ホーム > 法愛 3月号 > 法話

法話

不幸を幸せに変える考え方 3 不幸を幸せに変える

今年も宜しくお願い致します。

さて昨年の12月号からの続きです。
これまで、さまざまな不幸の姿、
そして、そんな不幸を呼び込んでしまう考え方などをお話ししてきました。
このテーマについて3回目のお話になります。

相手を気遣う明るい言葉

不幸を思うと、みな暗くなります。
下を向いて、マイナスの事ばかり考えてしまいます。

そして不幸を思う人は、みな自分のことばかり考えている人が多いものです。
自分中心に物事を考えてしまうので、相手のことは考えらないのです。
相手のことを、自分中心に考えてしまうので、不満が出てくるのです。

そんなとき、相手のことを思いながら、自分が明るく変わっていくことです。
明るく積極的な言葉を思い浮かべ、口に出してみることです。

明るい言葉が、不幸を幸せに変えていきます。

丁寧な言葉を使うことで、夫婦の溝が埋まったという女性(59才)の投書を載せてみます。
「丁寧な言葉遣いで夫婦の溝が埋まった」という題です。

丁寧な言葉遣いで夫婦の溝が埋まった

夫が2年前に退職し、夫婦で過ごす時間が増えた。

毎日一緒にいると、
ささいなことから誤解が生じることが多くなり、
夫婦の間に溝ができた。

このままではいけないと思い、
少し他人行儀でも言葉遣いを丁寧にしてみた。

外出する時、「買い物に出かけます」と言う、
と夫から意外にも「気をつけていってらっしゃい」と優しい言葉が返ってきた。

夕食の時に、
「食事の用意ができました。すぐに召し上がりますか」
と声をかけたら、「いただきます」と素直に食べてくれた。

それから少しずつ、わだかまりがなくなった。

親しき仲にも礼儀ありという。
言葉遣いに心を配ることが、夫婦関係の修復に役立った。

(読売新聞 平成21年5月19日付)

こんな文です。

丁寧語は相手のことを大切に思って、出てくるものです。
この奥さんは、夫とのささいな誤解に不満を思う気持ちをおさえ、
丁寧語に言葉を切り替えたことで、幸せを呼び込んでいます。

丁寧語も明るい言葉の一つと考えてもいいかもしれません。
まず相手を気遣い、それを明るい言葉、丁寧な言葉に出して言ってみる。
そんな人が不幸を追いやって幸せを招き入れるのです。

小さな幸せを発見する

2番目に、小さな幸せを発見し、その幸せに満足することです。

意外に幸せに包まれている自分の環境に人は気がつかないものです。

ですから静かに立ち止まって、
自分のまわりにいる人や、自分のまわりにある物を、
慈しみの眼で眺めてみるのです。

こんな詩を発見しました。
「散歩道」という詩です。34才の女性の方の詩です。

散歩道

お地蔵さまは
立ち止まることの
大切さを
教えてくれる

野に咲く花は
ゆっくり歩めば見える
喜びを教えてくれる

幼子は
手をつないで歩く
幸せを
教えてくれる

(産経新聞 平成21年5月19日付)

お地蔵さまは野辺に静かに立っていらっしゃいます。
野に咲く花は、その場に静かに咲いて動きません。
幼子は、手をつなぐとゆっくり歩きます。

忙しい日々の中で、少し立ち止まって、自分のまわりの景色を眺めると、
また違った世界が見えるものです。

夫が急に倒れて入院し、生死を彷徨(さまよ)い、
今までのあたりまえのような生活ができなくなった。

どうしようと心配ばかりしていたけれど、なんとか命を取り留め、退院し、
子ども達と一緒に家族でお買い物に出かけられるほど回復した。

お店の駐車場に止めた車の廃棄ガスさえ、ありがたく思えた。
そんな女性がおられました。

日々のあたりまえのような生活の中に、幸せがたくさんあるのです。

できない理由を数えるより、できることを探す

3番目に、できない理由ばかり数えないで、
自分のできることを探し、努力することです。

それが幸せを作りだす方法です。
できない理由を探すのは簡単で、自分のできることを探すのには力がいるものです。
勇気もいりますし、努力もたくさんいります。
でも、できることを選び取ったほうが、幸せになれるのです。

スケートの鈴木明子さんが『壁はきっと越えられる』(プレジデント社)という本を、
今年の9月に出されました。そこには、こう書かれています。

3回転・3回転の連続ジャンプを飛べるようになったのは26才のとき。
この年齢で飛べるようになった女子選手は、おそらく世界で私くらい。
なぜ、私にそんなことができたのでしょう。

26才といえば、スケートではもう現役を退いてもいい年齢だそうです。
この本の中に浅田真央さんのことが書いてあります。

真央さんが小学校6年生ながら特例で全日本選手権に出場し、
そこで3回転・3回転・3回転のコンビネーションジャンプを飛んだとき、
マスコミは彼女を「天才少女」と絶賛しました。

彼女は決して才能だけで滑っているのではありません。

類まれな才能に加え、人並み外れた努力ができる。
それが浅田真央さんです。

そう書いてありました。

人並み外れた努力と書いてありますから、
その努力は想像もつかないことでしょう。

真央さんは小学校6年生で、3回転・3回転を飛んでいます。
鈴木明子さんは26才のとき飛べたのです。

「壁はきっと越えられる」という、この本の題のように、
「自分もできる」と、信じて頑張ったからでしょう。

そこから何ものにも変えがたい知恵を身に着けたことでしょう。
幸せになるためには、幸せを待っていてはえられないのです。

目標に向かって努力し、自分のできることをたんたんとしていく。
そんな生きる姿勢の中に、幸せは訪れるのです。

本の最後に、

カメのように歩みは遅くても、前に進むことをやめなければ、
やがて自分が目指していた場所に必ずたどりつく日が来ます。
一緒に、ゆっくり行きましょう。

こう書いています。

してもらう幸せでなく、してあげる幸せを

4番目に、してもらう幸せでなくて、してあげることで幸せを思う。
そんな考え方が不幸を幸せに変える考え方です。

川柳にこんな句がありました。

笑いじわ あなたがくれた 贈り物

夫婦の温かな日々を感じますね。

相手を笑顔にしてあげる。
そんな笑いじわは一度、笑っただけではできません。
何年もたってできてきます。

不満ばかりを思っていると、顔にはそんな不満のしわが刻みこまれてきます。
欲深な思いを持っていれば、そんなしわがでてきます。

「不幸ばかり」と嘆き暮らしていると、顔に不幸のしわがでてくるのです。

笑いじわができるほど、相手を思い、楽しく幸せにさせてあげた相手の人も、
この川柳を読んで、幸せになったことでしょう。

不幸をまわりのせいにしないで、自分の利点をみつける

不幸なことがあると、
それを自分の力不足であるとか、自分の努力の足りなさとか、
自分の不注意や勉強の足りなさであった。
そう思う人は、幸せになれます。

でも、自分の不幸をまわりの人の責任にし、
あなたがここにいるから私は不幸なのだとか、
あのときあなたが助けてくれなかったから、幸せになれない。
そう思っていると、いつまでたっても幸せになれません。

人は一人では生きられないことをよく知り、
支えられてきた日々を深く思いながら、自分の利点を生かし、
与えられた自分の壁を、自分の努力で乗り越えていくことです。

そんな姿を見て、家族や知人が、
「あなたは偉いね」と言って、優しい手を伸ばしてくれるのです。

不幸をまわりのせいにしないのは、大変なことですが、
誰しもが苦労をし、その苦しみと闘(たたか)い、生きています。

そんな人の姿をよく見、学び取って、生きる。
それがまた幸せの道を歩んでいるのだと思います。

必ず、大いなる存在が見えないところで、共に泣き、共に喜んでいてくれています

不幸を幸せに変える考え方 4 永遠の視点からこの世を見る

不幸を幸せに変える原動力

私たちはみな、この世に生まれてこうようと、
自分で意志し考えて生まれてきました。

この世は楽しいこともありますが、苦しみの多い世でもあります。
ですから、仏教では、この世を濁世(じょくせ)と言って、
心の汚れやすい世と表現しているのです。

苦しみでもがき、不満や不平を思って心を汚すのです。

この世限りであるという認識では、いつまでも不幸から逃れることはできません。
私たちはみな永遠の生命を持ち、現代のこの日本に生まれ、この世で多くを学び、
その学びを心を高める栄養素にして、死を受け取り、
あの世の自分の住まいに帰っていくのです。

そんな視点を考えの中にもっていると、不幸を幸せに変える原動力になっていきます。

強く生きていける

ある方の一周忌のとき、あとの食事の席で、
1人の女性が挨拶にこられ、葬儀の時のお話を覚えていて、
「和尚さん、本当そう考えると、強く生きていけます」と語ってくれました。

それは「この世にみな学ぶために生まれて来た」というお話でした。
名前を伏せて載せてみます。

ここに○○さんは数えで90年の生涯を閉じられました。

心あたたかな人で、
よく人の面倒を厭(いとわ)ずにみて、みんなから好かれた人でした。

しかもよく学ばれて、知恵深い人でもありました。

人はこの世に、学ぶために生まれてきました。
ある時は優しさを学び、あるときは耐え忍びを学び、
また創造することを学んだり、さまざまです。

○○さんは、仕事をしながら家族を守り子を育て、
そのなかで優しさを学び、また厳しさや、耐え忍びも学んだことでしょう。

そして創造することの学びの1つとして、水墨画がありました。
達磨さんを描き、観音様を描き、逝く時には、
その自分で描かれた達磨さんや観音様の掛け軸を床の間に飾ってもらい、
仏様に守られ逝かれました。

生前、観音様を描かれているときには、
写経と同じように、心を正して、描かれてことでしょう。
禅的に言えば、きっと心の中に、自らの観音様を感じ取り、
その姿を絵に写し取ったといえるかもしれません。

床の間の観音様の絵が、○○さんを送ってくれたように、
家族のみなさんが、書いてくれた「故人を偲ぶ言葉」をお読みし、
感謝の思いを込めて、送ってさしあげましょう。

 優しい人で、子どもの私たちを叱ったりすることはありませんでした。
 芯が強く、弱音を吐くことのない父でした。
 ゲートボールや水墨画など趣味を楽しむことで、
 遅い青春時代を楽しんでいました。

 おじいちゃんからは「一生できる技術を身につけなさい」と言われ、
 休むことなく専門学校に通い、勉強も頑張ることができました。
 この言葉を胸に頑張っていきます。
 おじいちゃんの温厚な姿が大好きです。
 いつも優しく気をかけてくれてありがとう。
 おじいちゃんが亡くなって、おじいちゃんの有難さが、いっぱい分かりました。

 元気で働くことが大好きなおじいさん。
 お世話になりました。頼りがいのあるおじいさんでした。
 おじいちゃんに「思いやりの心」という言葉を贈ってもらいました。
 この言葉を忘れないで、みな仲良く頑張ります。
 長い間ご苦労様でした。そして、本当にありがとうございました。

この○○さんは、この世で大切な学びをして、
あの世の住まいに帰っていかれました。

家族の思いを読むと、いい人生を生きたと思います。
幸せを自分の手で作り上げ、みんなに惜しまれて逝かれました。
この方の生き方の中にも、幸せになれる尊い考え方が、たくさんあります。