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法話

豊かさに必要な心の持ち方 3 心の豊かさとは

先月は「豊かさに必要な心の持ち方」というテーマで、
二つの豊かさのなかの、「物の豊かさ」についてお話しいたしました。
今回は「心の豊かさ」です。

目に見えない心の豊かさ

先月は物が豊かであるのはありがたいことで、
そのことに感謝の思いを抱くことが大切であるとともに、
物や財が豊かであることは良いことであると肯定することが大事ではないか、
というお話でした。

もう一つの豊かさに、心の豊かさがあります。
この心の豊かさは物と違って目には見えないので、
何が心を豊かにし、どうすれば心の豊かさを得られるのか
という疑問が出てきます。

この疑問に答えるのはとても難しいことですが、
共にこの問題について考えていきたいと思います。

たとえば、お金を貯金します。
仕事で得たお金を、生活費などの必要経費をひいてあまった分を貯金します。
あるいは貯金の金額をあらかじめ決めておいて、
残りのお金で生活を賄(まかな)うという場合もあります。

そのとき、通帳に入れたお金の額がちゃんと記載され、
貯(た)まったお金の額が、しっかりと目で見ることができます。
「ああ、これくらい貯まった」と思えば、安心感もでてきます。

でも、心に何をためていけば、心の豊かさを得ることができるのでしょう。
また、心に豊かさを貯金しても、そのたまった額を目で見ることができません。
ですから、心を豊かにしていくことは、とても難しいことかもしれません。

やさしさがあふれる

ここで、一つの詩を紹介しましょう。
51才の女性が書かれた詩です。

『二月の台所』

お母さん
火の気のない
二月の台所は
寒かったでしょう

水しか出ない 台所で
朝食用の米をとぐ
夜は しんしんと
冷えたでしょう

文句一つ言わず
休みのない 台所仕事
あなたの やさしさが
あふれていた 台所

(産経新聞 平成24年2月15日付)

最後のほうで
「あなたの やさしさが あふれていた 台所」
と書いています。

尊い思いが伝わってきます。
何か大切なものがここに感じられます。
このやさしさが心の豊かさを作り出している要因のように思えます。
このお母さんは、きっとみんなの事を考え、
二月の寒い中、冷たい水でお米をといでいたのでしょう。

私のお寺で昨年の暮れに、鏡餅を作るためのお餅つきをしました。
そのとき、もち米を水でとぐのですが、
水では冷たいので、ぬるま湯でとぎました。
冷たい水では、手が動かなくなってしまうのです。

今では、温かい水が水道から出るのですが、
昔はそんな便利なものがなくて、みんながみんな水でお米をといで、
ご飯の用意をしたのです。冬の2月ごろの水の冷たさはよくわかります。

火の気のない寒い台所で、さらに冷たい水で文句一つ言わないで、
朝食用のお米をとぐ。その辛さを面(おもて)に出さずに、
毎日台所に立つお母さん。

そのお母さんのやさしさが台所にあふれているのは、
このお母さんの心の中にやさしさという思いが、
きっとたくさんたくわえられていたのだと思います。

このやさしい思いが心の豊かさを作り、
またその豊かさが、まわりの人をも幸せにしています。

心の豊かさは相手をも幸せにしていく力があるのです。

誰もが持つ二つの思い

心にやさしさを持つことが、豊かな心を持つことである
というお話をいたしましたが、そんな思いを少し挙げてみます。
心、豊かな思いです。

やさしさ、思いやり、慈しみ、愛、明るさ、ほほえみ、努力と勤勉さ、
穏やかさ、正直、素直さ、勇気、感謝、責任感、信心、信仰心など

逆に、心を貧しくしてしまう思いも挙げてみましょう。

自分勝手な思い、我欲、貪欲、怒り、不平不満、疑い、
嫉妬、恨み、怠惰、嘘いつわり、無責任、不信心など

この両者をよく見ると、みな心のなかに持っているもので、
その思いを面にだすかださないかの違いで、
心が豊かになったり、貧しくなったりすることが分かるような気がします。

やさしさを持っていても、心の底には意地悪な思いもあって、
その両者をどう使っていくかで、その人の人格も決まってきます。

人に意地悪をしたい思いを打ち消し、
いつもやさしさを大切に生きている人は、心豊かな人であるし、
やさしい思いも持っているのだけれど、
つい意地悪をしたくなってしまう人は
心の貧しさに負けてしまっているのかもしれません。

甘くない人生

ここでやさしさに関しての詩を、もう一つ載せてみます。
59才の女性の詩です。

『やさしさ』

俺って
やさしいだろう?
私も
やさしいでしょ?
二人でふざけて
聞いてみる
お互いに
しばらく考えて
「やさしいよ」
・・・と、答える
結婚して
35年という年月は
即答できるほど
甘くはない

(産経新聞 平成29年12月28日付)

お互いに「やさしいよ」と言っていますが、最後の
「結婚して35年の年月は 即答できるほど 甘くはない」
と言っています。人生の重みを感じるところです。

夫婦というのは出会って結婚した時、
お互いの育った家庭環境もまったく違い、
お味噌汁の味やお漬物の味も違います。

生活習慣も違い、
考え方も違う人が共に暮らしていくというのは、大変なことです。

最初の内はお互いを理解し合って愛を育む、
そんな姿勢を大切にしようと努力していきます。
でも、金銭の問題や、子どもの教育の問題、
あるいは、家事の助け合いの問題などで、意見が分かれ、
些細なことで喧嘩をしてしまうことが多々起こってきます。
その違いを乗り越えていくのは、並大抵の努力ではできないことです。

そのときに、前述した、どちらの思いで生活していくかで、
仲良く暮らしていけるか、不満ばかりの生活をしていくかが
分かれてくると思われます。

心豊かな思いを常に大切にしていれば、
マンネリ化してきた夫婦のこと事もあたりまえではないと
感謝の思いを忘れないでいるでしょう。

心の豊かさは、「人生は甘くない」という困難な歩みを、
幸せな方向に導いてくれる、尊い羅針盤かもしれません。

心の豊かさが作った人生の輝き

心の豊かさ・・・と、しばらく考えていた時に、
「昔こんな人がいたなあ」と、ある女性を思いだしました。

65才で、不治の病で亡くなった方で、
昨年、旦那さんや子どもさん、お孫さんたち家族のみなさんが参加されて、
心のこもった13回忌の法要を致しました。

この女性は、苦難を学びとし、常に明るく生きた人でした。
自らの人生を学びと受け止め、明るさを失わないで生き、
そんな生きる姿勢が、人生の輝きを放っています。
これも心の豊かさからくることだと思うのです。

彼女が亡くなられた時、葬儀の場で、次のようなお話を致しました。
少し長くなりますが載せてみます。

この中に、家族のみなさんの寄せ書きを載せながら、お話をしています。
彼女の生き方が、よく見えてくるところです。

〇〇さんは、ここに65年の生涯を閉じられました。

〇〇さんはいつも笑顔一杯でしたから、
〇〇さんのいるところはいつも明るく、花の咲いたようでした。

また〇〇さんは、お釈迦様の教えを真摯に学び、
私がお話している、「法泉会」という各月で開いている法話会にも参加され、
また、伊那のウエスト・ヴィレッジという喫茶店での「喫茶店法話会」にも、
率先して参加され、お手伝いもしてくれていました。

また、護国寺の本堂での法話会で、
どれほど共に大切な生き方を学んだことでありましょう。
お釈迦様にみ明りを灯し、花を献じ、お祈りをし、
「この世は修行の場であり、苦難も自分の学びである」
という教えを学んだ日々を思い返します。

明るく、ほほえみを絶やさず、
そして天真爛漫な〇〇さんの存在は、花のようでした。
65年をしっかり生きた証(あかし)に、
〇〇さんにお別れの言葉の花束をささげます。

家族のみなさんが書いてくれた、この「言葉の花束」は
天に帰られる〇〇さんの、大切なあの世へのお土産になると思います。

両手に一杯、その花束を抱き、
み仏様のいらっしゃる世界へ昇っていかれることを祈ります。
私がその「言葉の花束」を家族の方を代表して語りお別れの導きといたします。

お母さん、いつも元気に、よくしゃべり、よく働いたね。
ここ最近は自分の体調と相談しながらだったけど、
自分の体が動く限り、大好きな花の手入れをしていたね。
私にこんなことを話してくれた。
「お母さんは病気になって良かったよ。
自分の人生をしっかり生きられたし、何よりも人の痛みがよく分かったよ」
って。
大切なことを教えてくれてありがとう。
最期までお母さんらしい生き方だったね。すごかった。ありがとう。

お母さん、いつも私たちを優しく見守ってくれてありがとう。
誰とでも、きさくに話ができ、みんなに愛され、頼りにされていました。
いつも自分のことよりも、相手のことを一番に考えている、
優しさと強い心を持った生き方を素敵に感じました。
母のような生き方を見習っていきます。

いつも明るく自分のことよりもまわりの人のために、真剣になる。
そんな母でした。

お母さんってどんな人、と聞かれたら
「明るく大きな笑い声、何か気になると、手早にやってしまうお母さん。
そして病気と向き合って最期まで気丈にしていた姿を見ていて、
やっぱり芯の強い人です」と答えます。
言葉や行動で、いろいろな人としての大切なことを教えてくれました。

ババはいつもニコニコしていました。
そして、分からないことがあったら、とても詳しく教えてくれました。
病気にも負けないようにと、とても頑張っていました。
私にも人生の生き方などをたくさん教えてくれました。
今までありがとう。

畑や庭のセンテイ作業、まだまだ教わりたいことばかりですが、
今までのお母さんの言葉を思い浮かべながら頑張っていきます。
本当にありがとうございました。

〇〇ちゃんとは、小さいころから姉妹のように
言いたいことを言い合う仲でしたね。
私のほうが年上なのに、物知りな貴女に導いていただき、
お世話になったね。ありがとうございました。

大変お世話になりました。
あまりにも早い旅立ちで、ほんとうにこの日が来るとは思いませんでした。
花をもらったり、共に花を見ているとき、とても楽しかった。
天のみ国に行っても、お花畑を作って、
笑顔一杯に幸せになってください。ほんとうにありがとう。

お別れのときです。
肉体を去っても、○○さんの心の姿(み魂)は消えません。
〇〇さんの生前のほほえみを、みなさんの心の内に大切に抱き取りながら、
感謝の思いをささげ、お別れの拝礼を致します。

こんなお話を致しました。

病気になって、そのことを
「人の痛みがわかる人になって良かった」
と言っています。頭の下がる生き方です。

この〇〇さんの生き方を家族のみなさんが語ってくれましたが、
この〇〇さんの生き方の中に、
心の豊かな思いが満ちているような気がします。

心の豊かさは、自分の生き方を充実させるばかりでなく、
まわりの人も幸せにしていきます。

そしてお別れのとき、みんなから涙を流して送ってもらえるのです。

(つづく)