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法話

人生という美しい絵画 3 人生絵画を描く材料について

先月は「自分の人生の絵画を見る」ということで、
今まで自分が描いてきた人生についてお話し致しました。
そのお話の中で、どんなに些細なことであっても、
それがほほえみある幸せの出来事であれば、
人生の中に小さな花が描かれると書きました。続きです。

よい人生を模写する

人生をよく生きるために、まず幸せになりたいと思うことです。

次に、どうすれば幸せになれるかを考え、
できれば幸せになった人の生き方に共感し、
そのようにありたいと念じます。

さらには、どんな考えを持っていれば幸せになれるかを学び、
その生き方や考え方にしたがって日々努力を積み重ねていくのです。

今年の5月初めころ、伊那市高遠にある信州高遠美術館で、
「八代亜紀 絵画展~アートの世界」という特別展が開かれました。

八代亜紀といえば、歌手で有名な方です。
八代さんは、画家としても活躍されていて、自分のアトリエを持っているようです。
八代さんがどんな絵を描くのか、とても興味があったので出かけてみました。

美術館には、百数十点の作品が飾られていて、
その中に、模写した絵もたくさんありました。

ダ・ヴィンチの「モナリザ」や、
フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」の絵もあり、
なんと本物そっくりに描かれていました。

これだけの絵を描くには、描く場所や筆や絵の具、紙など
たくさんの材料を使ったと思います。
さらには、優れた絵を見て模写し、絵の技術を学んだのでしょう。

人生の絵画も、さまざまな材料を使い、自分の絵を描くと共に、
模写として、いろんな人の生き方や考え方に共感し、共有して生きていく。
そんな努力も必要な気がします。

そこで、人生の材料になるものを、今回考えていきます。

人生を描く材料としての投書

この「法愛」では、よく新聞に出ている投書を紹介しています。

なぜ多くの投書を載せているかですが、
一つ目の理由は、理論的な言いまわしばかりだと、
言っている意味が分からなからです。
文章が未熟なので、それを補うために、分かりやすい投書を使っているのです。

二つ目に、絵にもさまざまな絵があるように、
人生も人それぞれで、生き方が違います。
お釈迦様の教えも多岐にわたっていますが、
それはさまざまな人がいて、人としての考え方や生き方が違い、
今その人の合う教えを説いたので、たくさんの教えが残っているのです。

人はみな、自分自身の人生しか生きられません。
そこで、他の人の生き方を学ぶことで、
多くの人生を生きることができるのです。

投書を通して、他の人の優れた生き方や、
幸せになった生き方を学び見習うのです。
そうすることで、自分の生きる方向性を見定めることができます。

私自身、何種類もの新聞や雑誌を取り、日々目を通し、
「この投書の話は学ばさせてくれるなあ。すごいなあ」
と思い、自分自身の少ない人生観の中に、組み入れているのです。

絵を描くにも道具や材料がいります。
材料とは、研究などするめたに取り扱う資料です。

人生を生きていく中にも、生きるための材料がいるのです。
人生の絵画を描く材料となるものを考え、その材料を使って、
自らの心に輝く人生の絵を描いていくわけです。

感謝の念で胸がいっぱい

ある投書を紹介します。
87才の女性の方です。「病を得て気づいた夫の優しさ」という題です。

「病を得て気づいた夫の優しさ」

昨年末に思いもよらぬ大病を患い、1カ月余り入院生活を送った。

92歳の夫は長時間意識が戻らなかった私を案じて付き添ってくれた。
意識が戻った時には安堵して喜んでくれた。

私の入院中は、夫はひとり住まいとなり、家事一切をやることになった。
平素はあまり協力してくれなかったが・・・。
慣れないことで大変だったろう。

毎日家事を終え、朝刊と洗濯した衣類を持って病院に来てくれた。
少し背中を曲げてカートを押していく後ろ姿を見送っていると、
感謝の念で胸がいっぱいになった。

私は6月で88歳の米寿を迎える。
末広がりの佳き日を夫婦そろって元気に迎えたい。

(朝日新聞 平成30年5月17日)

こんな投書です。

病で入院すると、仕事も畑のことも家のこともできず、
ただ家族や看護師さんにしていただくことばかりです。

その時思うことが、支えられている自分です。
そしてその思いが感謝を深くしていきます。
そんな気持ちがまた、病気から立ち直らせる力になっていくのです。

この女性は、旦那さんが家のことをしてくれ、
少し背中を曲げてカートを押していく後ろ姿を見て、
感謝の念でいっぱいになると書いています。

この姿は人として神々しいほど美しいものです。
その姿はこの人の人生の絵画に、きっと輝いて描かれていることでしょう。

また92歳になる旦那さんも、妻に尽くす、その姿には尊いものがあります。
旦那さんも、妻が家にいない不自由する日々に、
妻がいてくれるのは有り難いことだと、感謝を思いを深くしていることでしょう。

こんな二人が体験している人生を、
私たちも感じ取り見習って、心に模写してみます。
きっと心を、感謝の色で染めることができましょう。

欲から遠ざかる

どのような人生にするかということに関心を持ってくると、
さまざまな人生の材料に気がつくようになります。

イソップ寓話も有名で、
そのなかにたくさんの生きるヒントが隠されています。
寓話とは、教訓を含んだたとえ話です。

この寓話は紀元前6世紀ごろ、古代ギリシャ時代に生きた
アイソーポス(イソップ)という人が書いたものだそうです。
身分は奴隷だったようですが、この寓話で名声を得たと言われています。

このイソップ寓話は、
それ以来さまざまな民話が付け加えられ現在に至っています。

この寓話の中で有名なのが「犬と肉」というお話です。

肉屋さんがうっかり落とした一切れの肉を
すばやく拾って喜び勇んでいる犬がいました。

犬が橋を渡っていると、
下の川の中に何かいるのでのぞき込んでみました。
すると、ずいぶん大きな肉をくわえた見知らぬ犬がこちらを見ています。

「ボクの肉より大きな肉をくわえている。
 吠えておどかし、あいつの肉も取ってやろう」
と思い、犬は川のなかの犬に向かって思い切り吠えました。

しかし、その途端、自分のくわえていた肉が川の中に落ちてしまったのです。

(イソップ寓話「犬と肉」)

このお話から学ぶ教訓は、
「欲張ると、元も子もなくなる」ということです。
「元も子もない」というのは、元金も利息もないという意味です。
私の母も生前「欲をかくとクソかく」と何度も言っていました。

欲深い人の人生の絵は、どんな絵になるのでしょう。
どんな色を使っているか推測もできませんが、
きっと鑑賞できる作品にはならないと思います。

欲深な人からは、人が離れていくのは確かです。
足ることを知り、少しの幸せで満足する、そんな人生を送ることです。

涙の数だけ強くなれる

ずいぶん前になりますが、歌手の岡本真夜さんが歌っていた
「TOMORROW」(とぅもろう・「明日」という意味)が大ヒットし、
今でも歌い継がれています。

この歌を聞いていると、なぜか元気がでてくるのです。
みんな頑張れという、そんな声が聞こえてきます。  歌詞の一部を載せてみましょう。

涙の数だけ強くなれるよ
アスファルトに咲く花のように
見るものすべてにおびえないで
明日は来るよ 君のために

涙の数だけ強くなろうよ
風に揺れている花のように
自分をそのまま信じていてね
明日は来るよ どんな時も

(岡本真夜「TOMORROW」)

人生の中で誰もが苦しみ、悲しみ、
どう生きていったらよいか分からなくなる時があります。
そんな時に、この歌を聞くと、なんだか頑張れる、そんな気持ちになるのです。

この平成という年号は、来年、終わるようですが、
この平成の30年間で、あまりにもたくさんの災害がありました。

平成7年に起こった阪神・淡路大震災では、
亡くなられた方が6434人おられました。

さらに、平成23年に起こった東日本大震災では、
亡くなられた方が1万9563人もいて、
まだ見つからない不明者が2500人以上おられます。

その災害の中で、涙を流した方はどれほどおられるでしょう。
でも、そんな災害の時にも、支えたい、助けてあげたいと思い、
現地まで行って、復興のために、さまざまな手助けをした人は数えきれないほどです。

アスファルトに咲く花のように、みんな強く立ち上がっています。
こんな歌の中にも、どう生きればよいかという導きの教えがあります。

これも人生を負けないで生きていくための、材料です。
この材料を使って、自分の人生に素晴らしい絵を描いていくのです。

お地蔵様に命を救われる

身近にある歌から、生きるための学びをしました。
さらには、日本に伝えられてきた
たくさんの物語や、民話、神話があります。

その一つひとつの物語も、
人生をどう生き抜いていったらよいかという、
人生を考える、大変参考になる材料に満ちています。

その中で、『今昔物語集』を挙げてみましょう。

この物語は、平安時代末期に成立されたといいます。
この物語を読んでいると、今の新聞の投書からよいものを選び、
500年ほどすると、こんな物語が成立するのではないかと思える、
そんな物語です。

これは創作ではなく、本当にあったことを集めたものです。
「今は昔」と始まるのですが、場所や名前も明確に表されていることからも
本当のことであると分かります。

この中で「伊勢の人、地蔵に命救われる話」を、まとめてみます。

今は昔、伊勢に信心深い人がいました。

毎月二十四日になると、
地蔵菩薩様にお参りするのが長年の勤めでした。

この伊勢は水銀が取れ、
この人は、その水銀を採掘する仕事をしていました。

いつものように3人の仲間と穴を掘って水銀を採集していました。
深く穴を掘り進めていると、どうしたことか穴の入り口が崩れ、
3人とも外に出ることができなくなりました。

地蔵菩薩をお参りしていたこの人は、心の中で念じました。
「地蔵様、ご慈悲をいただけるのなら、どうぞ助けてください」
すると暗い中が俄(にわ)かに明るくなり、
10才くらいの小僧が手燭を持って立っています。
そして「後について来い」というので、小僧の後をついていくと、
外に出ることができたのです。

後の二人は、まわりを見渡してもいません。
前を向くと、これまで導いてくれた小僧の姿も消えています。

助かったその人は、日頃のお地蔵様への信心の思いが報いられたと感じ、
いまさらながらお地蔵様の有難さに涙したといいます。

(今昔物語集「伊勢の人、地蔵に命救われる話」)

こんなお話です。

この小僧は、きっとお地蔵様でしょう。中には、
「このようなお地蔵様のお話は、平安時代という千年以上も前のことで、
 今の時代に、こんなことがあるとは思えない」
という人もいるかもしれません。
しかし現代でも、お地蔵様の霊験の話はたくさんあります。

素晴らしい人生の絵を描く

先月号で、太陽のお話をしました。
太陽は光であり、神や仏を象徴しているとお話ししました。

大いなる存在を信じ、手を合わせる生き方は、
必ず人生に救いの場をいただけます。
人生の絵画でいえば、いつも明るい人生の絵が描けているのです。

ずいぶん前のことですが、
私が北海道にお話に行ったとき、こんな話を聞きました。

あるお寺の総代さんが
ガンになって幾ばくもない命とお医者さんに言われました。
それなら京都にある本山に人生最後のお参りをしようと、
わざわざ和尚さんと一緒に京都に出かけたのです。

本山について一晩泊まり、夢をみました。その夢は
本山の御堂でたくさんのお坊さんがお経をあげお参りをしている夢です。
付き添ってくれた和尚さんに
「あれは誰のためにお経をあげているのですか」と問うと、
「あなたの病気が治るようにと、お経をあげているのです」と、答えます。
ふるえるほど感動し、夢から覚めました。

北海道に帰り、病院でガンの経過を見てみると、
すっかりガンが消えていたというのです。

実際、もう亡くなっているはずだという総代さんが、
私の前で元気に笑っていました。

人生の絵画の中で、見えないけれど
神仏(かみほとけ)を信じることが、素晴らしい絵を描く基本になります。

この世にはさまざまな学びの材料が満ちています。
それを上手く使い、納得のいく人生の絵を描いてください。