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法話

心の調和を求めて 1 和して身を守る

今月から「心の調和を求めて」という演題で、お話をしてみたいと思います。
このお話は、平成23年7月22日の105回目の「法泉会」という法話会でのお話です。
5年も経過していますので、手直しをしながら、進めていきたいと思います。

出るくいは打たれる

ことわざの中に「出るくい(あるいは釘・くぎ))は打たれる」というものがあります。

すぐれて目立つ人は、あるいは出すぎたことをする人は、
相手からうらやまれて、嫉妬をうけたり、邪魔をされたり、憎まれるという意味です。

でもこのくいが少し出ているのでなく、見上げるほど出ていれば、
もう誰もそのくいを打てないので、憎まれるどころか、尊敬を受けることになります。

このような人は数えるほどなので、
私たちの暮らしの幸不幸にはあまり影響をうけないでしょう。

たとえば、世界有数の経済誌の「フォーブス」が2015年6月からの1年間で、
テニスでの長者番付を掲載していました。

それによると、錦織圭選手が番付で4位だそうです。
年収は34億5150万円。

今回、7位から4位に上がったようですが、
私たちの立場からみれば、あまりにも世界が違うので、
憎しみもなく、いじわるをしたいという思いもありません。
頑張っているから、それくらいもらえるのだろうと思います。

でも、もっと近しい人で、同じくらいの実力なのに、
幸せそうに見えるとか、成功を収めていると、嫉妬したり、面白くない思いになって、
出たくいを打ちたくなるものです。

私でも、毎月このような冊子を出し、お話も私より上手な坊さんがいれば、
心穏やかではありません。

謙虚さで身を守る

私自身、くいが出ているわけではありませんが、
自分の身を守るために、「熱心には活動をしていない」ようにはふるまっています。

この「法愛」にしても、出した当時から、
いろんな所に置いてもらって多くの人に読んでもらおうとしました。

この「法愛」という冊子が、みんなの目に着くところに置いてもらっているので、
一般の方々のみでなく、同じ職業の和尚様方にも知られています。

中には、あるお坊さんが「毎月冊子を出しているんだ。そんな坊さんもいるのか」
と褒(ほ)めてくだるお坊さんもいます。

そんな方はありがたいのですが、
「こんなことは大変だから、止めた方がいい」というお坊さんもいます。

後者の人は、私の活動を見て、少しくいが出ていると思っているのかもしれません。
ですから、いじめられないように、謙虚さを精一杯だして、身を守るようにはしています。
今回のテーマでいえば、謙虚さと調和しながら自分を守っているのです。

孫子という人の兵法の中に、

彼を知り、己を知れば、百戦して殆(あや)うからず

というのがあります。

相手が私のことを「くいが出てるぞ」という思いになっていると知ったならば、
私自身は、謙虚さでもって自分を隠す。
そうすれば、あやうからずということです。

自分の肌の色を変えて身を守るもの

ライチョウという鳥がいますが、
いつも不思議に思っているのですが、夏と冬に羽の色が変わるのです。
夏は茶色っぽい色で、冬は白色になるのです。

夏山と冬山に合わせ、羽の色を変化させています。
これは確かに身を守る手段だと思います。保護色で身を守っているわけです。

相手を変えるのではなく、自分がまわりの色に変わり、
あるいは調和して、自分を守るのです。

そんな昆虫や動物はたくさんいます。
両性類の仲間に入るカエルもそうです。

普通のアマガエルは白、灰、茶、緑が限界だそうですが、
ニホンアマガエルは周囲の色に和して、さまざまな色に変わっていきます。

ごく普通のアマガエルでも、
緑の葉に静かにうずくまっていると、葉の一部のように見えます。
さらには、敵から身を守るだけでなく、葉の色と和して、
虫などの餌(えさ)が来るのを待っているわけです。

ここで分かることが、周囲の色に自分が溶け込んで、身を守っているということです。
相手を変えるのではなく、自分が変わっていく。そんな生きる術を学ぶことができます。

そのためには、まわりの色をよく理解し判断して、その色に染まっていくわけです。
人間関係でも、相手のことをよく知って、相手の思いに調和していくと、
自分の身を守ることにもなるのです。

ひとつに和す力

詩を紹介します。
小学校4年の女の子が書いた詩です。

雨っていいな
いっしょになって
落ちてくるんだもん
雨はぜったいに1つで
落ちてこない
雨は みんなで落ちて
水たまりに生まれかわる

(読売新聞 平成23年7月10日付 「こどもの詩」より)

こんな詩です。

雨のことをこのように考える子がいるとは驚きです。
子どもの素直な見方には優れたものがあります。

雨はみんな一緒になって落ちてくる。仲が良いのです。
でもおそらく、その雨はみな違った形をしているのではないかと思います。
そんな1つひとつの個性をもった雨が一緒になって、
まったく違った水たまりになるわけです。

1つひとつの個性を持った雨が共に和して落ちてきて、
その雨が一緒になって水たまりになり、ひとつになる。
ここに幸せの方向性が見えてきます。

考えてみれば、スポーツの団体競技などは、みな異なったポジションで、
力や才能の異なった選手がひとつに和して闘い、その力を競っています。
この雨の詩に似ています。

たくさんのものが和してひとつになると、大きな力がでてくるのです。
それで身を守ることもあります。

戦国時代の毛利元就(もとなり)という人が
「一和同心」(いちわどうしん)という言葉を残しています。

1本の矢を折るのはたやすいけれど、
3本一緒に折るのは難しいと3人の子に諭したのは有名です。

長男が毛利隆元で当時の中国地方を納めました。
二男は毛利元春で山陰を納めました。
三男の小早川隆景は現在の福岡県である筑前・筑後を納めています。
互いに和して助け合い生きていけというのです。

アマガエルは肌の色を変えて自分自身の身を守り、水たまりのような集団でいえば、
個性の違った人たちが互いの意見を同じくして助け合い、
家や国を守っていくわけです。

和することのできない時に

家族もひとつに和していると、強い力になります。
家族が乱れ、いがみ合っていると、外での勉強や仕事もはかどりません。

ある新聞の「人生案内」に、こんな相談が載っていました。
5年ほど前のものですが、学ぶものがあります。

「感謝の言葉がない義母」という見出しで、
50代の主婦の方が相談しています。
まとめてみます。

「感謝の言葉がない義母」

夫の実家に入りました。
夫は二男ですが、長男の妻が病弱なので、私たちが代わりに入りました。

都会生まれの私は「農業ができない」と話し、
それでもいいと言われたので実家に入ったのですが、
草むしりなど手伝わないわけにはいきません。

家事も最初から私の担当になりました。
車の免許を取らされ、仕事の休みの日には、
運転手として病院周りをさせられます。

20数年前、実母を亡くした私は、
義母と一緒に暮らすのを楽しみにしていたのです。

手伝いをするのは構わないのですが、
義母は私に感謝の言葉ひとつ言いません。

今は「この人の介護はできない」と思うようになり、実家を出たいのです。

(読売新聞 平成23年3月27日)

こんな悩みです。

異なった雨粒が同じ水たまりに落ちて、ひとつに和することができません。
ですから、幸せになれないのです。

そのひとつの原因が、自分の嫌なことを「させられて」という思いです。
その上、感謝の言葉を望んでいます。

そして義母であるお母さんは、
してくれてあたりまえと思ってか感謝の言葉を言いません。
互いが自分の事を考え、相手のことを見つめていません。
これでは調和した家庭は作れないでしょう。
両者とも辛いばかりです。

並んで走ってみる

スポーツ解説者である増田明美さんが、
マラソンのたとえで、こんなことを言っていました。

それは
「マラソンは速くゴールに着いた方が勝ちだから、
そのためにきつい練習をします。でも時には並んで走ってみることも大切です。
すると隣の人の息遣いや思いを察することができ、いろいろな学びができるのです」

このことから、人間関係で、ぎくしゃくした場合、
並んで走ってみるということが大事なのではないかということです。
並んで走るというのは、相手の気持ちになってみるということでもあるし、
相手のことを考えてあげることではないかと思います。

アマガエルでも、まわりのことを見て、回りがどのような色かを知らなければ、
その色に染まって、身を守ることができないわけです。

前述の「人生案内」の解答をしている作家の久田恵さんがこう言っています。

農家の手伝いをさせられ、家事をやらされ、車の免許も取らされ・・・
と「やらされている」意識でいると、人生はつまらなくなるばかり。

ここは結論を出す前に、一度は「逃げるより、攻めろ!」で、
取り組んでみてもいいのではないでしょうか。

このように解答をしています。

相手に「やらされている」と思っていると、いつも別の道を走っていることになります。
そうではなく、一緒の道を並んで走ってみたらどうでしょう、というのです。
そして、こんな提案をしています。箇条書きにしてみます。

チャンス

1、新しい土地での新しい生活をあなた自身が楽しみ、
義父母に「二男の夫婦が来てよかった」と思わせてみようかしら?
みたいなチャレンジ精神でやってみる。
2、家事は仕切られるより、仕切ったほうがよい。
3、車の運転を覚えて、ラッキーと思う。
4、50代の若いあなたが、80才前後であろう方に、
なにも「ありがとう」なんて言われなくてもいいと思う。
5、その「ありがとう」を、いずれ夫が言ってくれるかもしれない。
言ってくれなくても、自分のことは自分で褒める。
6、人に感謝など乞わない。
その主義でいけば怖いものなし。そうすると、気持ちがラクになる。

こんな6つほどの提案をしています。

この方法を実践していけば、義母の生き方に少し近づき、
並んで走れるようになれるかもしれません。

生き方を変えるのは難しいことですが、これが自分の身をも守る方法なのです。
やがて、義母もこのお嫁さんの気持ちを察して、和する思いがでてくると思われます。

一緒に手を合わす

ある信心深い家庭に育った娘さんがお嫁に行って、
みんなで食事をするときに手を合わせていただいたようです。

その旦那さんの家庭は、そのような習慣がなく、
そこのおばあさんが、お嫁さんの姿を見てこう言ったといいます。

「私は今まで手をあわせていただくということをしてこなかった。
でも、手を合わせていただくというのはいいことだね。
これから私もそうやって手を合わせて食事をいただこう」

穏やかな、和する心を思います。

こうして正しいこと、善いことだと思うことに、素直に染まっていくと、
自分の身を守るばかりでなく、相手と調和して、幸せを得ることができます。

自分を守りすぎてもいけない

オトシブミという昆虫がいます。

庭掃除をしていて、時々見つけるのですが、
私の気配を感じると、ひっくり返えるのです。
死んだ真似をするのかもしれません。

私からしてみれば、
そんな身の守り方だと、返って捕まってしまうのに、と思うのです。

これと同じように、自分の身を守ることはよいのですが、
自分の身を守ることが「自分のみよかれ」という方向にいくと、
返って自分が痛い目にあうことになります。

お釈迦様は中道(ちゅうどう)を説かれました。
両極端を離れて、中なる道を取るわけです。

自分の身を守るのにも、
相手の色に染まりすぎず、しかも相手の色に馴染んでみる。
相手と距離をとって走りながら、時には相手と並んで走ってみる。

そうして、自分の身を守ることが、相手をも守ってあげられる。
これが幸せを得る、賢者の生き方です。

(つづく)