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法話

心の認知症 3 心の認知症の症状について

先月は心が認知症になっていく原因をお話しいたしました。
続きです。

症状を考える

心の認知症になった人の症状はどうでしょう。

先月の心の認知症の原因のなかでも、その症状がたくさんでてきていましたが、
もう少し症状のほうに力点をおいて考えてみようと思います。

この症状とは病気の状態をいいます。

たとえば風邪をひけば、その症状は、
鼻水がでたり、咳が出たり、だるかったり、熱が出たりという症状でしょう。
その症状をみれば、どうも風邪をひいたらしいと分かります。

風邪の原因を調べてみると、
無理をして働き疲れがたまっていたり、寒いところに長くいたとか、
あるいは風邪をうつされたなどあるかもしれません。

この章では、原因のほうでなくて、症状のほうを考えていきます。
症状から、心の認知症になっているかもしれないと判断していくわけです。

忘れてしまう

身体に関する認知症の症状は、忘れてしまうということが1つあげられます。

ご飯を食べたことを忘れてしまう。
今自分がいるところを忘れてしまう。
身内の人が誰であるかを忘れてしまう。
息子や娘を見ても、誰か分からなくなってしまうわけです。

これと似たことが心の認知症にもあるわけです。

まず1つ目ですが、忘れてしまうということです。
何を忘れてしまうのでしょう。7

それは笑顔を忘れてしまう。
ありがとうの言葉を忘れてしまう。
やさしさや思いやりの心を忘れてしまう。
努力の大切さを忘れてしまう。
あるいは、自分の本来の生き抜く力を忘れてしまう。

このようにたくさんありますが、
人として大切な生き方を忘れてしまうという症状といえます。

これを症状といっていいのか分かりませんが、言い換えれば、
心が病に侵かされると、人は大切な生き方ができなくなるのです。

笑顔の力

忘れてしまう1つに、「笑顔を忘れてしまう」がありました。
軽い心の認知症かもしれません。

お寺に悩みで相談に来る方は、ほとんどの方が笑顔を失っています。

苦しいので相談にくるのですが、
その苦しみの中でも笑ってくださいとアドバイスします。

中にはこんなに苦しいのに笑えませんという人もおられますが、
それでも努力して笑ってください、とお願いするのです。

笑顔が消えた家庭は、決して幸せではありません。
家族の心に、相手を嫌ったり、不満に思ったり、互いを邪魔者扱いにする心があるからです。
そこからは、決して笑顔はでてきません。

笑顔は、人を美しくさせるとともに、幸せが住む場所でもあります。
笑顔の人や家庭に、幸せが住むのです。

「笑顔」という投書がありました。ある新聞に出ていました。
60才になられる女性の方の投書です。

笑顔

この春、四十年余勤めた仕事を定年退職した。

その間、2人の子供を育てたが、昨今のように育児休暇もない。
それでも産前産後休暇がきちんと取得できたから恵まれていた。

助けてくれる親族も近くになく、保育所頼みの厳しい子育てだったが、
親子とも健康に恵まれ乗り切った。
今はそれぞれ家族を持ち、自立している。

私の退職に際して32歳の息子が
「働く母への感謝状」と題して機関紙に一文を寄せてくれた。

その中で
「仕事をする母の笑顔に救われた。
どんな大変なときにも笑顔で出勤する姿に、仕事への責任感と厳しさを教わった」
と。

28歳の娘は還暦を祝ってくれた手紙の中で
「悪い娘になってやると思ったこともあったが、
母の底抜けの笑顔を見ると、こんなにも子どもを信頼している、
つらくても弱音を吐かない母に心配かけてはいけないと自分を戒めた」
と。

私が少女のころ、亡父に
「お前は顔が良くないが、笑顔が良い。この笑顔があればきっと幸せな未来がある」
と言われたことがある。

教えの通り、今とても幸せだ。

笑顔に生んでくれた両親と、
働く母を理解して立派に自立してくれた子どもたちへ
「ありがとう!」

(毎日新聞 平成17年7月6日付)

最後のほうで、笑顔に生んでくれた両親にありがとう、と書いていますが、
笑顔は、自分が努力して培ってきたものです。

でも、ここではそういわずに両親に感謝をしています。
幸せとはこのような謙虚な人のところに来るのです。

この投書を読むと、笑顔の力が、どんなに素晴らしいかが分かります。

もし、そんな笑顔の力を忘れているとするならば、
自分を振り返ってみて笑顔の素晴らしさを思いおこすことです。

心の認知症から脱することができましょう。

思いやる心

この7月7日に伊那市にあるイナッセという会場に、
接待マナー講師をされている清上綾子(さやがみあやこ)さんの
「おもてなしに商機」という演題での講演会があり、聞きに行きました。

清上さんは、
皇室や首相ら要人が外国訪問に利用する政府専用機に乗務していた
その経験を活かし、マナーの講師以外にもさまざまな活動を行っているようです。

政府専用機に乗務するのは、航空自衛官としての資格がなければできないようで、
自衛官として3年ほど、ご修行されたようです。

乗務員としての経験の中で一番心に残るのが、
天皇、皇后両陛下の乗務員として政府専用機でサイパンに行ったときだそうです。

その時のサイパンは40度もある暑い日で、
専用機から降りられてお仕事にゆかれた天皇皇后様のサイパンでの暑さを
清上さんは、とても心配されたようです。

日本に帰り天皇皇后様にお会いする機会をいただき、
何をお話ししてよいか、と迷っていたようです。

そのとき、皇后さまにお会いして、
サイパンで暑かったこと、その後お身体はどうですか、ということをお話したようです。

皇后さまは、あの時は風があって、そんなに暑さを感じなかったこと、
「それよりも、あなたのほうこそ暑くて大変だったでしょう」
と、清上さんのことを心配してくれたといいます。

「自分のことよりも、私の心配をしてくださる」
そう思った時、日本に生まれて本当によかったと思ったそうです。

皇后さまが清上さんのことを思い、心配してくれたことに感動したのです。
自分のことよりも相手のことを思い生きることの大切さを実感として学んだのです。

相手を思いやることができる。
こう思える人が、心が健康な人であって、
自分中心に考えて、相手のことを忘れ、
思いやる心を持てない人が、心の病にかかっているといえます。

そして、そのお話の中で、マナーの基本は「笑顔」であるといっていました。
これは基本であるけれども、究極のマナーでもあると語っていました。

相手を思いやること、笑顔を忘れないこと。
そうできない人が、心の認知症にかかっているといえます。

自分を忘れてしまう

少し難しくなりますが、
自分がどのような存在かを知らないのも、心の病にかかっているかもしれません。

あるいは、心とはどのようなものなのかを知らず、あるいは忘れて過ごしている、
これも心が認知症にかかっているからといえるかもしれません。

中国の孟子という人が、
自分の犬が逃げた時に、人は犬がどこに行ってしまったのかとすぐ探すのに、
自分を見失ったとき、探そうともしない。
そんな意味のことを言っていましたが、なるほどと思ったことがありました。

たとえば、鉛筆があります。
この鉛筆はどのような働きをするのかとか、どうして鉛筆があるのかを、
多くの人が知っていると思います。

紙に字や絵を書くためです。
そしてこの鉛筆がなければ、とても不便を感じるはずです。
鉛筆がどんな働きをするか知っているので、
充分にこの鉛筆を活用することができます。

自分自身はどうでしょう。
どんな働きをするのでしょう。
自分はどう活用していけばよいのでしょう。

それを知らないのは、鉛筆の働きを知らないと同じです。
自分を忘れている、あるいは自分を見失っているのです。

すでに自分自身の心の姿を8月号で、お話しました。
その本来の自分の心の姿、私自身のありようを復唱してみます。

まあるくて、真綿のように柔らかくて白く、きれいな虹のような光がでている。
そんな心をもっているのが本当の自分であるということです。

この心を、今までお話ししてきたことで、まとめると、

調和を喜び、やさしさと思いやり深く、素直で清らかで、
神仏(かみほとけ)の光を宿しているのが、自分の本来の姿である。

こう自分を表現できます。

この自分を充分働かせていくことが大事になるのです。
この本当の自分を忘れないで、生きていくことです。

心の認知症 4 心の健康を維持していくために

穏やかさの価値を知る

先月心の認知症になる原因は、
貪欲であり、怒りであり、愚痴であることをいいました。
そんな煩悩を鎮(しず)める1つの方法が穏やかさです。

穏やかな心になると、貪欲や怒り愚痴の思いが薄れていくのです。
薄れてきて、本来の自分の姿が浮き出してくるのです。

調和を喜び、やさしさと思いやり深く、素直で清らかな心、
そんな神仏の光に似た思いが輝きだしてくるのです。

まず、心の健康を守るために、今、心が穏やかであるのか、
それとも波立っていて、いらいらしているのかを見定めること
です。
この心の動きに気づくことです。

穏やかさが薄れてくると、煩悩が浮き出してきます。
すると心が煩悩で揺れ、波立ってきて、正しい判断ができなくなります。

先ほど清上(さやがみ)さんのお話を致しましたが、
そのお話の中で床の間の話がでてきました。

今風の家では、床の間を作る人はあまり多くはないかもしれませんが、
床の間には何を置きますかという質問をされたのです。

その時私は、床の間には仏様を置くと思ったのです。
清上さんの答えは、心を置くということでした。

お客様を迎えるのに、床の間に花を飾りますが、
その花に温かな心を置くわけです。
仏様を置くという私の答えと、そんなに違っていませんでした。

そんな心を置くと床の間で、静かに掛け軸を見ながら、
心を穏やかにして、静かな自分の心を置いてみると、自然と穏やかになってきます。

穏やかさは、それ自体、大切な宝であるのです。

心の学びを怠らない

次に心の健康で大切なことは、心の学びをするということです。

心の学びをする1番目は、法話会に参加するということです。

法話を聞きながら、
「感謝とは尊いことなんだなあとか、
笑顔が大切なんだ、自分を律することは幸せになるためには必要なんだ」
など、法話会に参加して、心の点検をするのです。

特にお寺の御堂に集って、仏様に守られながら、教えを聞くことは、
心の安らぎに通じていきます。

温泉にいって身体や心を休めるのもいいのですが、
み仏様に守られ、み仏様の教えを聞くことは、魂の唯一の安らぎなのです。

そしてそんな法話会に集えなくても、日々教えを紐解(ひもと)いて学んでいくことも、
心を健康にしていく大切な方法です。

先月の「月の言葉」は、

自分のことばかり考えていると 幸せが少しずつはなれていく

でした。

そんな言葉を心に染み込ませ、
「自分のことばかり考えないで、
夫や妻、子や父母、家族のことも考えてあげなくてはいけないなあ」
と、自分を戒めてみる。これだけでも、心が病にならない方法なのです。

その意味で毎月出している「法愛」を読むというのは、心の健康を維持する大切な方法です。
力あまる人は、さまざまな本を読まれて勉強するのもよいでしょう。

お釈迦様は、
「適当な時に教えを聞く」これがこよなき幸せであると教えています。

教えを聞いて、その教えに沿って人として正しい道を歩もうと決意する。
そう思える人は、心は健康で、人のために生きられる人です。

認知症のお話をいたしましたが、
身体的な認知症になっても、心は私がお話しした「まあるい尊い心」です。

ただ心の思いを伝える脳の機能が低下したので、
正しく自分の思いを伝えることができないでいるだけです。

本当の心と心の触れ合いが、難題を解決していくと思われます。