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法話

すべてが宝と知る 2 生きるという宝

先月は「物の大切さを知る」ということでお話し致しました。
さまざまな物は、その人の思いによって変化して見える。
だから、多くのものを宝として見つめられる人でありたい。
そんなお話でした。続きです。

生きている私

ある新聞(平成26年8月7日)の記事を読んでいると、
当時よく知られていた人が自らの命を絶ち、そのことにふれて、
『日本一短い手紙』という本の中にあった優秀作である手紙を載せていました。

あのとき
飛び降りようと思ったビルの屋上に
今日は夕陽を見に上がる

とっても苦しい思いをし、もう生きていられない。死んでしまいたい。
そう思ってビルの屋上に行った。そこから飛び降りようとしたが、
思いとどまり、生きようと思った。

苦しみを乗り越え、生きている喜びを感じた。
そして今日、もう一度、飛び降りようとした屋上に上がり、
美しい夕陽を見た。美しい。生きていてよかった。そう思った。

これは、私がこの短い手紙から推測した作者の思いですが、
そんなに間違ってはいないと思います。

生きているときには辛いことがたくさんあります。
そんな辛いなかでも、友の言葉に救われることがあります。
『日本一短い手紙』のシリーズの「涙」という本の中に、

「頑張れ」の嫌いな私だけど、
貴方(あなた)に言われた「頑張ってるな」に
何故か涙が止まらない

これは「二十年目の夫」へと書かれた手紙です。
頑張れとはよく言われることで、「そんなに頑張れない」と言ってしまいそうですが、
夫は頑張っていることを知っていて「頑張ってるな」と言ったのです。
私の辛さを知っていると思い涙が出てきた。そう受け止めることができます。

昨今、有名な方々が自分で逝ってしまって、いたたまれない思いになりますが、
この手紙のように、理解している人が隣にいることを見つめられる
心の目を持つことが大切で、命は宝と思い、
力強く生きぬいていくことが大事であると思います。

生老病死の意味

お釈迦様の教えに、四苦(しく)と言って、
人生には四つの苦しみがあると教えています。
多くの人が知っている教えだと思います。

生まれて来る苦しみ、老いる苦しみ、病気の苦しみ、そして死の苦しみです。
若く元気でいるときには感じない苦しみですが、
苦しみに直面している人にとっては、耐えがたい重荷といえます。
自分の死ではないけれども、幼くして我が子を亡くした苦しみはどれほどでしょう。

池江璃花子さんのように、自らが白血病にかかったときの不安はどうでしょう。
しだいに老いて、顔にしわが目立ち、足腰が痛み、若いときのように力もなく、
働く場も無くなっていく、その心の思いはどうでしょう。

少し難しくなります。

これらの苦しみをよく考えてみると、みな肉体に関係する苦しみと読みとれます。
この四苦は、自分の肉体に強く執着すると、その苦しみが増していくのです。
健康であることは大切なことですが、その健康に執着していると、
病気になったときの苦しみは大きなものになります。この肉体、身体は常に変化し、
古い細胞と新しい細胞が入れ替わりしてこの肉体が保たれています。

私たちの本当の姿は、常に変化し流れているこの肉体ではなく、
この肉体に重なっている心(魂)の姿が、本来の自分です。
その心の姿をどう作り上げていくかが、私たちの大いなる使命といえます。
この使命を果たすために必要なのが、健康な身体、肉体なのです。

健康に気をつけ、心を育てていく生き方と、楽しく暮らせばいいと思い、
健康に気をつける生き方。同じ健康でも、ここに大きな違いがでてきます。
お釈迦様は「この身体は泡沫(うたかた)とみよ」と説いています。
これは、肉体にあまり執着せず、心を磨きなさいという教えです。
健康に気をつけながら、心を育てていく。そこに命が輝きだし、
さまざまな出来事が宝に見えてくるのです。

難度の高い教えですが、まず知ることが大事であると思われます。

人生の体験を宝とする

この宝としての命を生かすために、この世でさまざまな体験をします。
その体験から多くを学び取るためにも、その体験を宝とする生き方が必要になるのです。

本山の布教師をしていたころ、九州の大分県にあるお寺さんを回ったことがありました。
その中で、想い出となるお寺さんがあります。

そのお寺に着くと、山門が朽ちていて、屋根から草が何本も生えています。
「これを直すには、結構お金がかかるだろうなあ」と思いながら、
お寺に上がらせていただきました。そこの和尚さんはまだ若くて、
「ひどい山門ですね」と言うと、
「そうなんです。私がここにきて数年なので、まだ直す手立てがないんです」と。

檀家さんが集まって、本堂でお話を始めました。
最初に山門が気にかかっていたので、山門の話から始めたのです。
山門は神社でいえば鳥居(とりい)と同じで、
煩悩多きこの世とお寺という清浄なる場とを分ける所です。
山門の中が悟れる彼岸で、山門の外が此岸(しがん)といって
迷えるところともいえます。

そんな世間の患(わずら)いの場から、その山門を入ると、
清浄なる場に身をおくことができ、心も安らかになるのです。
そんな大切な山門が朽ちていて、屋根には草がたくさん生えています。
みなさんの力で、この山門を本来の姿に戻してあげればどうでしょう。
さらに山門としての力が増すと思います」。

そんな話を最初にし、法話を終えました。
終えてしばらくすると、そこの和尚さんが
「布教師さん、檀家さんで、山門を直す寄付をしてくださるという人がでました。
 ありがとうございました」
と、笑顔で言ってくれました。

このようなことは稀(まれ)ではありますが、
お話を聞いて寄付をする、その人の徳の高さに頭の下がる思いをした出来事でした。

一期一会の時間

宮城県の松島方面に布教に行ったときのことです。
10数カ寺を回ってお話をしました。

そこは布教師としては結構大変なところで、
初めていった布教師さんが最初のお寺でお話をして、
それがあまりにひどい法話だったので、「もう、布教師はいらない」と、
返されてしまったところです。

なんとか無事に終えましたが、記憶に残るお寺さんがありました。
そのお寺さんでお話を終え、夜、食事をしました。

そのとき、そこの和尚さん、歳(とし)は50代くらいだったと思いますが
「最初、本山から来るという布教師さんの年齢を聞いたら若いので、
 こんな若い布教師は駄目だと断ったら、あなたが来た。
 来たのはよいけれど、もっと若かった。でも、いい話だった。
 後で特別に呼んであげるから、お話をしてくれ。あんたは、きっと偉くなれるよ」

そう言ってくれました。

私が30才なかばごろのことでしたが、
あの和尚さんが言ったようには、偉くはなれません。
精進が足りないのでしょう。

でも、そう言ってくれて、ありがたく、
生かされてされていることを学ばさせていただいた体験でした。

このお寺の和尚さんは、その後、急逝されて、
再びこのお寺にお話に行くことはありませんでした。
一期一会の大切さを思います。

時には命をゆっくり使う

人の命の使い方はさまざまです。
次の詩を学んでみます。61才の女性の作品です。
「月」という題です。

プールの帰り道
月がきらきら光っている
あの十五夜
中秋の名月か

濡れた髪に
風が心地好い

仕事をしていた頃
私は早足で
月を追いかけていた
今はゆっくり歩く私に
月が
どこまでもついてくる

(産経新聞 平成26年9月8日付)

忙しく働いているときは、月を愛(めで)るゆとりがなかったかもしれません。
そんな忙しさで、いつも月を追いかけていた。

それが、時が経ち、日々に、ゆっくり歩ける余裕がでてきた。
だから、月が私についてくる。そんな心境を歌っています。

ゆっくり歩く私に月がどこまでもついてくる、そんな生き方も宝の生き方と思えます。
忙しさに自分を失いかけたとき、この詩を読み返すと、何か尊い生き方が発見できそうです。

家に母おわします

うちの檀家さんですが、晩年不治の病になっても、
旦那さんと共に痛みを乗り越え、与えられた命を生き切り、
静かに息を引き取った女性がおられました。

やさしい笑顔の似合う方で、お寺の女性部の3役の一人としても、
お寺おもいの人でした。

葬儀の時にお話したものを載せます。
ごく身近な、私たちにも多くを学べそうな生き方であると思います。
生きることが宝であり、そう生きた人が、
その生き方にふさわしい光の世界に帰っていくのです。

ここに小原ゆきさん(仮名)は数えで81年の生涯を閉じられました。
お通夜の時、お経を読みながら接したゆきさんのお姿は、やさしく、荘厳で、
この濁世という煩悩の荒波が常に押し寄せる世であっても、
よく自らを調え、頂いた命をしっかり生き切った、そんなお姿でした。

この小原家にお嫁に来て、この家を守り、家族を支え、
また夫を支えることはもちろんのこと、101才まで生きられたお姑さんの杖となり、
さらには晩年、10年ほど自らの病と闘いながら、今度は支えられるご修行をなされ、
互いが助け合って幸せを作り上げる、そんな尊い生き方をされました。

大正、昭和初期に活躍した吉井勇という歌人がいました。彼の短歌の中に、

わが心いたくきずつきかえりきぬ
           うれしや家に母おわします

というのがあります。

学校や仕事などで疲れ傷つき家に帰ると笑顔の母がいた。
あるいは妻がいた。おばあちゃんがいた。
家を守る人の強さとやさしさに包まれ、また力をいただいて、
私たちが生かされてきた。そんな意味の歌だと思います。

ゆきさんも、そんな母であり、妻であり、おばあちゃんでした。
その姿を、生き方を、家族のみなさんが語ってくれました。

じっとしていられないほど働き者で、
病気になって歩けなくても柿や栗の皮をむいて、
根気の必要な仕事をずっとしていました。

まわりの人を大切にする母で、
ピンチの時には必ず駆けつけて励ましてくれました。

家族が集まると、座る暇もなく、あれこれ料理を作ってはもてなしてくれ、
みんながワイワイ楽しんでいる様子を、
キッチンで笑顔で見つめている姿が忘れられません。

人と話をすることが大好きで、世話好きで、
先のことをよく考え、義理や常識的なことを教えてくれました。

天然ボケのところもあって、まわりを大笑いさせてくれることもありました。

和食や和菓子の手作りのお料理もいつも作ってくれました。
田畑も大好きで、いろんな種類の野菜をたくさん作ってくれました。

花が大好きで、家のまわりを花で一杯にしてくれましたね。
お風呂も大好きで、やさしくて、ほめてくれて、気づかってくれて、
お産のときには一晩中腰をさすってくれて、笑顔をくれて、
自分が忙しいのに、私に食事を作って持ってきてくれ・・・。
たくさん支えていただきました。

今までほんとうにありがとうございました。

日々のことごとを思い返し、感謝の思いを添え、
み仏様の導きを願いながら、お別れの拝礼を致します。

与えられた命を生き切る。そのために、生きること、
そのものが宝であると知り、一つひとつの出来事を大切に受け止め、
ゆっくりと焦らず、やさしく、おおらかに生きていくのです。
「生きる」そのものが宝なのです。

(つづく)