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法話

美しき流れの中で、何を学ばん 2 幸せも苦しみも流れていく

先月は「さまざまな流れの美しさ」というテーマでお話し致しました。

自然の流れが美しいように、人の営みや、
さまざまな人との触れ合いも美しく流れていきます。
そんなお話でした。続きです。

幸せも流れ、美しく変化していく

幸せはいつまでもここにあって、壊れない。
そんな願いをみな持っていると思います。
でも、幸せも流れ移り変わっていきます。

春になると桜の花が咲きだします。
花は咲いて、やがてみな散っていきます。
そこから学ぶ生きる知恵は、みな移り変わっていくということです。

移り変わっていくのですが、
桜の花が咲いている時は美しく、幸せを思います。

もしかすると、桜の花が咲いている時よりも、
春風が吹いてくるころ、いつ桜が咲くのだろうかと待っている時の方が
幸せ感は大きいかもしれません。

そして、やがて散っていく時の儚く淋しい思いは
誰もが味わう思いですが、来年も咲くからという思いが心を癒してくれます。

『古今和歌集』に桜の花にちなんだ歌がたくさんでてきます。
その中に、読み人知らずですが、こんな歌があります。

うつせみの世にも似たる花ざくら
咲くと見しまにかつ散りにけり

『日本古典文学全集十一巻』(小学館)では、こう訳しています。

はかない人の世によくも似ているなあ。
桜の花は咲いたなと思った瞬間に、その一方では散っているよ。

この「うつせみ」というのは「世」とか「命」につく枕詞で、
現世のはかなさをいう時に使うようです。

桜の花の美しさを見て、幸せを思う。
その一方で儚(はかな)く散ってしまう桜。
一年に一度十日ほど咲く花。
雨に逢えば、数日で散ってしまう。
でもその移り変わりが、また幸せな思いを抱かせます。

幸せは儚いゆえに、また美しいのかもしれません。
いつも幸せでいると、その幸せが分からなくなることがあります。
流れていくからこそ、幸せも大切にできるのかもしれません。
そして、そこから大切な学びが生まれるのです。

形あるものは、みな壊れていく

平成15年のことです。
本山の命を受けて、九州の佐賀県へ同じ宗派の寺院を巡り、
お話に歩いたことがありました。

その年の3月15日の午前0時、
博多港から船に乗り、五島列島の小値賀(おしか)町に
午前4時50分に着き、その日の10時から、
その町にあるお寺様でお話をしました。

その後、佐世保まで船にのって、
松浦、平戸そして唐津まで、2週間ほどお話の旅をしました。

唐津のあるお寺様でお話をした後、そのお寺の奥様が
「何か飲みたい飲み物がありますか」と聞かれたので、
「コーヒーが飲みたいのですが」と答えると、
さっそく、美味しいコーヒーを持ってきてくださいました。
その時、机の上にいっぱい資料を広げて、
お話の予習をしているところを見られてしまいました。

そのお寺を去る時に、奥様に
「勉強家で、コーヒーのお好きな布教師さんに、
唐津焼のコーヒーカップをお土産にさしあげます」
と言われ、素敵なコーヒーカップをいただき、大切に持ち帰りました。

それを自分のお寺に帰って、
さっそく使い、コーヒーをいただきました。
それを使っている内に、取っ手が取れ、接着剤でくっつけ、
また取っ手が取れ、接着剤でくっつけ、
これ以上使っていると、その記念の器が壊れてしまう。
だから、私の勉強机の前に飾ることにしました。
形あるものは、やがて壊れていくのですね。

当時の想い出は大切に心にしまってあるのですが、
器は壊れていきます。

いただいた大切な壺も壊れ、高いお皿も割れ、
お気に入りの箸(はし)も使えなくなってしまいます。
お袈裟も衣も白衣もそうです。

でも、壊れてしまって使えなくなっても、
普段の生活に困らないように、変りの新しい物がでてきて、
やがて古い物は忘れ去り、新しい物を使える幸せが流れていきます。

流れていくなかで学ぶもの

家族の形にはいろいろあります。
ごく一般の家庭では、夫婦に二人の子がいるということでしょうか。

でも、なかなかそうはいかず、今では結婚しない男女も多く、
結婚しても、子どもができなかったり、できても男の子ばかりであったり、
あるいは、障害を持って生まれてくる子もいます。

さらには、若くして逝ってしまう場合もあり、
仲の良い夫婦でも、いつか別れがあります。

みな変化していくなかで、
ともに培ってきた幸せの事ごとは、人の心を深くしていきます。

こんな短歌を見つけました。男性の方の歌です。

結ばれて六十五年短かり熱き骨壺しっかりと抱く

(読売新聞 令和元年7月1日付)

評として小池光先生が
「骨を納めたばかりの骨壺は、抱くとあたたかいものである。
六十五年共に暮らした妻なればなおさら。
長いようで短かかった。しっかり胸に抱き寄せる」
と書いていました。

私も母の骨壺を抱いて、お寺まで帰ってきましたが、
そのあたたかさを今でも覚えています。
過ぎ去ってしまった夫婦としての六十五年。
そこにはさまざまな体験があり、人としての多くの学びがあったことでしょう。

あるいは、こんな方もいらっしゃいます。
55才の女性の方の詩です。

「お母さん」

車椅子の母に
くつ下
はかせてあげていると

自分が ふんわり、
まあるい存在に
なっているような
気がしました
子どものいない私を
お母さんにしてくれる

母。

(産経新聞 平成30年12月2日)

子どもがいないと「お母さん」と呼んでもらえません。
それだけでも淋しい思いをします。
この女性もそうであったのでしょう。

でも、自分の母を介護して、
「子どもの私をお母さんにしてくれる、母」と書いているところは、
なんと美しい思いでしょう。
この人の心の姿がきれいに現れています。

子がいない辛さを、
自らの母が子になってくれて、幸せを感じています。
苦しみも幸せも、こうして変化し流れていきます。

流れいく人生の中で救われていく

悲しみや苦しみは、その時はとても辛い思いをしますが、
時が移り変わっていくので、その時の流れに心も癒されていきます。

ある女の子が亡くなって
二十三回忌の法要(平成25年のこと)がありました。
その時、当時のことを思い返しました。

彼女のことは拙著、
『精いっぱい生きよう そして あの世も信じよう』
という本にも書きました。

4才で亡くなったので、
お通夜のときに、こんな話をしてからみんなでお経を読みました。

美香ちゃん(仮名)。
僕お坊さんだけどわかるかな。
初めてですね。

カブトムシさん知っているね。
そのカブトムシさんが死んじゃったのわかるかなあ。
カブトムシさん死んじゃうと動かなくなって・・・・。
そういうふうに。美香ちゃんも死んじゃったんだ。

それで、お母さんと同じくらいやさしい
観音さまのような人がお迎えに来るから、
その人の手をちゃんと握って、その人についていくんだよ。

美香ちゃんにはとても難しいかもしれないけれど、
これからみんなで般若心経を読むから聞いてね。

観音さまについていくんだよ。
お母さんと同じくらいやさしい人だからね。

そんなお話をしてから、みんなでお経を読みました。
お父さんもお母さんも泣きながら、お経を読みました。
そしてお母さんには、こう伝えました。

どうか、美香ちゃんにお話をしてください。
医学的には死んでしまったら何もわからないといわれていますが、
わかるんです。お母さんの気持ちが、です。

その後、お母さんはお棺の中の美香ちゃんに
一生けん命お話をしたそうです。
そうすると、小さな娘さんの目から涙がこぼれ落ちたそうです。
きっと、お母さんの気持ちが伝わったのですね。

子どもさんを亡くすというのは、悲しく辛いことです。
でも、この子どもさんを送って、この家の生活が変わったのです。
もし美香ちゃんが生きていたならば、おそらく手を合わす生活は生まれなかったでしょう。

でも、毎日手を合わせ、美香ちゃんにお参りします。
朝、ご飯をあげて、お参りの後、ご飯をさげて、
みんなでそのご飯をいただくといいます。

年忌も欠かしたことはありません。
お寺のつき合いも始まり、お父さんもお母さんもお寺の役をしていただき、
法話を聞いたり、この「法愛」を読んだりと、
心の学びを深めていきました。
これも美香ちゃんからいただいた尊い体験です。

観音さまかもしれない

二十三回忌、当時の別れの悲しみを忘れることはありませんが、
ご両親には、笑顔がもどってきました。
法要の前に、こんなお話をさせていただきました。

ここに出て来る遠藤太禅という和尚さんは、
福島県三島町にある西隆寺の住職をしていました。
太禅和尚さんが石工姉妹の鈴木マリ子さんと、るり子さんにお願いし、
その熱心な願いを受けて、この二人が二年ほどの歳月をかけて、
33体の観音様を彫(ほ)ったのです。

縁があって、私もそのお寺にお参りし、その観音様を見ました。
その観音様の笑顔に心を打たれ、護国寺にもこんな観音様が欲しいと思い、
少し工夫して「野の花かんのん」を作ったのです。

太禅和尚さんは詩人で、
その観音様にそれぞれ詩を載せて、本にしました。
その観音様の5番目の「落陽かんのん」に書かれていた詩を載せています。

美香さんは、平成3年8月25日に4才で亡くなられました。
今日が命日です。

この世で子どもさんのうちに亡くなると、
あの世でその子を育てる役のある方が、大人まで育てるのだそうです。
保育士さんのような役目のある人があの世にもいるのです。

そこで大きくなって、今では27才くらいになっていると思います。
すでに、立派になって、あの世で自分の欲する仕事をしていることでしょう。

今日もここに集われた家族の皆さんを見て、懐かしく思い、
いつも大切にしてくださっていることをちゃんと受け止め、
感謝していることと思います。

おそらく深い理由があって早くに逝かれ、
私たちにさまざまな縁や学びをさせてくださったのだと思います。
今はこうして手を合わせることも自然にでき、
毎日のお参りや、見えないものに対する考え方をずいぶん学ばれたことでしょう。

私たちもあの世に帰れば、美香さんが早くに逝った理由も知り、
「なるほど、そうだったのか」と、分からせていただく日がきっと来ると思います。

美香さんが亡くなる時に、観音様が迎えに来るというお話をしましたが、
美香さん自身が観音様であったかもしれません。
次の詩から、そんな思いをくみ取ってください。
遠藤太禅和尚さんが作った詩です。

いたく母に叱られた幼い日 
かんしゃくを起こして父の大切な湯飲みを割った
黒ずんだ荒れた手で黙って破片をかき集めている母
破片の上にボロボロと涙を落とすのを見た
母のすすり泣く声が幼い私の胸をえぐった
落陽が母の横顔を染めた
はるかにも遠い幼い日 私は声を挙げて泣いた
ごめんなさい お母さん
六十路のいま 声を限りに泣きたい
あわれ大慈大悲よ

こんなお話をしました。

この詩では父も母も観音様であったと知ったのです。
美香さんも何かを教えるために、この世に現れた観音様です。
その観音様の思いをくみ取り、その観音様の思いを無駄にせず、
学び多き日々を生きているこのご家族も、
人生の流れの中できらきら光る大切なものを、
きっと学び取っていることでしょう。 

(つづく)