ

私の仕事の一つに、
『法愛』を作り、みなさまに読んでもらうというのがあります。

『法愛』を読んでもらうと、それに感想をそえて、
ハガキや手紙を送ってくださる方がいます。

そのたくさんのハガキや手紙の中から無造作に一つ取り出して今回読んでみました。
「ああ、この人も『法愛』に力をいただいている」。そう思うと、
何気ない一通の手紙が尊い私の宝に思えてくるのです。

地震ですべてを無くすことなく、
引き出しをあけるとそこにしまってあるハガキや手紙。
それを自由に出して読めることも、普段気づかない幸せであり、
それらのハガキや手紙が尊い私の宝であると知るのです。

この手紙は5年ほど前のもので、沼津市にお住まいの女性の方からです。
いつかそちらの方のお寺さんに呼ばれてお話に行ったことがあり、
その際に『法愛』を持っていってお配りしたのです。

お話が終わると、わざわざ私のところに来て、
できればこの『法愛』を送ってほしいというのです。

こちらから送りましょうかと問わなくても、
進んで送ってほしいといわれるその方の尊さを思ったものです。

その方の手紙によると、
風邪をこじらせ肺炎になり、気力のないままどうにか過ごしていると、
今度は脳こうそくになってしまったというのです。

幸い一過性のものではあったのですが、
病院の処方が悪かったのか、薬の副作用で胃が痛くなり、
胃カメラを飲んだり皮膚科に通ったりして悩んだのですが、
何とかいい病院を探して納得のいく治療をしてもらい、元気を取り戻した
と書いています。

そして、『法愛』の初めの詩「自信をもって」(平成18年10月号)に、
迷っていた気持ちを解決でき、感謝していますと書いていました。

この詩は私の体験から出て来た思いを詩にしたのですが、一部を載せてみましょう。

「自信をもって」

どんな生き方にも
プラスの面と
マイナスの面があるものだ

だから
プラスの面を生かして
自信を持って
生きていけばいい

できれは人様に
お役にたてればと
思いながら・・・

『法愛』の初めの詩「自信をもって」(平成18年10月号)

このように一通の手紙が、宝になります。

なおさら、すべてを失った家族の想い出の写真がもし見つかれば、
尊い宝になることでしょう。

そしてこのような、手紙や写真といった目に見える宝も尊いのですが、
こうして体験として思い出す事ごとも、すばらしい宝と言えるものです。

今回の地震で、気づかせていただいたことです。

ほんとうの宝 2 まごころという宝

尊く思える力が、ほんとうの宝を探す

目に見える宝の話を致しましたが、
まごころや思いやり、またやさしさといった見えないものも、大切な宝といえます。

これらの思いは人を助け、互いが支え合っていくのに、欠かせないもので、
それがまた私たちには尊いものであると分かります。

人から教えてもらわなくても、尊いものであると分かるのは不思議なことですが、
ほんとうの宝を見分けるための唯一の方法が、この尊さが分かるということではないかと思います。

困っている人のところに行って、泥棒をする。尊いと思えません。
ゴミを平気で路上に捨てる。これも尊くは思えません。
お世話になった方に、「ありがとう」とも言わない。これも尊いことではありませんね。
ですからこれらの行為は宝ではありません。

ゴミを出す日が町ではだいたい決まっています。
それなのに、決まった日にださない人がいて、その場所に花の鉢を置いたら、
みな決まった日に出すようになったという話を聞いたことがありました。

花の可憐で美しい姿を汚したくないという思いが、
みんなの心に通じていった話だと思います。
このような花を大事にしたいという思いは尊く、宝とすべきものです。

震災での思いやり

今回の震災で、被害に合わなかった日本中の方々も、
被災した人と同じように心を痛め、
何とかお手伝いをしたいという思いを抱いたと思います。

日本人ばかりでなく、世界中の人が、
日本のために「頑張れ」というエールを送ってくれました。

この4月の4日の夜にニューヨークのエンパイアステートビルの呼びかけで、
世界各都市を象徴する超高層ビルやタワーで、東日本大震災の被災者を励まし、
支援の輪を広げようと、日の丸カラーの赤と白でライトアップされました。

これらの出来事も、各国の方々のまごころと思いやりの心が嬉しいほど通じてきます。

ある新聞にこんな記事が載っていました。
少し長いのですが、思いやりの尊さが伝わってきます。

これをお読みになって、尊い思いになったならば、
そこにほんとうの宝があるということです。

岩手県の大船渡と釜石に入った米救援隊の消防士はその惨状に驚く。
それにもまして印象深かったのは倒壊したある店の女性主人だった。
その人は「何もありませんが」とせんべいを差し出したのだ。

同じく大船渡市で捜索活動をした中国の援助隊員は、
通りがかりの住民に「遠くからわざわざありがとう」と声をかけられ、
アメや菓子を手渡された。

別の隊員は現地コンビニで「援助隊なら」と代金の受け取りを拒まれ、
カップ麺やおにぎりの提供を受けたという。

苦境にあっても思いやりを失わぬ被災者の姿は外国人に感銘を与えた。

マレーシアのある孤児院で孤児が修道女らに働きかけて被災地への募金を始め、
自分らと卒業生の分も含む義援金と激励の言葉を日本大使館に寄せた。

パキスタンの地中海性貧血を患う子供たち40人は
福祉団体代表と共に日本の領事館へ被災地の子供たちにと
サッカーボール10個を寄贈した。

アジアの途上国からは
過去の日本の援助や災害支援への感謝と共に寄せられる義援金や
お見舞いのメッセージが相次いでいる。

空き缶に小銭を集めたブラジルの貧しい地区の生徒たち、
お小遣いで被災者に水を送りたいというスウェーデンの8歳の子、
日本人からは代金を受け取れないと言ったポーランドのタクシー運転手、
巨額の金と「がんばって」との一言を残していったロシアの紳士―

人へのやさしさや思いやりが地球のあちこちで小さな奇跡を起こし続けている。
「3・11」後である。

今は被災地を覆う深い悲しみも、
いつかはこの奇跡の輪の中でいやされる日がくるよう祈る。

毎日新聞 平成23年4月1日付

大震災で世界が一つになりかけていると思えるような、記事ですね。
得難い心を、みんながこの大震災から学んでいるようにも思えます。

こんな思いやりの宝をたくさん持っている人が幸せであると思えます。
この思いは津波が来ても決して流されはしない思いです。

ほんとうの宝 3 信じるという宝

さらに宝の話を深めていくと、
信じる(信心・信仰心)ということが、また素晴らしい宝であると思えます。

人としての尊い姿は、神や仏を信じ、祈り、礼拝している姿であるのです。
慰霊するためには神仏に、亡き方の成仏を願うのが、正しい祈りのあり方です。

鴨長明(かものちょうめい)が書いた『方丈記』の中に、
養和年間(1181年頃)に、大飢饉があったことを記しています。

その大飢饉で亡くなった人のことを伝えていますが、
当時の4月から5月ごろにかけて数えたところ、
京の一条から九条まで、東京極(ひがしきょうごく)から朱雀大路(すざくおおじ)まで、
つまり平安京の東半分の所にあった死体は、計42,300体あまりと書いています。

その無数の餓死者の中を
仁和寺の隆暁法印(りゅうぎょうほういん)という一人のお坊さんが、
死者の額に「阿」の字を書いて、成仏を願い供養して歩いたといいます。

ある新聞(産経新聞H23・4・5)に、粉雪が舞う被災地を、
裸足に草鞋(わらじ)ばきで、衣を着けたお坊さんが、一人お経を唱えながら、
被災して亡くなられた方々の成仏を祈り歩いている写真が掲載されていました。
仁和寺のお坊さんと重なるものがあり、祈りの美しさを思ったものです。

この『方丈記』にはまた、大飢饉のあった同じ年に大地震があって、
揺れた当座は、人々はこの世の営みの甲斐なさを思い、
欲望にまみれた心も洗われたかのように見えたけれど、
年数がたつにつれて、そんなことは口に出して言う者さえないと書いています。

今回はこの震災の教訓をいつまでも忘れず、
豊さの中で謙虚な生き方を保ち続けることが大切に思います。

その謙虚さを作るのが信じる心なのです。
また神仏を信じることは感謝の心も同時に培っていきます。
この意味でも、信じる心は大切な宝なのです。

ほんとうの宝 4 教えという宝

神仏の姿としての教え

神仏の姿を具体的に表現したのが、教えの言葉です。

神仏は見えませんが、その教えの中に生きていて、
その教えを学び実践していくところに、神仏が自分に重なり、力を与えてくれます。

教えにそって生きる時、人生の難問を解くことができ、
苦難や悲しみを乗り越えていくことができます。

その苦難や悲しみは教えによって生かされ、人の心の養いになっていきます。
教えはこの意味で、すべてを宝にする魔法の粉といえましょう。

誰よりも尊く価値ある一日

震災で行方不明の人は、15,237名(4月6日現在)もおられます。

その中に24才の未希さんという女性がいます。
彼女は宮城県の南三陸町で防災放送を担当していました。

3階建の防災対策庁舎も津波にのまれ、赤い鉄筋が無残に立ちつくすのみです。
未希さんはその2階で放送していました。

「6メートルの津波が来ます。非難してください」と呼びかけ続けました。
冷静で聞き取りやすい呼びかけが何度も繰り返されました。

昨年婚姻届を出して、今年9月には披露宴を予定していたそうです。

その放送で避難所へ逃げた女性は
「あの放送でたくさんの人が助かった。町民のために最後まで責任を全うしてくれた」
と語っています。

未希さんの名は、未来の未に、希望の希。未来に希望を持つという意味だそうです。

お釈迦さまの教え(『真理のことば』)の中に、

素行が悪く、心が乱れて百年生きるよりは、
徳行あり思い静かな人が一日生きるほうがすぐれている。

とあります。

冷静で聞き取りやすい放送をし、多くの人を助け、
自らは津波にのまれ、今もその生死が分かりません。

でも、お釈迦さまの言葉を信じれば、
この一日は、自分のことばかり考えて百年生きた人よりも、
何よりも代えがたい価値ある一日であったと思います。

そう思うと、命はもしかして失われてしまったかもしれませんが、
自らの命を賭して他を助けたその潔(いさぎよ)さは、後世に長く言い伝えられ、
人々の模範となるものでしょう。

私たちは、未希さんの名のように、
未来に希望を持ち、互いが思いやる心を忘れることなく、
被災地が一日も早く復興し、被災した方々が立ち直って、幸せを取り戻すことを、
心から念じて神仏に祈りをささげるものです。