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法話

積極思考の力 2 さまざまな思いに翻弄されない

先月は「さまざまな思い」というテーマでお話を致しました。
そこで特に重要なのは、「私たちは心である」ということと、
「人生は心に描いた通りになる」ということです。
続きのお話を致します。

あらゆる思いが心の中にある

私たちの心には、さまざまな思いがあります。
二つに分ければプラスの思いと、マイナスの思いになるでしょう。

マイナスの思いは、
怒りの思い、人をさげすむ思い、
不満や不平を思ったり、欲深な思いに嫉妬の思い、
あるいは神仏を信じない、そんな思いもマイナスの思いに含まれるでしょう。

プラスの思いを言えば、
やさしい思い、おもいやりのある思い、慈しみや愛の思い、
向上しようと思うことや善を積もう、人の役立つことをしたい、
神仏を信じたい、そんな思いもあります。

不思議なことですが、
誰しもが、この両者の思いを持っているのです。

よく怒る人でもどこかにやさしい思いがあり、
やさしい人でも理不尽なことをされれば怒りの思いもでてきます。

これらは、みんな持っている思いですが、
どの思いを一番大切に思い、行動としてその思いを出していくかで、
その人の人格や人柄が決まってくるのです。

2つの思い

思いによって、人格や人柄が決まってくるのみならず、
この思いによって、幸せと不幸を分けてしまうこともあります。

積極的でプラスの思いは、成功を得て幸せの道を歩んでいけますが、
マイナスの思いを出し続けていると、人がしだいに離れ、
仕事もうまくいかなくなってきます。

ここで、両極端の2つの思いを挙げてみます。

まず、マイナスの思いをあげてみましょう。

①私はダメな人間だ。
②何をやっても上手くかない。
③ああ、また嫌な人と会わなくてはならない。
④どうせ、バカにしているんでしょ。
⑤人生なんて苦しいことばかり。
⑥こんな目に遭うのは、社会やあいつがいけないからだ。
⑦こんなにしてあげているのに、分かってもらえない。

プラスの思いはどうでしょう。

①私にも、きっとできると思う。
②何をやっても大丈夫。失敗も学びにしよう。
③嫌な人だけれども、あの人にも家族がいて、どこかいい所もあるかもしれない。
④みんな、私のことを心配し支えてくれている。
⑤人生、冷静に思えば、楽しいこともたくさんある。
⑥こうなったのも、私の責任かもしれない。なんとかもう一度、努力してみよう。
⑦何事も、させていただけてありがたい。

この中でたとえば、マイナスの思いの⑦は、
「こんなにしてあげているのに、分かってもらえない」です。
誰しも経験したことがあるでしょう。

この場合、相手もそう思っている確率が高いと思われます。
「私は私なりにこんなに努力している」と相手も思っているのです。

互いの気持ちは合わせ鏡と言われるように、自分の思っていることは、
相手も、同じように思っていることが多いものです。

ですからこの場合、プラスの思いの⑦にあるように、
「何事も、させていただいてありがたい」と、心の思いを変換していくと、
相手もやがてそうなっていく確率が高くなり、知らず幸せが舞い込んでくるのです。

「やらされている」から「やってあげたい」

プラスの思いを出すことによって、幸せになれるひとつの投書を挙げてみます。
73才の女性で「夫の調髪40年 気持ちに変化」という題です。

「夫の調髪40年 気持ちに変化」

クシとハサミで夫の調髪をするようになって40年になる。

結婚して間もない頃、
「理髪店で待たされるのが嫌だから、家でやってくれ」
と頼まれたのがきっかけだ。

経験のない私は強く拒んだが、
「俺がだらしないと、笑われるのはお前だ」と理不尽なことを言う。

そして、上達してくると、義父が「俺もやってくれないか」

エエッ。
だって、おとうさんの髪形はドーナツ状になっていて、
上の方がピッカピカじゃない。と思いつつ、なんとか仕上げたものだ。

12年前、夫がくも膜下出血で倒れ、後遺症が残ってから、
私の気持ちは「やらされている」から「やってあげたい」に変わった。

今、夫の頭は義父と同じになっている。
息子の調髪もしているが、大量の髪は昔の夫とそっくりだ。

先日、息子が地震の被災地、岩手へボランティアをしに行くことになった。
髪を切ってあげ、「頑張ってお役に立ってきなさい」と送り出した。

(読売新聞 平成23年5月18日付)

「やらされている」と「やってあげたい」という2つの思い。

「やってあげたい」という思いに変わったら、
投書の女性の心が穏やかになり、幸せそうに見えます。

「やらされている」という思いに翻弄されないで、
プラスの「やってあげたい」という思いが、幸せを引き寄せています。

さまざまな出来事に翻弄される

このように、ひとつの思いによって幸せになれたり、不幸になったりします。
ですから、思いを自由に遊ばせないで、心の思いに自分が翻弄されず、
上手く自分の思いをコントロールしていくことが大事になるわけです。

普段の出来事で、
自分の外側からやってくることで、それが不満の思いにさせたり、
逆に感謝の思いになったりして心が動くことが多いものです。

たとえば、何か人にしてあげて、
「ありがとう」の言葉がいただけなかったりすると、
不満の思いがふっと湧き出てきます。

そんな事が何度も重なっていくと、相手への信頼が薄れ、
そこから諍(いさか)いが始まってきます。

今年の5月の末に東京都新宿区で、
帰宅途中の会社員男性が男に刃物で刺され、重症を負う事件がありました。
傘がぶつかり口論になったのです。

どちらか一方が、「すみません」とか「失礼しました」と言えば、
納まったことでしょう。

傘にあてられて、不満に思い、それが刃物で相手を刺すまでになったのは、
マイナスの思いに翻弄されてしまった結果です。

江戸の商人の実践哲学として「江戸のしぐさ」が有名です。

その中にさまざまな礼節が説かれていて、ひとつに「傘かしげ」があるようです。
江戸の細い路地はだいたい2mぐらいで、雨の日に、傘をさしてすれ違う時には、
お互いに傘がぶつからないように、雨水がかからないようにと、
互いに傘を外側に傾けてすれ違うマナーです。

雨の日に、こんなマナーを実践していれば、
心の乱れもなく、互いが感謝の思いで通りすぎることができます。

褒め言葉とけなす言葉

人は相手の言葉によっても、
ずいぶん心が乱れたり、逆に生きる力をいただけるものです。

昔、山梨県のあるお寺さんにお話に行ったことがありました。
そのお寺さんの隣には、幼稚園があって、私がお寺に行く階段を登っていくと、
園児たちがちょうど庭で遊んでいて、私を見るなり、「はげ坊主!」と叫ぶのです。

「お寺さんの隣(となり)にあるのに、教育の行きとどいていない幼稚園だ」
と思いながら、その園児の言葉に翻弄されてしまう私でしたが、
笑顔で思い切り手を振ってあげると、その園児たちも笑顔を返してくれました。

逆に、「立派なお坊さんですね」と言われれば恐縮して、
もっと頑張らねばと思うものです。

俳優で笹野高史(ささのたかし)さんが、
ある新聞の「私の先生」の欄に書いていたことが印象的に残っています。
要点をまとめてみます。

心に残っているのは、高校1年の国語を担当してくださった浜本宏子先生です。
当時20才前半で、学校のアイドル的存在でした。

僕(笹野さん)は、あまり成績が良くなかったのですが、
2学期に国語の試験で奇跡的に80点を取ったのです。

そうしたら、授業の終わりに呼ばれて、廊下で2人で肩を並べて、
「笹野君、やればできるじゃない。偉いわ」って褒めてくれたんです。
「はい」としか言えませんでしたが、うれしかったなあ。

秋の体育祭でも、クラス対抗リレーに出場したら、
「足が速いのね」って感心してくれました。

僕は11才の時に両親を亡くして、
誰かが僕を見てくれて、褒めてくれるということが全くなかったのです。
先生の言葉がうれしくて、心に刻まれました。

たった1年で結婚して転勤すると聞いた時は寂しかったですね。

(読売新聞 平成23年6月8日付)

今まで褒めてくれる人がいなくて、初めて先生に褒めてもらって、
それがうれしくて心にずっと残っていると言っています。

先生への思いは純粋で、
笹野さんも人を褒める思いの大切さを、ずっと持たれているのでしょう。

笑われてもプラスの思い

野球選手のイチロー(42才)が、
ピート・ローズ氏の持つ、米大リーグ歴代最多記録である4257安打を達成しました。

日米通算なので、ピート・ローズ氏本人はあまり評価をしていないようですが、
成し遂げた6月15日(日本では16日)でのスタンドの観客は総立ちして祝福しました。

イチロー自身、記者会見はしたくなかったようですが、
どうしてもとお願いされたからと答えていました。
その中で、こんなことを語っていました。

僕は子供のころから、
人に笑われてきたことを常に達成してきているという自負がある。

たとえば、小学校のころに毎日野球を練習していて、
近所の人から「あいつプロ選手にでもなるのか」と、いつも笑われていた。

アメリカに行く時も「首位打者になってみたい」。
そんな時も笑われた。でも、それも2回達成した。

そして自分自身の運の強さについて、
ローズ氏の記録を超えた9回、前打者の内野ゴロが併殺打とならず、
5打席目が回ってきたことに、

(運の強さ)それは言うまでもないでしょ。
それは僕が持っていないはずはないですから。
あそこでダブルプレーはないと思っていました。

こう語っていました。

笑われても卑屈にならず、前向きに努力を重ね、
たくさんの記録を作ってきました。

その思いは、
まわりから笑われることに翻弄されることなく、常に前を向いて努力してきた、
イチローの心をコントロールできる偉大さにあるのだと思います。

さらに自分の強運を確信しています。

人は弱気になりやすいものですが、
運の強さを自分は持っていると言い切っているところが、
また積極思考の力を持っているのだと思われます。

さまざまな出来事で、心の思いが翻弄されない、
よき教師としての生き方がそこにあります。

心の中の石を輝かせる

イチローについては6月17日の新聞各紙で、様々な扱いをしていましたが、
ある新聞(毎日)に、侍ジャパンの監督の小久保裕紀さんが、
イチローとの思い出を語っていました。
イチローは小久保さんより2才年下です。

小久保さんはプロ2年目の1995年、パ・リーグの本塁打王になりました。
勘違いして、てんぐになり、翌96年の成績はがた落ちだったそうです。
一方イチローは3年連続首位打者でばく進していました。

96年のオールスターゲーで外野を2人でランニング中、
小久保さんはイチローにこう聞きました。
「モチベーションが下がったことはないの」

するとイチローは私の目を見つめながら、
「小久保さんは数字を残すために野球をやっているんですか?」
と言ったのです。

そして
「僕は心の中に磨き上げたい石があるんです。それを野球を通じて輝かしたい」

小久保さんはなんと恥ずかしい質問をしたのかと反省し、
顔が赤くなったといいます。

彼の一言で、「野球を通じて人間力を磨く」というキーワードを得たというのです。

野球でも、成績を残したいという思いは大切だと思いますが、誇れる成績を残せば、
その功績に翻弄されてしまう未熟さを小久保さんは語っています。

「僕の心の中に磨き上げたい石がある」。
この磨き上げた石は、どんなことにも翻弄されない輝く石。
ここでのテーマでその石を言い換えれば、「心の思い」になります。

人生を通じて、「心の思い」をプラスの思いに磨き上げていく。
そこに、積極思考のだいご味があり、その歩みの中で、幸せを得、幸せを引き付け、
その幸せを他の人に分け与えていく生き方ができます。

この生き方が尊いのです。

(つづく)