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法話

必要とされる人となる 1 すべてが必要としてある

明けましておめでとうございます。
今年も『法愛』を宜しくお願い申し上げます。

さて、1月のお話は、平成20年2月、女性部の理事会でお話ししたものです。
ずいぶん前になりますので、少し書き変えて、お話を進めてみたいと思います。

必要とされ、生まれてきた

私たちはこの世に偶然に生まれてきたのでしょうか。
もしそうであれば、「必要とされ、生まれてきた」などとはいえません。

偶然ですから、たまたま出会った男女が恋をして、
互いを認め合い結婚して、子どもを生みます。偶然のように思えます。

昔は子どもが生まれると、授(さず)かったといったものです。

授かるという意味を『広辞苑』で引けば、
「神仏や目上の人から貴重なものを与えられる」とあります。
子どもを授かる場合、目上の人でなく、神仏から与えられたことを意味します。

神仏から与えられたというのは、偶然ではなく、
何か必要があって与えられたという意味になりますね。

私はこの原稿をパソコンで書いています。この法話は原稿用紙16枚ほどになります。
1時間のお話であれば、大学ノート8枚ほどに鉛筆を使って下書きをし、
それをもとにお話を致します。

今あげたパソコンや原稿用紙、大学ノートや鉛筆は、
みな必要とされ、人の手で作られたものです。

違った言い方をすれば、
「人の手によって生まれてきた」と表現してもいいかもしれません。

ノートや鉛筆でさえ、必要とされて生まれてきたのですから、
非常に綿密にできている身体を持ち、深く考える力もある私たち人間も、
必要とされ、生まれてきたと思わずにはいられません。

ですから、みな「私は必要とされ、生まれてきた」と思うことが大切です。
親が勝手に生んだとか、過酷な条件で生まれてきたから、
神仏を恨(うら)むといったような思いはおやめになったほうがよいでしょう。

必要とされ、生まれてきた。ならばどう生きればよいか。
そう考えることのほうが、人生は豊になるのです。

必要とされる出会い

人間1人では生きていけません。
家族がいて、友がいる。仕事で出会う人もいる。

行きずりの人でさえ、「袖すり合うも他生の縁」といいます。
人と人とがちょっとした関わりをもつのも、前世からの縁によるものだという意味です。
それも必要とされる出会いなのです。

ある本に、32才の女性の方が、母にこんな手紙を書きました。

若い日あなたに死ねと言った。あの日のわたしを殺したい。

『日本一短い母への手紙』

死ねというのは、
あなた(お母さん)なんかいらない。必要ないという意味です。

若いころ言ったこの言葉が、切なくて、悲しくて、苦しくて、
そう言った時の私を殺したいといっています。

本当は必要で愛(いと)おしくて、尊いお母さんだったのに、です。
言われたお母さんは、きっと淋しい思いをしたことでしょう。
でも、この手紙をもらって、心が癒えたことでしょう。

「あんたなんか必要ない」と言われるほど、人は辛く思うことはありません。
そして言った本人も、空しい思いに打ちひしがれるのです。

それは自分も必要とされ生まれてきたのに、
それを知らずに、自分を自分で否定してしまっているからです。

人は必要とされて、強く生きられるのです。

互いが必要とされている

昨年の10月25日に作詞家の岩谷時子さんが97才で亡くなられました。

岩谷さんは、越路吹雪さんのマネージャーを30年ほどしながら、
作詞や訳詞もされました。

越路さんがまだスターになる前、お金があまりないので、
英文科を出ている岩谷さんに、外国の曲を訳してほしいと頼みました。

それを縁に、「愛の賛歌」や「ラストダンスは私に」などを日本語に訳し、
その歌が大ヒットしたのです。

作詞のことをまったく知らなかった岩谷さんは
それから、才能が開けて、加山雄三さんの「君といつまでも」や、
ピンキーとキラーズの「恋の季節」などたくさんのヒット曲の作詞を手がけました。

この作詞ができたのも、越路吹雪さんがスターになる前、
外国曲を本職に頼んで訳詞してもらえるほどのお金がなかったという理由で、
岩谷さんにお願いしたからです。

作詞と訳詞を合わせて3000曲以上作り、加山さんも
「僕の作品のすべてといっていいほど岩谷さんが作詩してくださり、
岩谷さんとお会いしていなかったら、今の僕はないと思いました」
と言わせたほどです。

互いが必要とされ、上手に絡み合って、人生が出来ているのです。
こうして見ると、人生にはひとつも無駄がないというのも分かります。

時には、「この人がなぜ私と共に暮らすのだろう」とか、
「この人がいなければ、どんなに楽かとか」
「この人さえいなければ、もっと幸せになれるのに」などと
思う時もあるかもしれませんが、そうではないのです。

すべてが互いに必要とされ、そこにいるのです。

そう理解して、相手の存在を大切に見、
そして私がどうすれば必要な人として生きられるかを考えるのが、
人生の醍醐味でもありましょう。

必要とされる人となる 2 必要とされる人となるために

相手の気持ちを理解する

必要とされる人間になるためには、何が必要なのでしょう。

1つ目が、相手を理解し思いやりの心を現わすことです。
2つ目は、していただいた恩を忘れないで、相手に役立つ人となることです。

人は自分のことを優先に考えやすいので、相手を理解するには力がいります。
常に相手を理解しようと思っていないと、なかなかできるものではありません。

スーパーやコンビニに並んでいる商品は、
みなお客様にとって必要なものが並べられています。
なぜならば、必要でないものは売れないからです。

商品はみなそうで、売れなければ、そこで働いている人は食べていけません。
食べていけないから必死でお客様の目線に立ち、
必要な商品を考えだしてはそれを売り、生計を立てているのです。

自分の生活に深く関わっているので、相手の気持ちをくみ取って、
商品開発や、お客様が喜び幸せになる品を揃えて売っているわけです。

お天道様が東から昇る有り難さ

あるいは、相手がとても困っているときに、
相手の気持ちになることは比較的たやすいものです。

東日本大震災があった平成23年3月11日、
津波の映像を見て、みな信じられない感覚に陥ったことは記憶に新しいことです。

そして全国から支援物資や、ボランティアに出かけ、
被災した人たちの手助けをしました。

また日本では、震災のような混乱があっても、略奪や犯罪行為がまったくなく、
その紳士的な日本人の行動を、多くの外国のメディアが各国に報道しました。

陸前高田にある私の知り合いのお寺さんも、少し高台にあったのですが、
山門まで津波が押し寄せてきて、境内に瓦礫や車がなだれ込み、
大変なことになったといいます。

ちょうどそのお寺は非難所になっていて、
地震が起こった後、何十人も非難してきたそうです。

地震の後、津波が来るというので、さらに高台にあるお墓まで逃げました。
そこで待機していると、誰かが「家が動いてる!」と叫んだそうです。

「嘘だろ!」と言ってお寺の下のほうを見ると、
津波で家が流されている様子を目の当たりにしたのです。
それを見て、和尚さんは驚愕(きょうがく)したといいます。

それから助けが来るまで3日の間、
お寺の残りものや、さらに高台にあった家のお米などをいただいて、
避難してきた人のお世話をしたようです。

その和尚さんの言うのに
「お天道様が東から昇り、西に沈む。
そんなあたりまえのことが、こんなに有り難いことはないと知った」
と言っていました。

また、檀家さんで小さい頃から坐禅会にきていた女の子が、
学校を出てやっと地元の役場に就職したのですが、
その役場も流され、亡くなったといいます。

その子のおじいちゃんやおばあちゃんは、
あまりの悲しみで、その子の位牌を抱いて寝、
涙でその位牌が濡れて、戒名の字もぼやけていたと聞きます。

そんな困難なことを聞けば、誰しもが相手の気持ちを察して、手助けをするものです。

普通の暮らしのなかでの思いやり

相手が困っているところを見て悪を犯す人もいますが、
相手の気持ちになって考える人のほうが多いと思います。

商品を売るために、儲けを一番に考えてお客様を騙す人もなかにはいますが、
多くの人はお客様に必要なものを作り、幸せになってほしいと思うものです。

普段の生活のなかでも、
自分のことばかり考えないで、相手の立場に立って生きていくことは、
必要とされる人間になる大切な考え方です。

最近、家内と健康のために30分ほど歩いているのですが、
散歩する途中に保育園があって、午後の4時ごろになると、
お母さんたちが車で子どもたちを迎えにきます。

私たちの歩く道は少し狭く、車が来ると道の端によけなくてはなりません。

いったん止まって、車をやり過ごすのですが、
車を運転するお母さんたちの中には、頭を下げてお礼を言って行く人あり、
何の意志表示もすることもなく行ってしまう人もありで、さまざまです。

お礼を言われようとは思いませんが、
頭を下げていくお母さんを見ると、近くで子どもが見ているので、
「道を譲ってくれたら、こうして頭をさげてお礼をいうのですよ」
と教える、よい機会であると思うのです。
頭を下げないお母さんは、よい教育の場を捨ててしまっているようにも思えます。

ここでのテーマにそっていえば、頭を下げて通り過ぎるお母さんは、
道をよける人の気持ちをくみ取ることのできる人であるのです。

普段の何気ない生活の中でも、
相手の気持ちを察して、思いやりの行動がとれれば、
必要とされる人になっていくのです。

恩を忘れず、こちらからさせていただく

必要な人間になるために、相手を理解し思いやりの心を現わすお話を致しました。
もう一つは、していただいた恩を忘れず、役立つ人になることです。

昨年亡くなられた方に「つる」という名の女性の方がおられました。
家族の人にどんな人でしたかと聞き、葬儀の時に次のようなお話をしたのです。

普段、何気ない生活のなかに家族のためにいろいろなことをし、
必要な人として生きられました。

ですから、みんな涙を流し、大切に送ってあげました。

つるさんは、この家を調え、家族のみんなの気持ちを大切にし、
先に逝かれた旦那さんを長い間、介護し、
たくさんのお孫さんやひ孫さんの笑顔に囲まれ、
飾らない、そして尊い努力が実って、幸せな日々を送られました。

つるさんという名を聞くと、日本昔話の「つるの恩返し」という話を思いだします。

命を助けてくれたつるが恩返しにと思い、きれいな娘さんに化身して、
助けてくれたおじいさんとおばあさんのためにやってきて、
自らの羽根を抜き、機(はた)を織って、高価な布を作り恩返しをする。
そんなお話でした。

つるという鳥は、白くてきれいで美しい鳥です。
そんなつるが天から降りてきて、この世に生を宿し、
やがて恩ある深い縁あって、この家に舞い降り、
自らの血と汗を流して努力し、家族のために、また多くの人のために働いて、
高価な幸せという織物を、みんなのために作ってくれた。そんな気が致します。

そんなつるさんのしてくださった事ごとを、家族のみなさんが語ってくれました。

いつも明るく元気でニコニコしていて、幸せをいっぱいくれてありがとう。
草取りや畑仕事、暑い日も寒い日も黙々と働いて、
その生きる姿に教えられました。

お茶の時間になると、みんなを呼んでくれて、お菓子もだしてくれ、
家族の団欒を作ってくれましたね。

車を運転し、あちこちに連れていってくれました。
感謝しています。

家に訪ねていくと、必ずお茶を飲んでと言って、人を愛する気持ちが深かった。
おじいちゃんが寝たきりになって15年、献身的に介護していましたね。

愚痴をこぼさず介護していたその姿勢に、人の生き方を教えられました。
「和」を大事にし、みんな仲良く和気あいあいと暮らせるように、
いつも気を配っていただきました。

思い返すと、たくさんの恩をいただいた私たちです。
感謝の思いを込めて言います。お母さん、おばあちゃん、今まで本当にありがとう。

こんなお話でした。

相手に役立つ人となったとき、必要とされる人となり、
みんなから「ありがとう」を言ってもらえる、そんな人生が開けてくるのです。