.

ホーム > 法愛 4月号 > 法話

法話

豊かさに必要な心の持ち方 1 二つの豊かさ

今月から「豊かさに必要な心の持ち方」というテーマでお話をしていきます。
このお話は、伊那市にあるウエスト・ヴィレッジという喫茶店で開かれている
「喫茶店法話の会」で語ったものです。
第15回目で、平成24年2月20日の夜のことです。
少し書き変えながら進めていきます。

豊かさの中のクレーム

豊かさには大きく分けて2つあります。
物の豊かさと、心の豊かさです。
どちらも大切なものです。

「衣食足りて礼節を知る」という中国の故事がありますが、
その国、その時代によって、こうはいかないものです。
日本では豊かな時代になりましたが、食は足りているのに、
人としての礼節が失われてきている、そんな気もします。

平成29年11月16日に、
労働組合で作るUAゼンセンが、今年6月から7月にかけて、
関係する小売り業者の組合員、約5万人にアンケートをし、
その結果が各新聞に出ていました。

その中で悪質なクレームを受けた人が、
3万6千人もいることが分かりました。
クレームというのは苦情ですが、スーパーマーケットやコンビニなどのお店で、
お客からのクレームがすごいのだそうです。

悪質なクレームで精神疾患を患(わずら)った人は369人で、
土下座を強要された人は1580人もいたそうです。

最も多かったのが暴言で、
「このババア」「お前はバカか」「死ね、辞めろ」
などの言葉でクレームをつけるのです。

コンビニができるというのは豊かな証拠です。
近くに行って難なく自分の欲しいものが手に入る。

そんな豊かな時代、衣食足りている時に、
礼節を知らない人が多いわけです。

これは心の貧しさから来ていると推測でき、
何らかのストレスを他の人に向けて発散している、そんな分析もできます。

4つのパターン

この物の豊かさと心の豊かさを四つのパターンに区分することができます。

1.物も心も、貧しい場合
2.物は貧しいけれど、心は豊かである場合
3.物は豊かなのだが、心が貧しい場合
4.どちらも豊かである場合

このように分けることができるかと思います。

4つのパターに分けましたが、
日々の生活の中で、このようにきれいに分けられることはなく、
おそらくこの4つが複雑に絡み合いながらの生活ではないかと思います。

お金がなくてもあたたかな家庭を築いている人もいるかと思えば、
生活に困らないだけの資金があっても、家族がバラバラになってしまっている、
そんな家庭もあるでしょう。

そうかと思えば、豊かな暮らしをしながら、
人を思い貧しい人に手を差し伸べている、そんな人もいるかもしれません。

80才になる女性の方の話です。
その女性には相続する人は誰もいません。

資産が数億円あったそうですが、
ある弁護士から遺言書を書くように勧められていました。
相談の日になると「風邪をひいたので・・・」「気が進まないから」
という理由で、お断りの電話をしていたようです。

そんな状態が続いて、説得し続けた弁護士さんが、
やっと明日という日に相談できることになったのです。

その日の夜のこと。
その女性がお風呂に入っていて、そのまま溺れ死んでしまったのです。
数億円は国に入ってしまいました。

何故、遺言書を書かなかったのでしょう。

その理由ですが、
「遺言書を書くと、自分のお金が減ってしまう気がした」
ということだったそうです。

豊かであったのですが、自分のお金が減るという欲望に負けたのです。
今回のテーマで言えば、心が貧しい人であったと考えられます。

できれば、生きているうちに、貧しい人への寄付金にと遺言できていれば、
あの世に帰って行っても、そのことで、あの世の人たちに
「よく、頑張ったね」と、拍手で迎えてもらえたのにと、思えてなりません。

クリスマスキャロルに学ぶ

イギリスの文豪でディケンズという人が
「クリスマスキャロル」という作品を残しています。
出版が1843年ですから、すでに170年ほど前になります。

この作品も、物の豊かさと心の豊かさが描かれています。
簡単にあらすじをお話しいたします。

スクルージという金儲け第一で、しかもケチで、
心の狭い欲深な老人がいました。

明日はクリスマスです。
クリスマスは「人びとの幸せを願い共に祝う」、
そんなクリスマスを、スクルージは大嫌いでした。
ですから子どもから大人まで、みんなに嫌われていました。

クリスマス・イブのこと、7年前に亡くなった、
友人であり会社を共同経営していたマーレイという男が、
幽霊となってスクルージの前に現れます。

マーレイは、鎖につながれた姿でした。
その理由が、欲にまみれた人生を送ってきたからだと説明しました。
「だからスクルージよ。回心しなさい」というのです。
そして3人の幽霊をスクルージに送り込むのです。

その晩のことです。
3人の幽霊がスクルージに次々と現れます。

1番目の幽霊は、スクルージを過去に連れていきました。
スクルージは幼いころはとても純真な子でした。

2番目の幽霊は、現在を見せます。
幽霊はスクルージをある家庭に連れていきました。
その家の者はスクルージの会社で働いていて、
安い給料でも、みんなが食べ物を分け合い、幸せそうに暮らしていました。

3番目の幽霊は、スクルージを未来に連れていきました。
スクルージが死んで、皆から「あいつが死んで、よかった」という言葉を聞き、
誰からも悲しまれず惜しまれない自分のお墓を見ました。

翌朝、クリスマスの日です。
スクルージは、幽霊の導きで、すっかり回心したのです。

やがて、「クリスマスの本当の祝い方は?」と問われたときには、
「スクルージに聞きなさい」というほど、スクルージは思いやりの深い、
みんなに慕われる人に変わりました。

こんなお話です。

金儲け第一、ケチで心が狭く、欲深いスクルージは、
お金があっても、心の貧しい人といえます。

2番目の幽霊が連れていった家庭では、
安い給料でも、食べ物を分け合って、幸せに暮らしています。
これは前述の2のパターンに入ります。

そして最後に、スクルージは心を入れ替え、慈悲深い人になりました。
これはお金や物も豊かであって、さらに思いやりのあるところから、
心も豊かであると考えられます。

さらに、ここで学べることは、人は心を入れかえることができるということです。
変わっていくことができるということです。

欲深い人が相手を思いやる人になっていける。
ケチで自分勝手な人が、喜んで与えることのできる人に変わっていけるといことです。

物の豊かさについて、心の豊かさについて、
自分はどのように考え日々を送っているのかを、
ここで改めて問い直してみることも大事ではないかと思います。

豊かさに必要な心の持ち方 2 物の豊かさを考える

携帯電話の効用

今まで二つの豊かさについてお話ししてきました。
物の豊かさと、心の豊かさとが、複雑に絡み合って、
日々の暮らしが成り立っているということでした。

ここで、まず、物の豊かさについて、もう少し深く考えていきたいと思います。

まずいえることは、物が豊かであるというのは、
多くの幸せを維持していく力があるということです。

もう20年くらい前になります。
突然、懇意にしている電気屋さんが、
「これとっても便利ですよ。買ってくれませんか」と訪ねてきました。

よく知っている信用のある方だったので、
家に上がっていただき説明を聞いたのです。

その商品は携帯電話でした。
今ではコンパクトになって、さまざまな種類がありますが、
当時出始めのころは、電話の子機を少し小さくしたほどの大きさで、
10万円近くしました。

いつもお世話になっている電気屋さんなので、
承諾して購入することにしたのです。

当時、電話は家にくくり付けで、
持ち出して使う発想が広まっていない時期でした。

ある日ことです。その日はご葬儀が2つあって、
それも葬儀場が遠く離れていました。
1つ目は正午の開始で、2つ目は2時の開式です。

初めの葬儀は、1時間ほどで終わり、
すぐそこを出て、2つ目の会場に行こうとしたときです。
なんと外は雪景色。たくさんの雪が降り積もっています。

「これでは2時の開式に間に合わないかもしれない」
そう思いながら、隣に大事な和尚さんを乗せて、会場に向かいました。

雪が降りしきって、道路は渋滞です。
2時半になっても会場につきません。
そこで、最近買った携帯を取り出し、自分のお寺に電話をし、
「次の会場には1時間ほど遅れると、連絡を入れてください」と頼みました。

その様子を見ていた隣に乗っていた和尚さんが、
「携帯電話があるということは知っていた。
私は絶対そんなものは買わない、と思っていたけれど、
こういう時に必要なんだね。私も考えないと・・・」
というのです。

携帯電話のおかげで、多くの人が待っている次の会場に、
正確な時間を連絡できたのです。

その時に、携帯のおかげだと深く思ったことでした。
これも物の豊かさゆえの、有り難い出来事でした。

まず、豊かであることを知って感謝する

昔のことをあまり書いても余談になってしまいますが、
私の小さい頃は、母が早く起きて、かまどに火をつけ、薪を燃やして、
お湯を沸かし、お米を炊いて、朝食を作ってくれました。
母の後ろ姿を思い起こします。

今ではタイマー付きの炊飯ジャーがあり便利になりました。
その分、自分の時間を充分使える、そんな豊かな時代になりました。

水もそうです。以前は井戸の水を使っていたときもあり、
今では、水道から自由に水を使うことができます。
トイレも水洗で、それも飲むことのできる水です。

そんな豊さの中で生きていると、その豊かさをあたりまえと思ってしまうのです。
ときどき、そうではないんだという学びをしておくことが、
豊かさに立ち向かう心がまえかもしれません。

中学生で15才の女の子の投書を載せてみます。
「当たり前のことが幸せと知った」という題です。

「当たり前のことが幸せと知った」

先日ある本を読み、
今、私たちが置かれている環境がどれだけ幸せなものなのかを知った。

毎日帰る家があり、きれいな水を飲むことができる。
これが当たり前と思っていた。

しかしこれが当たり前でない国も多くあることを知った。
食べ物が無く死んでしまう人たちがいる中で、
食べ物を残している自分たちが、どれだけ申し訳ないことをしているのかを知った。

そして、普通に生きていくことができる環境が周りにあるにもかかわらず、
ささいな事に文句を言ったりしている自分がとても恥ずかしいと思った。

今がとても幸せということに気付いていなかった。
本当は、当たり前ということが周りにたくさんある今が一番幸せなのだと思う。

私は本を読み、当たり前ということの幸せを知った。
学校へ通えるのも、ご飯を食べられるのも当たり前ではない。
このことを忘れずに、これからも生きていきたいと思った。

(毎日新聞 平成24年2月12日付)

こんな投書です。

豊かさの中で忘れてはならない思いを綴っています。
物が豊かであることは、素晴らしいことですが、その中にあって、
その素晴らしさをいつも感謝の思いで受け取っていくことを教えられる投書です。

そして、豊かさを肯定する

豊かであることに感謝するとともに、その物の豊かさを肯定していく、
物の豊かさは必要なものであると認めていく。
そんな考え方が大切になります。

投書の女の子が水や食べ物のことを書いていましたが、
そのことについて『1秒の世界』という本が出ていますので、
少しそのことに触れておきたいと思います。

資料としては少し古いのですが、そこで、
1秒間に5才以下の子ども48人が汚染された水や食料で下痢になっていて、
それがもとで300万以上の子どもが亡くなっているということです。

あるいは飢えについて、
1秒間に0.3人、4秒にひとりが飢えによって命を落としている
という結果を出しています。
1時間にすると、1000人が餓死していることになります。

2002年の世界食糧サミットの演説で、当時のアナン事務総長が、
「世界で毎日2万4000人が餓死し、
8億人の生命が飢餓にさらされ、
そのうち3億人は児童だ」
と述べたそうです。

それ以来、さまざまな活動が行われていると思われますが、
水や食料が豊かであれば、貧しい人びとを救うことができます。
そう考えてくると、物の豊かさは、とても大切なことなのです。

これらのことは世界全体で起こっていることですが、
自分の身近な家庭内でも、豊かに暮らせたら、
これほど安心できることはありません。

でも、物の豊かさのみでは、充分な幸せは得られないのも事実です。
スクルージのように、お金には困らないにしても、
ケチで、心が狭く、欲深であれば、決して幸せにはなれません。

大切なのは、心の豊かさです。
心が広く、小欲で、富を分け与えることができる。
富はなくても、笑顔や、やさしさで人を支えることもできます。

次回は心の豊かさについて考えてみます。

(つづく)