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法話

仏と共に歩む 2 仏とは何かを理解する

先月は「共に歩むものたち」という演題で、
お金や夫婦、健康などと共に歩むことについてお話し致しました。

お金なら、お金のことをよく理解していることが、
上手にお金と共に歩んでいけるというお話でしたが、
同じように、仏のことをよく理解していると、
「仏と共に歩んでいける」というお話をしていきます。

仏と仏像

仏とはお釈迦様や阿弥陀様、観音様やお地蔵様などをさします。
広い意味では、ご先祖様も礼拝の対象として、仏といえるかもしれません。

仏を表すために、仏像があります。
それぞれのお寺には本尊があって、本堂の中央に本尊である仏像が安置され、
参詣する人たちが手を合わせ、信仰を深めています。
仏像ばかりでなく、仏を色で表したり、音で表したり、
あるいは経典で表したりもします。

特に私たちが自然に目の中に入ってくるのが、仏像です。

お釈迦様は35才でお悟りを開き、
最初に出会ったウパカという人に伝道を始めました。
たまたま道で会ったウパカに「私は仏陀となった」と語りかけても、
信用してくれません。

最初は誰もが、お釈迦様が仏陀になったことを認める人がいなかったのです。
そこから仏教が始まりました。

やがてお釈迦様が80才になって涅槃に入られるときには、
お釈迦様は神格化され、みんなが仏陀と認め信じ、信じて認めるばかりでなく、
大いなる者として、今で言えば、近寄りがたい神仏の存在になったのです。

ですからお釈迦様が亡くなって、すぐに仏像が作られたわけではありません。
仏像を作ることなど畏れ多いと思い、法輪(仏の教えを、車輪にたとえたもの)や
菩提樹の葉を変わりに礼拝していたのです。

やがて仏の足(仏足跡、ぶっそくせき、と言い、
脚の裏に複雑な文様がほどこされている)をかたどったものを作って、
それを礼拝の対象として拝むようになりました。

ギリシャから伝えられてきた仏像

お釈迦様が亡くなられて500年余り後に、
インド西北にあるガンダーラというところで、
ギリシャ風の仏の釈迦像が作られるようになりました。
着ている衣服(衣)もギリシャ風です。
なぜ、ギリシャ風であったのでしょう。

紀元前330年ころ、ギリシャの北に位置する
マケドニアの王になったアレクサンダー(アレクサンドロスともいう)は、
ギリシャのアリストテレスの教えを受けていた人でもありますが、
ギリシャの諸都市を征服し、さらに当時のペルシア帝国を平定し、
さらにインドに至る大帝国を作りました。

アレクサンダーが行った遠征では、敵国を排斥するのでなく、
ギリシャとペルシアの融合を進め、ギリシャ兵士とペルシア女性の結婚を奨励し、
自らもペルシア王の娘と結婚しました。ですから、
ギリシャとペルシアの文化が上手に融合し、ヘレニズム文化が生み出されたのです。

その影響を受けて、ギリシャではさまざまな像が作られていたのですが、
それが仏教と融合し、仏教でも、今まで作られなかった仏像が
作られるようになったのです。

仏像の姿はギリシャの影響を受け、
ガンダーラではギリシャ風の仏像が残っているわけです。

その文化が、やがて日本にも流れてきて、
今ではギリシャの面影はありませんが、
お参りする仏像の奥にはギリシャの思想が入っているのです。

時の流れのなかで、ギリシャばかりでなく、
さまざまな文化と混ざり合いながら、
私たちはお釈迦様という仏像を礼拝していることになります。

そんな仏としてのさまざまな仏像の姿には、
「悟りを開かれ、今でも天の世界で私たちを見守り、
苦しみから多くの人を救済しようとしている仏の思い」
が表現されています。

仏の智慧の心

仏像の姿から仏を理解してきました。
次に精神的な心の面から、仏のことを考えていきます。

まず1番目に、仏に代表されるのは智慧です。
当寺では4月8日に、お釈迦様の誕生日をお祝いする「花まつり」を行います。
近くの小学生や中学生らが百数十人ほどお参りにきます。

チョコレートや飴(あめ)などのお土産を用意してあるので、
その噂(うわさ)を聞いた子供たちが走ってお寺にやってきます。
その時、箒(ほうき)の線を入れてきれいにしてある庭を、平気で走り抜け、
玄関に飛び込んできます。ですから、庭が足跡だらけになります。
お菓子を目当てにきた子ども達には、その掃き清められた庭が見えないのです。

でもなかには、山門から入る時、
手を合わせお辞儀をして入ってくる子ども達もいます。
そんな子どもは玄関に入ると、「ここは靴を揃えて上がらなくては」と言いながら、
友達と一緒に靴を揃えて本堂に入りお参りをしていきます。

そんな様子を見ると、
「すごいなあ、小学生からこんなことができるのだ」と深く感動します。

花まつりではない日でありましたが、
お孫さんを連れてきた女性の人が、山門を入る時、
「〇〇ちゃん、ここはお庭がきれいにしてあるから、石の上を歩くのよ」
と諭しているところを見たことがあります。
そんなとき、この女性の智慧を尊く思います。

あるいは、久しぶりに庵主さんがある用事で来られ、
その用事を済ませて帰っていかれたことがありました。
その庵主さんが、帰ってすぐ後で電話をくれたのです。

その電話で
「山門を入ると、きれいに掃除されている庭を見て、
あまりにもその庭がきれいにされていたので、
有り難くて涙が出てきてしまいました」
という、そんな意味の電話をいただきました。

最初にお話しした庭の上を走ってお菓子を目当てにくる子どもさんは、
智慧のない行動といえます。
ある女性が「石の上を歩くのよ」とお孫さんに諭す、
その姿は智慧の現れといえます。

さらには山門を入るときに手を合わせ、
玄関では靴を揃えて上がる子どもさんは、智慧ある子ですし、
きれいな庭を見て、その有り難さに涙を流す庵主さんの心は智慧の光に包まれている。
そんな気がいたします。

このように、仏の精神的な面を「智慧」で表すことができるのです。

善いことをすれば、善い結果が現れ、悪いことをすれば悪い結果が現れる。
感謝をすれば、互いが気持ちよく幸せでいられ、あたりまえと思って接すれば、
そこに気持ちのずれが起こり、互いが離れていくことになります。

このような智慧を学び、それを行動に移して日々生きていけば幸せになれますよ、
と教えてくれているのが仏です。

そして、そう生きている人は、また仏と共に歩んでいるといえます。

水たまりの物語

以前、臨済宗妙心寺派のホームページに9月ごろ、
「水たまりの物語」という文を載せたことがありました。
その文の中に、もう一つの仏の慈悲の心が表されています。
ここにその文章を載せてみます。

きらきら輝く夏も終わりました。そんな夏の思い出です。

私のお寺では夏になると、裏山からきれいな水が湧き出てきます。
夏の間だけですが、そんな冷たい水のおかげで、九輪草の花が咲き、
涼しい風がお寺を吹きぬけていきます。

その湧き水のためか、裏山近くに掘ってある小さな穴に澄んだ水がたまります。
朝、庭掃除をしながら、その水たまりを見ると、
アリや虫さんたちが落ちて、もがいているときがあります。
その様子を見て、思い出すのはイソップ物語です。
確か「アリとハト」の話。

ノドの乾いたアリが、池にやってきて水を飲もうとすると、
足をすべらせて池に落ちてしまいます。

それを見ていたハトが、可哀そうにと思い、
一枚の葉っぱをアリのそばに落としてあげます。
アリはそのおかげで命拾いをしました。

今度は池の付近を通りかかった猟師が
そのハトを見つけて鉄砲で打とうとします。
アリはさっきの恩返しをしようと、猟師の足に思い切りかみつきます。

「あっ、痛い」
猟師の大きな叫び声を聞いて、
ハトは無事逃げることができました。

その話を思い出しながら、私はさっそく、水たまりに落ちたアリを、
近くに落ちていた棒切れを使って助けてあげました。
少しだけアリからの恩返しを期待していた私は、
助けたアリの様子をしばらく見ていましたが、
私のことなど知らん顔をして、どこかへ行ってしまいました。

「なあーんだ、やっぱり物語の中のことなんだなあ」と思っていると、
心の中がとてもぽかぽかして幸せを感じています。
このぽかぽかした幸せの思いは何でしょう。アリを助けてあげたからでしょうか。
小さな命を助けたことが、こんなに嬉しくて幸せを感じられる。

「あのアリが私の心の中にある仏様の心を呼び覚ませてくれて、
こんなに幸せを感じられたのだ。今日はすごい恩返しをいただいたなあ」

こんな結論に達して、それから毎日、水たまりの中をのぞきこむのでした。
私自身の中にある、仏様の心を探すかのように・・・。

このような文です。

水たまりに落ちたアリを助けてあげた。
こんな些細なことでも慈悲の思いがなければできないことです。
困っている人を助けてあげたいという慈悲の思いが仏の心です。

ありがとうの中にある仏の心

慈悲の心は、ありがとうの思いがなければでてこないものです。

ありがとうの言葉は、互いの心を温かくさせ、幸せの思いに包みます。
仏は、そんなところにほほえみをもって立たれています。

こんな詩を見つけました。
小学校1年の女の子の詩です。

「ありがとう」

おばあちゃん
ママをたいせつに
そだててくれて
ありがとう
いっぱい いっぱい
ありがとう

(読売新聞 平成30年12月31日付)

指導している平田俊子先生のコメントです。
「大切に育てられたママが、〇〇さんを大切に育てているのですね」

こんな思いを大切にしていくと、
尊い慈悲の思いが育っていくのではないかと思います。

仏に似ている私たち

前述した「水たまりの物語」の最後のほうで、
「私自身の中にある仏様の心を探すかのように・・・」
という文章がでてきます。

仏教の基本的な考え方は、私の心の中に、尊い仏心、
仏の心が秘められているということです。

それは小さな種のような存在ですが、
この世で努力して育てていくことで、大きくなり、
さらに私たち自身が仏と同じ尊い存在になっていくことができるのです。

子どもが生まれると、
「この子はおとうさんに似ているとか、おかあさんに似ている」
とか、よく言われます。

まだ小さいころはどちらに似ているのか定かではありませんが、
年を取り老いてくると、なぜか、父に似てきたり母に似てきたりします。
努力もしないのに、どちらかに似てくるのです。

私も最近することが母に似ていると言われるのですが、
似ようと思ってしているのでなく、自然と似てきてしまうのです。

仏の心がみなの心の中にあるとお話ししましたが、
仏の心がみんなの心にあるのだけれど
、努力せずに、私たちは仏になることはありません。
努力し励み学んでいかないと仏のようにはなっていけません。

仏に似ているのですが、年を経て、自然に仏のようにはなっていけないのです。

仏さまのように見える

「仏さま」という詩があります。
ずいぶん前の詩ですが、とても気に入っているのでとってありました。
81才の男性の方が書かれたものです。

「仏さま」

二歳三ケ月の孫が
桃を食べている
おいしいときくと
おいちいと言います
そして おじいちゃんと言って
桃を差し出します
孫の顔が仏さまに見え
食べかけの桃をいただきます
ああ わたしも何か
人にしてあげたい
さっき自転車置場で
倒れていた自転車を
横目で見てきたけれど
あれを起こしてくればよかった

(産経新聞 平成13年12月23日付)

孫が仏さまのように見えたと書いています。

無心で食べかけの桃を差しだす孫。
相手を慈しむ仏の心に気づくと、そこに仏を見、仏と共に歩んでいけるのです。

(つづく)