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法話

幸せを左右する言葉の力 4 いつも幸せになれる言葉

先月は、言葉が人生と深いかかわりを持っているというお話で、
その中でも、言葉が心の栄養素になっているということをお話しいたしました。続きです。

日々を省みる言葉をもつ

長野県の諏訪の人で、
私が書いた『精いっぱい生きよう そして あの世も信じよう』という本を読まれ、
それ以来この『法愛』を読んでくださっている方がおられます。

非常に勤勉な男性の方で、
達筆の筆のお手紙に添えて、毎月さまざまな資料を送ってくださいます。

その中に、遠藤実さんが思いつかれた「人生三十三言」という
「幸せが逃げていく十五言」と「幸福が訪れる十八言」を、
コピーして送ってくれたのです。

この三十三言は、
遠藤さんが書かれた『涙の川を渉るとき』という本の中に書かれていたようで、
そのとき遠藤さんの本を読んでいなかったので、
その本を探し求め、私も読んでみました。

遠藤実さんは作曲家で、「北国の春」や「夢追い酒」、「星影のワルツ」など、
多くのヒット作品を世に送り出した人です。

平成20年の12月6日に76才で亡くなられました。
そのときの新聞の切り抜きは取ってあって、ある新聞に、こうありました。

疎開先の新潟で少年期を過ごした。

2007年に出版した自伝「涙の川を渉(わた)るとき」には、
電気も天井もない掘っ立て小屋に、親子5人で暮らしたこと、
中学に行けずに就職したこと、拾った靴をはいて流しをしたことをつづっている。

小学校5年生で音楽の道に志し、
人家を一軒一軒回って歌い、お金をもらう門付けを16歳で始めた。

昭和49年の上京から苦節8年。
昭和57年の「お月さん今晩は」が転機になり、以後、曲作りの原点を
「人間には人生を映すフィルムがある。
そこに焼き付けられたい一コマ一コマを頭の中に再現して、
似合うメロディ―を探す」
と語っていた。

(朝日新聞 平成20年12月7日付)

大変苦労されているのが分かります。

そんな苦労の中で、歌作りに励みながら、人生で自分が気づいたことを
「幸せが逃げていく考え方と、幸福が訪れる考え方」にまとめて言葉に残したのです。
その言葉を日々読んでは、自らを省みるよすがにしていると本には書いています。

人生をよく見つめ、心の在り方の大切さを知っている遠藤さんであると、
この「人生三十三言」を読んで思います。

まさに、今回のテーマである「幸せを左右する言葉」です。
少し長いですが、参考のために、載せてみましょう。

幸せが逃げていく一五言
・不平不満が多く常に暗い人
・感謝の心を素直に表せない人
・嘘を重ね約束を守らない人
・自分をかばうために恩人を悪くいう人
・人さまに働く場所を与えられている事に気づかない人
・地位だけを欲しがり責任を他人に転じる人
・わずかな事を恩に着せ大きなお返しをのぞむ人
・人さまに与えることを惜しむ人
・自分をかばい過信して職をたびたび変える人
・自我を通すために暴力や裏取引を使う人
・意見を求められても堂々と答えられない人
・仲間はずれのときこそ反省と前進の機会だと思わない人
・愛と時と金銭を粗末にする人
・健康な身体をありがたと感じない人

幸福が訪れる十八言
・笑顔で朝を迎える人
・返事よく行動できる人
・自分の手柄を努力する後輩にゆずれる人
・人さまの喜びを心から祝福できる人
・物に生命を感じ大切にあつかう人
・働く汗を惜しまずに汗のあとのさわやかさを知った人
・まるい心、ひろい心、すきとおる心を養う人
・順調な時おごらず、低調なときくさらず、勝った時負け
た心をくみ取れる人
・礼を重んじ節を尊ぶ人
・原点を忘れず、ひがまず、ねたまず勉強する人
・好きなもののために馬鹿になれる人
・人さまの持ち物を欲しがらない人
・深い信仰心を生活の中に生かす人
・先祖父母恩人を心から敬う人
・見えを張らず素朴さを失くさない人
・世のため人のために心がける人
・うしろ姿から、また会いたいと思う余韻を残す人
・大自然の恵みに毎日感謝を忘れない人

『涙の川を渉るとき』日本経済新聞出版社から引用』

人さまのおかげ

「幸せが逃げていく十五言」のなかに、
「人さまに働く場所を与えられている事に気づかない人」というのが出てきます。

私もお寺の住職という仕事をしていますが、
この仕事も人さまに与えられているとは思えませんでした。
自分が厳しい修行を経て資格を取った職業だからです。

でも、よく考えてみれば、
人さまがいなければ「法愛」を書いても何の甲斐もありませんし、
読んでくださる人がいるので、こうして「法愛」を書かさせていただけて、
仕事をする充実感のようなものを与えられているのだと、気づかせていただきました。

遠藤さんの奥さんは、遠藤さんより先に逝かれたのですが、
最期のお別れの時に、奥さんが「あなた、幸せでした」とささやいたそうです。

そこで遠藤さんも
「おれも幸せだった。おまえのおかげで、いろんな歌を作ることができた。ありがとう」
と言ったら、奥さんが首を振って、
「違います。それは世間の、みなさまのおかげです」
と言ったといいます。

人さまから働く場所をいただいていることを思わせる、奥さまの悟り深い言葉です。

普段、食事を作ったり、掃除や洗濯、子どもの世話や、お年寄りの世話など、
家庭で行っている事ごとも、働く場所を与えられているのかもしれません。

そう思うと、つつしみ深く、その仕事をさせていただけるような気が致します。
そこから幸せが広がっていくのです。

うしろ姿の言葉なき言葉

「幸福が訪れる十八言」の中に、
「うしろ姿から、また会いたいと思う余韻を残す人」とあります。
うしろ姿に、また会いたいという余韻を残すことほど、
人柄の深さを思うことはありません。

このうしろ姿で思い出すことがあります。

平成22年の5月号だったと思います。
仏事の心構えで「直葬」(ちょくそう)のお話をしていて、
その6回目のとき、あるお坊さんのお話を載せました。

法華宗の129代管長様で、大塚日正(にっしょう)師の戒めの言葉です。
和尚さんがまだ小僧時代に師匠様から言われた言葉だったそうです。

僧侶たるもの、まず尊敬されなければならない!
尊敬されずして、どうして人を救うことができる。

人と相対した時、大概は手を合わせて、頭の一つも下げて頂けるであろう。
大事なのはうしろ姿。
去りゆくうしろ姿に向かって手を合わせ、頭を下げて頂いてこそ、本物の僧侶。

人々の為にどうあるべきか。
悩み、苦しむ人に向かって救いの手を差しのべられるか、
励まし、喜びを与えることが出来るか。
常にそのことを考えよ。

こんな戒めの言葉です。

うしろ姿に手を合わせていただける、そんな人の尊さを語っています。

私も枕経や通夜の時に、亡き方を見つめ、お経を読みながら思うのです。
「亡くなられて、みんなが集い、こうして手を合わせていただけるけれど、
大切なことは、生きている時に、こうしてみんなから手を合わせていただける、
そんな生き方が尊いのだ」
と。そういつも思い自分を戒めています。

しかもうしろ姿ですから、さらに難しいことです。
でも、こんな生き方をしている人に幸せが訪れるのです。

仏教が考える言葉の法則

お釈迦さまは、言葉についてはさまざまなことを説いておられます。
少し気がついたことをまとめてみます。

1、人の悪口を言えば、自分自身をその言葉で傷つけていることになる。
2、言葉によって、悪運や幸運を招く。
3、いつわりの言葉や、自分が言ったこととは異なった行いをすれば、死んで後に、地獄に堕ちる。
4、悪い言葉は、悩みを増す。
5、好ましい言葉を語れば、悪意を身につけることがない。
6、やさしい言葉は、自らの心を柔らかくし、相手の心を和ませる。
7、真実の言葉は不滅である。
8、仏の説く穏やかな言葉によって安らぎを得る。

さまざまな言葉の真実を語っています。
できるならば、よく学び、幸せになれる言葉を語ることが大事であると思われます。

悪口は自らも傷つく

1番の人の悪口を言えば、自分の心も傷つくとあります。

ここで大事なのは、相手の悪口を言っているときに、
自分の心が傷ついていることを感じとれるかどうかです。

悪口を言ったあとは、どうも後味(あとあじ)が悪いと思う。
心がすっきりしなくて、悪口を言ったことに後悔し
「あんなことを言わなければよかった」と思う。
「あんな言い方はよくなかった、私はまだまだ徳が足りない」と思う。

そんなときは、相手に言ったはずの悪口が、
実は自分自身をずいぶん傷つけていることになっているのです。

そんな思いを感じ取り、悪口を止める。
そうすると、運が好転してくるのです。

運には2種類あって、
悪なる思いには悪運が寄り添い、善なる思いに幸運が寄り添うのです。

悪なる思いが言葉になって表れ、そこに悪運がよってくる。
善なる思いが言葉になって、そこに幸運が引きつけられてくるわけです。

いつわりの言葉は悪に堕ちる

3番目にいつわりの言葉や、
自分が言ったこととは異なる行いをすれば、地獄に堕ちるとあります。

『法愛』を書いている私ほど、この言葉が当てはまる人はいないでしょう。

私自身が言っていることを行わないで、
今日お話している言葉とは異なった行いをすれば、私が地獄に堕ちるわけです。
ですから真剣勝負で、この『法愛』と取り組まなくてはならないわけです。

でも、救われることもあるのです。

先月「二つの心」という詩を載せましたが、
自分自身、穏やかな心なのか、乱れた心なのかと問いかけながら詩を作ります。

心が乱れてくると、この詩を思いだして、
「あんな詩を書いた本人が、心を乱してはいけない」という、
天の声が聞こえてくるのです。
そして、反省し、穏やかさを取り戻します。

この意味でも、自分自身が書いた文が、
自分自身を悪に入らせないようなブレーキになっていると思います。

できるならば、みなさんも『法愛』を読んで、自分を悪に入らせないよう、
そんな働きを、この『法愛』がしてくれればと願っています。

好ましい言葉が、幸せに導く

5番目に、好ましい言葉を語れば、悪意を身につけないと説いています。
34才になる女性の方が、こんな投書をある新聞に載せていました。
「卒業の季節到来で思い出す恩師の言」という題です。

毎年、この季節になると、
高校卒業を控え、先生から励まされていたころのことを思い返します。

私は当時、なかなか就職が決まらず、悩んでいました。
そんな中で書道の先生が私の目を見て、肩を両手でしっかりつかみながら、
「焦らないように。必ずあなたを必要とする所があります」と言ってくれたのです。
感激しました。

その後、先生の言葉を信じ、会社訪問を繰り返した結果、
希望した職に就くことができました。

今は遠くに住んでいますが、ぜひその時のお礼とともに、
お陰で幸せに暮らしていることを報告したいと思っています。

(読売新聞 平成21年4月2日付)

先生から「焦らないように。必ずあなたを必要とする所があります」と言われ、
その言葉を信じ、頑張ってきた。

好ましい言葉は、悪を退(しりぞ)け、幸せをもたらしてくれることを、
この投書からも知ることができます。

言葉には力があるのですから、幸せになれる言葉を多く使うことが大切です。
特に「仏の説く穏やかな言葉によって、安らぎを得る」とあります。

そのために、遠藤実さんの幸福になるための言葉にあったように、
「深い信仰心を生活に中に生かす」という、そんな言葉を心に身につけ、
生きていくことが大切だと思います。

思いが言葉に表れ、言葉がまた心を作っていきます。

どうぞ、普段の言葉使いに気をつけ、善い言葉を使ってください。
感謝の思いを告げる「ありがとう」の言葉、信仰心を内に秘めた、幸せの響きが感じられます。