.

ホーム > 法愛 3月号 > 法話

法話

人生という美しい絵画 1 人生は絵画のよう

今月から「人生という美しい絵画」というテーマでお話を致します。

このお話は、平成25年5月30日、「法泉会」という法話会でのものです。
115回目のお話でした。少し書き換えながら、進めていきます。

人生という絵を描く

人生は絵を描くのに似ています。
どのような思いで生きてきたか、どのような考えで人生を送ってきたかによって、
そこに自分自身の絵画が描きだされています。

それだけに、自分の人生に責任が伴うものですが、
自分自身で自由に人生を描き出していけるというのは、
とても魅力的なことでもあります。

絵といえば一般には風景画や人物、あるいは花や鳥などの絵があります。
上手に描けるかはさておいて、誰でもが、そんな絵を描くことができます。
人生も同じように、それが美しい絵になっているのかは問わないとしても、
人生という絵を描いているのです。

たとえば、こんな俳句(産経新聞 平成25年5月22日)を見つけました。

七十路(ななそじ)を薺(なずな)の咲ける如く生く

宮坂静生先生の評に
「薺の白い花はこれ以上地味な花はない。
そのように密(ひそ)やかに地に根を下して暮らす。
誰もができることではない。その志の堅実さに感銘した」
とあります。

自分の生き方を薺に託して句にしています。
この方の人生の絵画の中に薺が描かれていて、その思いは、
「私の人生は地味だけれども、
しっかり地に根を下し、私なりの花を咲かせている」
そんな意味にも取れます。光輝くような絵ではないのですが、
堅実で、奢(おご)らない、そんな絵が、この方の人生に描かれている。
そう察することができます。

どんな高価な花より

このお話をした平成25年に、
歌手の田端義夫(たばたよしお)さんが94才で亡くなられました。

お若い人は、あまり知らないかもしれませんが、
当時、新聞や雑誌などで田端さんの活躍が掲載されていました。
それらを読むと、田端さんの人生の絵画を見ることができます。

田端さんは小学校を3年半しか通わず、
鉛筆や消しゴムは学校のゴミ箱で拾い、
体操着がないので、運動会の日は学校を休み、
遠足にはいったことがないといいます。

3才で父を亡くし、
母が10人の子どもを養うために身を粉にして働き、
食べ物はオカラで、おかずは来る日も来る日も紅ショウガだったそうです。

母は田端さんの活躍を見届け82才で亡くなり、
その棺(ひつぎ)の枕辺(まくらべ)に、田端さんは、
育ててくれた母の思いに感謝を込めて、「どんな高価な花よりも・・」と、
紅ショウガを飾ったといいます。
苦労の中に咲く、きれいな心の花を思い浮かべます。

田端さんが歌手になって良かったというエピソードがあります。
「波の背の背に揺られて・・・」と始まる「かえり船」という歌がヒットしました。

田端さんが戦後、地方巡業のため、大阪で汽車を待っていたとき、
構内に「かえり船」の歌が流れてきたのです。
復員兵がこの歌を聞いて、涙を流しています。
その姿を見たときに、歌手をやっていてよかった、
生きていてよかったんだと思ったといいます。

苦労の中からあきらめずに立ち上がっていく、
そんな人生の絵を思い浮かべることができます。

アスファルトを打ち破って咲くタンポポや、
大岩に根を張って緑をたたえている松、そんなイメージの絵を想像できます。

考える力

私たちの一つの能力として、考える力、考えて創造していく力があります。
パスカルという人が『パンセ』という本の中で、

考えが人間の偉大さをつくる。
人間はひとくきの葦(あし)にすぎない。
自然の中で最も弱いものである。
だが、それは考える葦である。

(中公文庫『パンセ』パスカル著 前田陽一、由木康訳)

そう書いています。

誰しもが知っていると思われる有名な言葉です。
人はこの考える力を使って、自分の人生を自由に描いていくことができるのです。

たとえば、考えることで思いつくことがあります。

ある時、車を運転していて、
ちょうど信号が赤になり、しばらくその場に止まっていると、
烏(からす)が何か口にくわえて、それを路上に落としています。
口にくわえていたものは、どうやらクルミのようです。
自分では割れないので、車の多く通るところに置き、
車がそのクルミを踏んで割ったのを見てから、クルミの実を食べるのです。
そんなときに、「烏さん、よく考えているなあ」と思うのです。

でも、人間は烏には比べることのできないほどの考える力があります。
考えて考えて、車や飛行機を作り、今は便利なロボットが開発されつつあります。
あるいは小説や詩を書き、マンガを書き、映画を作る。
みな何もないところから、考え、創造して出来上がったものです。

私は『法愛』を作っています。
これも何もない所から毎月、小さなものではありますが冊子を作りあげています。
『法愛』の扉の詩で、平成25年5月の詩を載せてみます。
考える力の現れです。

「一心に咲く」

完全な人は
この世に一人もいません
みんな不完全なりに
負けないで生きています

自分の未熟さに不安を思ったり
自分の愚かさに後悔したり
失敗しては生きる力を失ったり

でも そんな不完全な私であっても
前を向いて一生けんめい生きていく

その生き方が
尊いのです 美しいのです
野辺に咲く花だって
一心に咲いているから美しいのです

人生を美しく描くために、自分の不完全さに翻弄されずに、
前を向いて一心に生きていく。

その姿、生き方が、
美しい人生という絵画を描き出していくのかもしれません。

こんな人になりたいとイメージする

自分自身で自由に人生の絵を描いていけるのですが、
そのためには、何を描きたいのかをしっかりイメージしておくことです。

言い換えれば、人生の全体図をイメージしておくことが必要です。
その全体図をイメージして、細かい部分を少しずつ描いていけばいいわけです。
全体図をイメージしないで、人生の絵を描こうとしても、
どこから描いてよいのか判断に苦しむ場合があります。

全体図とは「こういう人間になりたい」と思うことです。
宮沢賢治が作った「雨にも負けず」という詩があります。
その最後には「そういうものに 私はなりたい」と書いています。

「東に病気の子どもあれば行って看病してやり、
西に疲れた母あれば行って、稲の束を負い・・・」
と、なりたい人のイメージを細かく詩にしています。
中心的な思いは、「役立つ人になりたい。
必要とされる人間になりたい」ということだと思います。

田端義夫さんも、歌を通じて、
「多くの人に安らぎを与え、幸せになってほしい」
という全体図を持っておられ、その全体図に従って、
日々、自らの人生の舵(かじ)を取っていったのではないかと思います。

私自身、全体の構図として
「人びとの利益と幸せのために」というイメージを持っています。
そのために一つの仕事が、この「法愛」を作って、
多くの人に読んでいただくことです。

そして、この「法愛」を読むことで、自分の努力で幸せになっていける。
そんな生き方のお手伝いができればと思っているのです。

責任を負えない絵は描かない

こんな川柳がありました。

鬼までが涙するよな虐待死

(毎日新聞 平成30年6月29日)

この句を見て、思い出す事件があります。
あまりにもむごいので振り返りたくなく、心に止めておいたのですが、
こんな詩にも出会い、考えるものがあったのです。

61才の女性の方の「言わずにはおれない」という題の詩です。

「言わずにはおれない」

神様
どうして
どうして
罪なき幼子が
惨(むご)いめにあうの

お願いです

愛することが
できない人のところに
どうか
どうか
子どもを送らないで

(産経新聞 平成30年8月10日)

この詩も川柳の句も、同じ事件から作られたのではないかと思います。

東京の目黒区で5才の結愛(ゆな)ちゃんが虐待死された事件です。
2年もの間、「しつけ」と称して虐待を続けていたのです。

たとえば、毎朝自分で目覚ましをセットし、
朝4時に起きて、ひらがなを書く練習をさせられていたというのです。
その部屋は明かりもなく、暗い部屋です。

そして十分な食事も与えられず、結愛ちゃんが、ノートに
「もうおねがい。ゆるして ゆるしてください」と書いていても、
許さず、死なせてしまったのです。

この父と母は、どんな絵を描いていたのでしょう。
愛のない、慈悲のない絵であることは間違いないでしょう。
できることならば、深く反省し、自らの過ちを認め、心を入れ替え、
まわり人たちにやさしさを与えられる、
そんな人生の絵を描けるようになってほしい。
そう深く思った事件です。

強い人間になれよ

誤った人生観を断ち切り、人は強く生きていかなくてはなりません。
誰しもが、正しく生きていける、そんな言葉をイメージして、
その言葉を生きる指針として生きていく。
そうすることで、必ず、その言葉に合った人生という絵を描けるのです。

ある新聞の投書に「一度限りの外食に思いを馳せる」という題で、
69才の女性が書いていました。

「一度限りの外食に思いを馳せる」

幼くして母を亡くした私は、父と2人で暮らしていた。
朝食はご飯とみそ汁に卵1個を分け合う貧しい生活だった。

外食など経験がなかったが、
一度だけ父が食堂に連れて行ってくれたことがある。

私がオムライスを食べている横で、お酒を飲みながら
「強い人間になれよ」と私に何度も言いながら泣いていた。
それから5年後に父は亡くなった。

同じく貧しい幼少期を過ごした夫と結婚し、45年がたった。
「外食はぜいたくなもの」いう考えに変わりがないが、
「父の日」が近づき、60年前の父との食堂での思い出が懐かしくなって、
夫とレストランに行った。

席上、お互いに父親の思い出は尽きなかった。
「強い人間になれよ」という約束を守って生きてきた私を、
父は天国から見ていてくれるだろうか。

(産経新聞 平成30年6月15日)

この文章から、父と外食をしたのが、この女性が9才の時で、
それから5年後にお父さんが亡くなったので、
14才のときには、もうお父さんもお母さんもいなかったと思われます。

そんな大変な状況で生きてこられたのは、
お父さんが残した「強い人間になれよ」という言葉でした。
泣きながら言った、その父親の思いはどうだったのでしょう。

5才の女の子を死なせてしまった義理の父親とは随分違い、
「強い人間になれよ」と告げた、この父親は我が子を思う気持ちがとても強く、
その思いをくみ取って、投書の作者は、その約束を守って強く生きてきたのです。

そんな生きる言葉を胸に、自分の人生の絵を描いてきたこの方は、
立派な人生を生きてきたと思います。

人生を自分の自由に生きることができる。
自由に自分の人生の絵を描くことができる。
これは確かなことですが、それには責任が伴います。

どんな思いを心の中に持ち、生きていくか。
その生きる姿勢が、間違ってしまうと、とんだ絵になってしまうのです。

その絵を見たまわりの人が、2度と見たくない絵になってしまうか、
いつまでも眺めていたい絵になっているか。
それは描いた本人の責任になるのです。

(つづく)