.

ホーム > 法愛 3月号 > 法話

法話

真心こめて生きる 1 大切な生き方

今回からお話する「真心こめて生きる」は、
平成26年7月23日、長野県辰野町にある臨済宗の瑞光寺様で行われた、
上伊那仏教婦人会でのお話です。 それぞれ宗派の違うお寺様から集まった、
150人ほどの女性のみなさんに聞いていただきました。
6年も前のことなので、少し手直ししながら、進めていきます。

円空仏(えんくうぶつ)とは

「真心こめて生きる」を別の言葉で言えば、
「人生を大切に生きる」となります。
これが結論ですが、ともに、このことについて考えていきましょう。

長野県の伊那市では、さまざまな宗派のお寺さんが集まり
伊那仏教会という組織を立ち上げ、布教活動を行っています。

その活動の中で、
いろんな宗派のお寺様を巡るという研修旅行をしていました。
令和元年からは、その活動も終わりになってしまいましたが、
平成25年の時、岐阜の高山の方へバス2台ほどで研修旅行に行きました。

拝観したお寺様の中に、千光寺というお寺があって、
別名「円空仏の寺」と言われているお寺でした。

150名ほど出席をした婦人部の皆様に、
「円空仏を知っていますか」と聞くと、
ほとんどの方が知らないといいます。

私は昔ある雑誌で円空仏を見た事があって、
その円空仏を実際に見られるというので楽しみにして参加しました。

円空という人はお坊さんで、
同じ名前の人は平安時代にも鎌倉時代にもいたようですが、
今回話題にしている人は、江戸時代前期の円空で、
仏師でもあり歌人でもあった人です。
1632年の生まれで、1695年に没しています。
約63年の生涯でした。

円空というお坊さんの彫った仏様を、円空仏というのです。
木彫りの仏像で、ゴツゴツした一刀彫(いっとうぼり)という
独特な形をした仏様です。

現在、5320体ほど残っていて、偽物も多いようです。
テレビで放映している「開運、なんでも鑑定団」で、
この円空仏の本物が出てきたことがあって、
その時の値段は確か100万円を超えていたと記憶しています。

仏様に会わせたい

円空は生涯で、2万体ほどの木彫りの仏様を作ったといいます。
20才から亡くなる63才まで42年間で計算すれば、
1年で約2800体の仏様を彫らなくてはなりません。
1日では7から8体ほどになります。

はじめて絵で見た円空仏を見た私の感想は、
「こんな仏様なら、私にでも彫れそうだ。そんなに有り難い仏様なのか」
という印象でした。

でも、その雑誌の説明を読んでいると、
「短時間にたくさんの仏様を作って、多くの人に分けてあげたい。
 多くの人に仏様と出会っていただき、仏の心を信仰してほしい」
という、そんな文章が綴(つづ)られていました。
それを読んで、円空の仏様への真心を思い、
立派なお坊さんだと思ったのです。

どのような思いで仏様を彫(ほ)るのか。
その思いは木の中に、彫った人の思いが宿るのです。

お金儲けのために彫るのか、趣味のために彫るのか、
仏様に出会ってほしいと思って彫るのか。
その思いが、木の彫り物である仏様に伝わり、
その思いが香りとなって、木彫りの仏様から漂ってくるのです。
真心こめて彫った仏様には、真心の香りがそこから醸し出されてくるのです。

何でもそうです。
食事を作るにも、洗濯するにも、挨拶を交わすにも、
そこに真心を込めれば、その思いが相手に通じていくものなのです。

「よたっこ」の寛仁君

千光寺にある「円空仏寺宝館」で、円空が彫った木彫りの仏様を拝観し、
その後、お昼に宴会をしました。

各お寺の総代さんが参加されているので、お昼にはお酒が出るのです。
私もお酒をいただいていると、見知らぬ人がお酌に来られました。

その人がお酌をしながら、「和尚さん、私を覚えているか」というのです。
「全く分かりません」
「高校のとき確か、和尚さんを教えたことがあるのですが」
そう言うのです。

「思い出しませんか。でも、当時の和尚さんのことを一言でいうと、
 どこから見ても、よたっこだった」
そういうのです。
私はそれなりに真面目にやっていたつもりだったのですが。

旅行から帰って数日後、
伊那の市役所に用事があって家内と一緒に出掛けました。
その市役所で中学の同級生とばったり会ったのです。
女性でしたが、不思議に彼女の事は覚えていて、挨拶をかわしました。

するとその女性が家内に言うのです。
「寛仁君は、とっても、よたっこだったのよ」と。
「またか」と心の中で笑ってしまったのです。

それから1週間くらい後に、お寺に見知らぬ人が訪ねてきました。
風貌がヤクザっぽく、一緒に来た奥さんも「極道の妻たち」という、
そんな雰囲気の人です。

話をしていると、どうも高校生の時の後輩で、
体操部で一緒に部活をしていたというのです。
彼には高校生の時の面影がまったくなかったのですが、
ヤクザみたいな後輩がまた言うのです。
「先輩はこわかった。よたっこだったし」と。
「またか!」と思ってしまいました。

40年後に作った詩

この「真心をこめて生きる」の話をしたのは、還暦の時でした。
よたっこの寛仁君から40年以上経っています。

綾小路きみまろがよく語ります。「あれから40年」と。
はじめて夫婦になったころは
「あなた! あなた!」と夫を慕っていた奥さんが、
40年過ぎた時に「あれから40年! 触らないで。近寄らないで」と。
そうきみまろがおかしくユーモラスに語ると、聴衆がどっと笑います。

私も真似をして、「よたっこの寛仁君から40年!」というと、
やはり聞いていた婦人部のみなさんがどっと笑ったのです。
きみまろの笑いを少しお借りしました。

そして、当時の7月の「法愛」に書いた詩を、そこで紹介しました。
「言葉の響き」という題の詩です。

「言葉の響き」

幸せになれる言葉を
いっぱい
使ってみましょう

ありがとう
すみません
幸せです
あなたのおかげです

負けません
がんばります
信じています
信頼しています

きっとうまくいきます
いつも豊かです
努力をいといません
働くことが大好きです

あなたの幸せを
祈っています

言葉ひとつで
みんな幸せになれる

よたっこの寛仁君が40年後に作りました。

この詩を読むだけでも、心の汚れが取れそうな気がします。
よたっこの人が書けそうな詩ではありません。

このお話を文字にするとき、一度、このお話を聞き直したのですが、
この詩を聞いたときの思いは、実際に心が幸せに包まれたような気がしました。

さまざまな思いが混ざり合っている

私たちの心の内からわいてくる思いは、
さまざまな思いが複雑に絡み合っています。

どんなに優しい人でも、怒る時があります。
どんなに怒りっぽい人でも、優しいところがあります。
欲深な人でも時には人のために働いたり、
人のためと思っていても「ありがとう」の言葉が欲しいと思う時もあります。

ここで気づかなくてはならないことは、
どちらの思いを多く使ってきたかで、
その人の人生がつくられていくということです。

優しさを人生の中で多く使ってきた人は優しい人になります。
自分本位な思いもあるのですが、その思いを律して、
思いやり深く生きてきた人は、思いやり深い人になっていきます。

今回のテーマで言えば、
優しさ、あるいは思いやりを大切にする生き方ができるようになることが、
「真心こめて生きる」になるのです。

よたっこの私でも、こんな面もありました。

ずいぶん昔のことですが、大学受験のために、
指定された旅館に泊まったことがありました。
受験日の朝、その旅館で朝食を取るため広間に行きました。
すでにそこで何十人かが朝食を取っていました。

その広間にあがるとき、
幾つものスリッパが乱雑に散らばっていることに気づき、
一つひとつ丁寧に、そのスリッパを揃ろえて、部屋に入りました。

それを見ていた旅館の仲居さんが、
「そんなことをしなくてもいいのですよ」
と言ってくださったのですがやめませんでした。
こんな行動に出られたのは、父が禅僧であったからなのでしょう。
私が小さいころから「くつは揃えてぬぎなさい」と、
何度も言われてきたからです。
あれから40年、ずっと続けていることです。

悪い面を持っていても、必ず良い面も持っているものです。

道の人とは

私がよたっこから脱したひとつの大きな原因は、出家をしたことです。
坊さんになったことで、お釈迦様やお祖師様の教えに出逢ったのです。

還暦になった私を、今、誰もよたっことはいいません。
(私の知らないところで、そう言っている方もいらっしゃるかもしれませんが)

お釈迦様の教えの中に、こんな言葉が出てきます。

頭を剃ったからとて、身をつつしまず、
偽りを語る人は、〈道の人〉ではない。

袈裟を頸(くび)から纏(まと)っていても、
性質(たち)が悪く、つつしみのないものが多い。
かれら悪人は悪いふるまいによって死後には悪いところ(地獄)に生まれる。

(『感興のことば』中村元 岩波文庫)

お釈迦様が生きておられたときにも、
頭を剃っても偽りを語る坊さんや、
性質(たち)が悪く、つつしみのない坊さんがいたのですね。
今でも、こんな教えを学ぶと、結構厳しいものがあります。

以前、本山の布教師をして
全国のお寺さんをまわってお話をしていたことがありました。
20年ほど勤めたのですが、他の場所でお話しするのは、
そんなに負担ではなかったのです。

なぜならば、話しっぱなしでよかったからです。
お話したことには責任がありますが、遠くのお寺の檀家さんなので、
普段の生活を知らないからです。

そうではなく、普段の生活を目の当たりに見て
知っている人たちに話をするのは、話した人の責任が倍増します。
「あんないいことを言っていても、普段の生活はどうだろう」
などと揶揄(やゆ)されかねないのです。

突然お寺を尋ねていったら、本尊様の花が枯れていた。
庭は草だらけだった。そんな坊さんのお話など信用できない。
そう思われても仕方のないことです。

あるお寺さんで、お話をすませて、そこの檀家さんと話をしていると、
そのお寺の住職のことを悪く言っていた人がいました。
「汚いお寺で、困っている」と。そのお寺さんの部屋はきたなく、
掃除がしていなかったのです。
檀家のみなさんは、よくお坊さんの生活を見ているのです。

頭を剃ったならば、身をつつしみ、真実を語り、偽りの生活をしてはならない。
そう思いお話をさせていただいていると、まだまだ未熟ではありますが、
よたっこの面が少しずつ消えていったのではないかと思います。

死後には地獄に生まれる

お釈迦様の言葉に、
「悪人は悪いふるまいによって死後には悪いところ(地獄)に生まれる」
とあります。

坊さんの中には、「地獄があれば行ってみたい」という人もいますが、
生きている時でさえ、地獄のような苦しいときがあります。
死んでからも、そんなところに行きたくはない、
と思うのが賢明な考え方です。

先に「法愛」の詩(平成26年7月号)を載せましたが、その月の言葉は、
いらいらして、かっとなると幸せが逃げる。穏やかに和して生きる」でした。

いつも穏やかに、多くの人と和して生きられれば、
こんな幸せなことはありません。

でも、人生は思うようにならないことがたくさんあります。
そんなとき、いらいらしてかっとなり、きつい言葉を相手に言ってしまう。
そこから仲たがいが始まり、不幸を味わうこともあります。

どのようなことがあっても、穏やかに生きようと思い、
その思いを忘れないで培っていく。
これも大切な人生を生きていることになります。
そのように生きている人は、決して地獄に堕ちることはありません。

(つづく)