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法話

積極思考の力 1 さまざまな思い

今月から「積極思考の力」というテーマでお話を致します。

このお話は、平成23年5月9日の法泉会という法話会でお話ししたものです。
5年ほど前なので、少し書き加えながら、お話を致します。

私たちは心である

積極的な考えを書いた本は、世にたくさん出ています。

その中でイギリスの哲学者、ジェームズ・アレンという人の書いた
『「原因」と「結果」の法則』(サンマーク出版)があります。

書かれたのは1902年ですが、日本で出版されたのが2003年です。
もう100年以上前のことですが、古くなっていません。

このシリーズは数冊にもなっていますが、その第1冊目にこうあります。

心は、創造の達人です。

そして、私たちは心であり、
思いという道具をもちいて自分の人生を形づくり、
そのなかで、さまざまな喜びを、また悲しみを、
自ら生み出しています。

私たちは心の中で考えたとおりの人間になります。
私たちを取りまく環境は、真の私たち自身を映し出す鏡にほかなりません。

こう最初のページに書いています。

またアイスランド出身で、特にアメリカで活動したジョゼフ・マーフィーという人も
光明思想や成功法則を語り有名です。

『マーフィーの成功法則』(産能大学出版部刊)の中でこう語っています。

「あなたの人生はあなたの心に描いた通りになる」という人生の法則です。

あなたの現在はあなたが過去に考え、いまも考え続けていることの総体であり、
あなたの将来も同様です。

ここには、どう思い、どう考えていくかで、
自分の人生が作りだされてくると書いています。

どのように心の思いをコントロールし、
前向きで積極的な思いを出していったらよいのか、
そんな考えが人生を幸せに変えていく。
そんなことを共に考えていきたいと思います。

とらえ方の違い

年に2回ほど、「口と足で描いた絵」という所から、封書がきます。
その中に、カタログと、上手に描かれた絵葉書が10枚ほど入っています。

手紙には

カタログからの注文がない時にも、
お送りしたものをお気に召し、お買い上げくださるのなら、
障がい者が自立を目指す活動の大きな力となってくれます。
ご協力いただければ、大変ありがたく存じます。

と書かれていました。

この文章を読んで、
困っているのなら志を振り込もうと、2千円ほど送りました。

ある会合で、この「口と足で描いた絵」に話題が上り、
ひとりの人が
「みんな、あの口と足で描いたというのが送ってくるでしょ。
あれは詐欺だよね。あんなのを送ってくるのはおかしい」
と言ったのです。

このとき、
「人にはいろんな考え方、とらえ方、思いがあるんだなあ」
ということを思ったのです。

詐欺という言葉がでてきたのですが、
こんな素敵な絵を描く人たちだから、詐欺ではないんじゃないかと思ったのです。

そこで、送ってきたカタログの中にある文章をよく読んでみました。
浦田愛子さんという女性の写真が載っていて、足で絵を描いているのです。

この浦田さんは生後1年で先天性の脳性小児麻痺にかかり
両腕が麻痺して上手に動かないのです。

6才のころから両親に足で絵を描くことを教えてもらい、
絵を描くようになったのです。

幼いころから絵が好きで、18才からイラストやレタリング、水彩画を勉強し、
29才から油彩画を学んだそうです。

絵はこの世に存在する証(あかし)で、自分の天命だと思っています。
そう彼女のコメントが載っていました。

「絵を描くことがこの世に存在する証で、自分の天命と思う」
その思いが尊く思われました。
ひとつの積極思考ではないかと思います。

この文章を読んで、少しですが振り込みをしてよかったと思ったのです。

良い絵を描き続けていきたいという思い

口で絵を描く人で有名なのが、星野富弘さんです。
もう70才になられます。

24才ころ先生として生徒を体育の授業で指導しているとき、
不慮の事故で、手足が動かなくなって、口で絵を描くようになり、
その絵に詩をのせて、多くの人の心をうったのです。

生まれた群馬の地に、平成3年、みどり市富弘美術館が立てられました。
縁があって、私もその美術館にいくことができましたが、
口で描いた絵と詩が美術館になってしまうのは、
星野さんにも、何か尊い使命があったのでしょう。

この口あるいは足で絵を描くというのは、
手が普通に動く人にとって理解するのは難しいことです。
それがどんなに大変か、昨年送られてきた「口と足で絵を描く絵」のカタログに出ていました。

築地恵美子さんという方の履歴と口で絵を描く大変さを載せていたのです。
この築地さんは、25才のときに登山中に転落事故にあって、
両手両足がマヒ状態になってしまったのです。

入院、手術、2年後にリハビリのための一環として
口にサインペンをくわえ、絵を描き始めたのです。
その様子を、こう語っています。

幼い頃から、絵を描くのが好きでした。
ところが、突然の事故で手が使えなくなってしまいました。

それでも、ペンを口にくわえながら何か描けるような気がしたのは、
今思えば不思議な思いつき。

しかし、いざ口にペンをくわえてみると、
起き上がれないほど激しい筋肉痛で、とても何か書くどころではありません。

何度挑戦しても線1本ひけないもどかしさに涙し、
このまま続けても無理だとくじけそうになりながらも、
あきらめきれず練習を重ねていたら、少しずつ字や絵が描けるようになりました。

これからも、こうして描けるようになれた幸せを伝えて行けたらうれしいです。

こう書いています。

この文章の見出しは「良い絵を描き続けていきたい」です。
この思いが、彼女を支えています。

さらには、「こうして描けるようになれた幸せを伝えていきたい」と言っています。
この思いはとても積極的で、教えられるものがあります。

小さな思いに心を乱される

とても高貴な思いをお話し致しましたが、
日常の私たちの思いを省みると、小さな思いに心乱されることが多々あります。

たとえば寒い、暑いと思う。
これは普段よく思うことです。

あるいはこの食べ物はおいしい、まずい。
この品は高い、安い。
これはきれい、汚い。
今日は眠い、眠れない。
おなかが空(す)いた、空いていない。
この頃忙しい、暇だ。
面白い、面白くない。
好きだ、嫌いだ。
優しい、優しくない。
ありがとうを言った、言わない。

こんな思いが心の中に広がって、
迷いを引き起こしたり、不満になる原因になっていきます。

初めに挙げた、「寒いと暑い」を考えてみます。

今年はずいぶんあたたかで、花も例年より早く咲きました。
暖かくなるのは良いのですが、それが、酷暑が続くと不満が出てくるのです。

生前、母が畑仕事をしていて、野菜のことを思っては、
暑い日が続くと、「雨が降らないかな」と悩み、
雨が続くと「天気にならないかな」と言っていたのを思い出します。

あるいは、最近は葬儀もホールでするようになり、
夏は涼しく、冬は暖かな室内で儀式をするので、とても楽になりました。

以前は自宅で行う葬儀が多く、
冬でも戸を開け放っての葬儀でしたので、寒くて大変でした。
夏は冷房もなく、着物を着て、衣をつけ、その上から袈裟をつけての儀式なので、
暑くてたまらず、つい「暑いい!」と、愚痴が出てしまうのです。

それに比べホールでの儀式は快適なのですが、
私自身は冷房に弱いので、
儀式のさなか、上から吹いてくる冷たい風に、苦しくてたまらないのです。
そこで「寒いい!」と不満が出て、心が乱れるのです。

こんな暑い、寒いということだけで心が乱されていくのです。

思いが形を作りだしていく

寒い、暑いというお話をしましたが、
寒さの場合、私たちはさまざまな工夫をして、寒さを凌(しの)ぎます。

寒いから火をたこうと思う。
寒いと思うので、火をたくという行為がでてきます。

あるいはストーブやこたつを出そう。
外に出るときには、少し厚着をし、コートを着よう。
そう思います。

ただ着るだけでなく、服の形や色合いも考えて出かけようと思います。
その服を作る人がいて、売る人もいます。

寒い冬を好む人は、
スキー場に出かけては、スキーやボードを楽しむかもしれません。

寒いという思いひとつ取ってみても、そこからさまざまな形が現れ出てきます。

暑い、はどうでしょう。

暑いからクーラーを入れる。
うちわで扇(あお)いだり、扇風機のスイッチを入れる。
風鈴をつるして、その涼しい音色を聞いたり、
浴衣を着て、夕涼みをする。かき氷を食べたり、
海に出かけては、海水浴をする。

この場合も、うちわを作る人がいて、浴衣やかき氷を作る人もいます。
クーラーや扇風機も人が作ったものです。
今ではその扇風機もさまざまです。
暑いという思いから、その思いを和らげるためにできた物です。

このように思いが広がって、
さまざまな物ができたり、さまざま行動につながっていきます。

それは初めに思いがあるからです。
思いが形になって現われてくるのです。

思いは自在である

この思いは距離を瞬間移動できます。

これはどういうことかと言いますと、
一度行った場所を思い出すことができます。
思い出すことができるというのは、瞬時にその場に移動したことになるのです。

少し難しいと思いますが、
ある場所を思い出し、その場所を思い描けるというのは、
言葉を換えて言えば、そこに瞬時に思いが出かけていったともいえるのです。
思いには、そんな力があるのです。

昔、本山の命で、九州は長崎県の小値賀町(おしかちょう)にあるお寺さんに
お話に行ったことがあります。

そこは五島列島と言われるところで、
地図で見ると、五島列島の上のほうに位置します。

名古屋を午後5時34分発の新幹線に乗り、博多へ8時39分に着きます。
博多からタクシーで博多港に行き、そこを9時30分発の船に乗るのです。
船の中で睡眠を取り、お寺さんのある小値賀(おしか)に午前4時50分に着きました。

船を降りると、和尚さんが待っていてくださり、旅館へ案内され
そこで8時ごろまで休み、朝食を頂いて、お話に出かけました。

少し不安のある旅でしたが、初めていく五島列島は、今でもはっきり思い出せます。
ですから、思いは一瞬に五島列島の小値賀の港に行くことができます。
不思議な思いの力です。

坐禅瞑想では、本堂の屋根の上で坐禅をしたり、
月に行っては坐禅をしたり、そこから地球を見ることもできます。
空を飛んで、雲の流れに身を任すこともできます。
思いには、そんな力があるのです。

あるいは肉体は年を取っても、心の思いは年を取りません。
いつも若いと思っていれば、肉体年齢に関係なく心は若いままです。

私は還暦を過ぎましたが、心では30代ぐらいと思っています。
年を重ねると、身体の不調が目立ってきます。

それに従って、心も年を取っていくように思えますが、
どうもそうではないらしいのです。

心の若さを失わない

いつものように、投書を紹介します。
65才の男性で「ああ無常」という題です。

「ああ無常」

昨年の12月に65歳の高齢者になった途端、ハプニングが相次いでいる。

その1 電車の中で、女子高生に初めて席を譲られた。
心から礼を言って座ったが、
「オレもそんな年になったか」と複雑な気持ちになった。

その2 理髪店で年齢の話になった。
30代の女性理容師さんが、「70歳くらいですか」と聞いてきた。
「60代です」と答えて苦笑した。見た目よりも若く言ってくれただろうが。

その3 妻と買い物をしていたのを見かけた妻の友人が後日、
「一緒にいた人は義父ですか?」と妻に聞いたという。

その4 コンビニ店に入った時のこと。
「牛乳どこかな」と探していたところ、同年配とおぼしき女性から、
「おじいさん、おじいさん、こっちにあるよ」と言われた。

その5 92歳の母の定期検診に付き添って病院の待合室にいた。
マスクをしていた私を見て、隣に座った人が母に、
「この人はだんなさんですか?」と尋ねてきた。

ああ無常・・・。

白髪に精気のない顔つきと地味な服装などからそう見えるのだろう。
当人は大ショックだ。

これからは、身なりと姿勢に気をつけよう。
何よりも心の若さを失わないよう、前向きに、毎日はつらつと生活しよう。

「おじいさん」には負けないぞ。

(毎日新聞 平成23年4月4日付)

こんな投書です。

65才なのに、92才のお母さんの旦那さんに間違えられるところは驚きです。

最後に「心の若さを失わないよう、前向きに」と書いています。
こう思うと、しだいに若さを取り戻していきます。
この前向きの思いは、今回テーマ「積極思考の力」といえます。

心の思いはさまざまですが、その思いに心乱さず、
不思議な思いの力を正しく使っていく必要があります。

私たちは心の中で思い考えた通りの人になるのです。

(つづく)