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法話

大切な二つの命 3 心の命

先月は「身体の命」についてお話し致しました。
今月は続きで、もう一つの命、「心の命」についてのお話をします。

心の命に気づく

先月お話ししましたように、身体の命はよく分かると思います。
心臓が止まってしまえばなくなってしまう命です。

もう一つの命が、心の命です。
なかなか気づかない命ですが、この命がとても大切な、もう一つの命なのです。

私たちはさまざまな出来事に出会うと、
その度に、嬉しく思ったり、悲しくなったり、あるいは苦しみを感じたりします。

勉強を頑張るとか、あいつにはかけっこでは絶対負けないとか、
そんな思いがたくさん心の中からでてくると思います。
その思いは、実は心の命から出てくるのです。

ここで一つの詩を紹介しましょう。
長野県中野市にある小学校6年の女の子が作った詩です。

当時、春富(はるとみ)中学校でお話しした時、
すでに彼女は24才くらいになっていたと思います。

この詩は「しなの子ども詩集」の47号に出ていたものです。

持ちましょうか

おばあさんが歩いている。
重そうな荷物を持っている。
足がいたそうだ。
こしがいたそうだ。
声をかけようかな。
でも、勇気がなくて通りすぎてしまった。

すると、
心が
「ちょっと待って」
とさけんだ。
このまま歩いていってしまっていいのかな。
私は向きをかえて走っていき、
「荷物持ちましょうか。」
「ありがとね。」
荷物は重かったけれど、
私の心は軽くなった。

こんな詩です。

おばあさんが、重そうな荷物を持って歩いていて、足も痛そうなのが分かる。
声をかけて持ってあげようと思うのだけれど、勇気がなくて通り過ぎてしまった。

そのとき、心が彼女に語りかけたのです。「ちょっと待って」と。
この「ちょっと待って」と言っているのが、心の命です。

彼女は心の命から出て来た思いを受け取って、
勇気を出し、おばあさんの荷物を持ってあげました。

彼女自身まだ小学校6年生なので、大人のような力がなかったのです。
重い荷物を一生懸命持って、おばあさんを助けてあげました。

そして最後の方で、詩にこう書いています。

荷物は重かったけれど、
私の心は軽くなった。

この心が軽くなったというのは、
人を助けてあげられたという嬉しい思いの現れなのです。

重い物を持てば、心も重くなるような気がしますが、心は軽くなりました。

不思議ですね。喜びや楽しいことがあると、
ついジャンプをして飛び上がってしまうときがありますが、
心が軽くなったのは、心の命の喜びの現れなのです。

このように、身体の命と同じように、確かに、心の命もあるのです。

心の命の食べ物

先月身体の命を健康に保っていくために、
食べ物を取らなくてはならいというお話を致しました。

お米さんや野菜、ブタさんや牛さんの命をいただいて、
身体の命を生かさせていただいています。

同じように、心の命にも、食べ物がいるのです。
食べ物をいただいて、心も生きていると言ってもいいかもしれません。

食べ物にも良くないものと、悪い食べ物がありますね。
毒が入っているものも中にはあります。

秋になるとキノコを食べますが、キノコの中にも毒キノコがあって、
それを誤って食べ、中毒を起こす人もいます。

また毒が入っていると聞けば、その食べ物は食べないように注意します。

以前、毒入りのギョーザが出回りましたが、
そんなときには、そのような食べ物は、食べないように注意します。

同じように、心の食べ物にも、良い食べ物と、悪い食べ物があるのです。
心の命にとって良い食べ物と悪い食べ物を、挙げてみましょう。

良い食べ物
誠実さ・思いやり・優しさ・穏やかさ・人を信頼する思い・努力する思い
慈しみの思い・謙虚な思い・親切な思い・感謝する思い・学ぼうとする思い
など

悪い食べ物
欲張りな思い・悪口を言う思い・相手を疑う思い・嘘をつきだましたりする思い
自分勝手な思い・不満や不平の思い・人をさげすむ思い
など

心の命にとって良い食べ物を食べていると、心も健康で生き生きしてきます。
反対に悪い食べ物を食べていると、心も汚れ、
苦しみの多い時間を過ごさなければならなくなるのです。

悪い食べ物を食べた時

大阪でこんな事件(平成20年10月)が起こりました。

中学の3年生の女の子が無免許で車に乗り、
ひき逃げをして逮捕されたという事件です。

撥(は)ねられたのは58才の男性で、
車の底の部分にはさまれて、約180メートル引きずられたのです。
その男性は重傷を負ったといいますが、死ななくて良かったと思います。

身体の命は健康なのですが、この女の子は、
自分の心の命に、どんな食べ物を食べさせていたのでしょうか、
少し考えてみましょう。

まず、車に乗るためには、18才を過ぎなければならないのに、
乗りたいという欲求に負けてしまいました。
これは欲張りな思いを心に食べさせたからです。

次に人を撥ね、逃げてしまうというのは、
相手の痛みよりも、自分の都合を考えてしまっています。
これは、自分勝手な思いを心に食べさせているからです。

さらに、無責任な思いも心に食べさせています。
車に乗るためには、それなりの責任が伴います。
その責任を放棄していますね。

みんな毒キノコのような食べ物を、心に食べさせ、
それがもとで、誤った行動に出てしまっているのです。

こんなとき、心にどのような食べ物を食べさせてあげればいいのでしょう。

学校にも規則があるように、車に乗るにも規則があります。
それをちゃんと守るという心掛けが必要です。

それを別の言葉で表せば、「誠実さ」になります。

先月、最初の方で、誠実さのお話をしましたが、
この誠実さが心を健康に保ち、規則を守り、相手を思う、
心の力を発揮させるのです。

また人に迷惑をかけないという思いも必要になります。
これは思いやりの心です。

この思いを心に食べさせていると、
決してひき逃げのような自分勝手な行動にはでないでしょう。

さらにいえば、素直さの思いも、心に食べさせてあげることです。
人に迷惑をかけたなら、「すみません」という。
恩をいただいたら「ありがとう」と言える。

そんな素直さの食べ物も、
普段からビタミンのように、心に食べさせてあげることです。

偉人の心の命

アメリカ合衆国の16代目の大統領はリンカーンです。
彼は1863年、奴隷解放宣言をしました。

リンカーンがいつも心に食べさせていた食べ物は、

何びとにも悪意をいだかず

でした。

インドの独立の父と言われているガンジーは
非暴力、不服従主義で有名です。

彼の心の食べものは、

長い祈りにもみちた鍛錬(たんれん)によって、
いかなる人間も憎むのをやめた

です。

慎ましい気持ちで、今もそう思っていると、生前語っています。

リンカーンもガンジーも同じように、
相手に悪い思いや憎しみの思いをいだかないことを目標にしています。
それが心に食べさせていた食べ物であったわけです。

相手を悪く思うことや憎しみを思うことは、
自分の心を病気にさせ、正しい判断と行動をさせなくしてしまうのです。

不平不満の思いをずっと心に食べさせていると、
決して人として尊い行いはできないでしょう。

ですから、心に栄養を与えるような、
良い食べ物を食べさせてあげなければいけないわけなのです。

心と心でみなつながっている

心に良い食べ物を食べさせ、心の健康を保っていると、
相手の気持ちが分かったり、相手を思いやる気持ちが
しだいに大きくなっていきます。

それは心の奥底で、みなつながっているからです。
互いに分かち合えるというのは、世界中の人が、心と心でつながっているからです。

この身体は、さまざまです。
顔も身長もはだの色も違います。

でも悲しみは分かります。喜びも分かります。
苦しみも分かち合うことができます。
花の美しさも分かります。
音楽で通じ合うこともできます。

これらのことは、みな心と心が通じ合っているからです。
心が健康であれば、互いを理解し合って、仲良く助け合っていくことができるのです。

『私は日本のここが好き』(出窓社)という本があります。
この中に、さまざまな国の54人の方が、日本の良さを語っています。

そのなかでトルコ出身の、日本に滞在して1年あまりになる
トゥラン・ベルギンという女性が、日本に来て気づいたことが書いています。
お年は28才です。一部を引用してみます。

歴史を学ぶうちに、日本独特の文化に興味がわいてきました。

仏教とはどんなものかを知りたくて、
鹿児島のお寺にホームステイしたのもその影響です。

海外では、日本はテクノロジーばかりの国というイメージがあります。
でも、私の中に残った日本は、自然の美です。

季節の移り変わりの美しさ。
それを大切にする日本人の心。

夏の花火には、浴衣とうちわが似合います。
みこしをかつぐ健康そうな若者たちの顔は、自信に満ちていました。
阿波踊りには素直な感性が表れていると思います。

そして私がこの世のものとは思えないほど美しさを感じたのは、
桜が散る古いお寺の庭でした。

本当に涙が出るくらい美しい光景。
森山直太郎の歌う「さくら」が聞こえてきました。

こんな日本に対する思いを書いています。

桜は日本を代表する花です。
咲いているときも美しいのですが、散っていくようすも美しいものです。
彼女は散っている桜を見て、その美しさに涙が流れてきたといいます。

文化も教育もはだの色も違う異国で育った女性が、桜の美しさに涙しました。
これはみんな、心と心が通じ合っているからです。

そんな大切な心を、良い食べ物を食べさせて健康に保っていくことが大切なわけです。
心に悪い物を食べさせ、心にシャッターを下ろして、閉じこもってしまわないことです。

大切な二つの命 4 命を大切にする真の意味

今まで身体の命と心の命のお話をしてきました。

どちらの命も健康に保つために、運動や栄養のある食べ物を取り、
この身体の命を大切にしながら、リンカーンやガンジーがしたように、
心によい言葉を語りかけ、心の命を鍛えていく必要があります。

そして身体の命と心の命を使って、社会に貢献していくことです。
人の役立つ仕事をしていくのです。

それが真の意味で、命を大切にしていることになるのです。

中学校のある女性徒が、
『地雷ではなく花をください』(自由国民社)という絵本を読んだそうです。

そこには世界中で1億1千万個の地雷がそのままになっていて、
1時間に3人がどこかで亡くなったり、大けがをしていて、
その地雷がどこに埋まっているのか分からない。
だから早く地雷を取り除いて、
この地球に地雷ではなくて、花を植えましょうと書いてありました。

それを読んで、彼女は自分の少ないお小遣(こづか)いを寄付したといいます。

中学生のお小遣いはわずかなものでしょう。
でも、人のために役だって欲しいという思いは、命を大切にしている姿そのものです。

この中学生のように、また「持ちましょうか」という詩を書いた小学生のように、
自分の命を人のために使ってほしいのです。

それが命を大切にしていることであり、また人として優(すぐ)れた生き方なのです。