.

ホーム > 法愛 4月号 > 法話

法話

不満と感謝の言葉

 このお話は、平成27年3月2日、当寺の花園女性部の理事のみなさんにお話ししたものです。
26分くらいのお話だったので、一回でまとめてみます。

言葉の力

この「法愛」にいつも月の言葉を添えて、みなさんにお配りしています。
「法愛」の文章が長くて読めない人は、この言葉だけでも読んでいただき、
心の糧にしていただきたいという願いで、この「法愛」に添えさせていただいています。
読んでいる人のなかに、この月の言葉の紙を見えるところに貼って、
いつも心に、この言葉を投げかけている読者もいるようです。
このお話をした年の2月の言葉は、次のような言葉でした。

不満の言葉は心を汚す 感謝の言葉は心を豊かにする

こんな言葉を添えさせていただきました。

不満の言葉は心を汚し、貧乏神に好かれてしまう。
感謝の言葉は心を豊かにし、福の神に守られるのです。

不満な思いになるのは簡単

不満の言葉は心を汚すと書きましたが、
この不満の思いはすぐでてきます。
この思いは「出してはいけない!」と強く思わなければ、
たやすく出てきてしまうのです。

身近なことからいえば、
「今日の夕飯はカレーにします」と妻がいう。
そのつもりで夕飯の食卓にむかうと焼き魚であった。不満の思いがでてくる。
テレビを見ていて、勝手に番組を変えられてしまった。いい気持ちはしない。
ご飯を食べる時、自分は手を合わせて食べるのに、相手は何も言わないで食べる。
「この人、どういう人」と思ってしまう。

相手がやさしくない。
言うことをきかない。
お礼の言葉がない。
相談なしに決めてしまう。
文句ばかり言う。
仕事がうまくいかない。
すぐ怒る。言い訳ばかりする。
ケチで欲深い。
自分のおもうようにいかない。

このような思いは努力しなくてもすぐ出てきてしまいます。
そして、仲たがいになっていきます。

ある女性が健康を害して、入院をしました。
すると夫が「いつまで入院するんだ。俺の飯、どうするんだよ」と言う。
その言葉を聞いて、情けなくなってしまい、
生きる力を失ったという女性がいました。
妻の入院に不満を持ってしまった夫の話です。

このとき夫が
「大丈夫か。痛いか。ゆっくり休みな。
 お前がいないと家は大変だけれど、なんとか頑張って家を守るから。
 安心して養生するんだよ」
と言えば、少しは妻も安らかな思いになるでしょう。
この言葉をかけるには、普段から妻に感謝の思いを持っていないと、
なかなか出てこない言葉です。

感謝の言葉をかけるには、努力がいるのです。
そして妻のいるありがたさを、さらに深く知るのです。

不満の思いと感謝の思い

不満と感謝の思いですが、
どちらを多く持つかで、その人の幸不幸が決まってきます。
今日一日の不満の量と、感謝の量を比べてみてください。
不満の量が多ければ、幸せ感は薄いでしょうし、
感謝の量が多ければ、幸せな一日と思えるでしょう。

こんなことがありました。

用事があって車で出かけました。
道路を走っていると、前方に信号があって、青です。
青なら、そのまま走らせていけばいいと思っていると、
前の車が信号が青にも関わらず止まるのです。
よそ見をしたり、スピードを上げていたら、どうなったか分りません。
何故、前の車が、信号が青なのに止まったかです。

前の車は、対向車線をこちらに向かって走ってきた幼稚園バスが、
その信号で左に曲がるために方向指示灯を出しているのを見たのです。
それを見て、先に通してあげようと止まったのです。
幼稚園バスは、そのまま左に曲がって走り去っていきました。

そして、信号がまだ青であったので、
止まっていた前の車は走り出しました。
そして私が続いて車を走らせようとすると、
信号が黄色に変わったのです。
私はそこに止まり、信号が青になるまで待ちました。

考えるに、その道路を走っている車は、前の車と私の車だけで、
そのまま青で走り抜けていけば、幼稚園バスも、
そんなに時間を待つことなく左に曲がれたのです。

そのとき、不満が心を襲いました。
「何故、青信号で止まるんだ。そのまま通りすぎれば、
 バスだって、すぐ曲がれたではないか。
 もし、私の車が前の車にぶつかったらどうするのか」と。

この日、この出来事で不満を思い続け、
前の車に乗っていた「奴(やつ)!」に怒りをぶつけていたら、
その日は不幸の一日になってしまったでしょう。

その時、心を入れ替えて、
「ぶつからなくてよかった。守られた。それだけでも良かった」
と、そう思うようにしたのです。
すると不満が少しずつ消え、その日を何事もなく過ごすことができたのです。

不満を思う、そんな気持ちを一日中持ち続けていれば、
その日は不幸の日になってしまいます。

心を入れ替え、不満の思いをなるべく出さないように、
出たら、心を切り替え、不満の中に、
何か学ぶべきもの、感謝すべきものを探して、
心を平らかにすることが大切なのです。

ある僧侶の怒り

『徒然草』の第45段の所に、ある僧の話が載っています。
怒り多い僧で、まわりの人は、
その僧の普段の生き方をよく見ているのではないかという、そんな話です。

良覚僧正という坊さんがいて、
その坊さんは非常に怒りっぽい人でした。

その坊さんのお寺に大きな榎の木がありました。
そこで人びとは、「榎木僧正」とあだ名をつけました。
すると坊さんは「そんな名前は、けしからん」と不満を持ち、
その木を伐ってしまったのです。

ところが、その木の根が残っていたので、
人びとは「きりくいの僧正」とあだ名をつけました。
坊さんは、その名を聞いてさらに腹を立て、
切り株を掘り、捨てました。

するとその後に大きな堀できました。
そこで人びとは「堀池僧正」とあだ名をつけました。

こんな話です。

世間の言葉に、その都度不満を思い、腹を立てていては、
いつまでたっても、幸せには暮らせません。

世間様が自分のことで悪い噂をしていて、それに心を乱し、
不満を持ち、腹を立てていては損するのは自分自身です。
そんな言葉や噂は聞き流し、今ある自分を大事にし、
善を積みながら生きていくことです。

片目をつぶる

相手と上手くやっていくために、相手の悪いところを見ない、
そんな考え方も必要になる場合があります。
不満解消の、ひとつの考え方です。


次の投書を読んでください。
66才の男性で「『片目をつぶる知恵』を大切に」という題です。

『片目をつぶる知恵』を大切に

早朝散歩の楽しみの一つに、
人生の先輩から「人生の極意」を教わることがある。

先日会ったその80歳の方は
「夫婦円満の秘訣は片目をつぶること。
 不満なことがあっても決して叱らず、口論してはいけない。
 よいところをいつもほめることが大事だ」
と言った。

この「片目をつぶる知恵」は、夫婦だけではなく、
友人や会社の人間関係などにも当てはまる。

他人の欠点にばかり神経をとらせるのでなく、
できるだけ長所を見るようにすれば、誰からも学ぶことができる。

人間関係だけではない。日常生活の中で、
足りないものや不快なことを数えるのではなく、
ちょっとした出来事にも感謝や喜びを見いだすよう心がけることが大切だ。

還暦を過ぎ、人生豊かにすることの大切さを
いっそう感じるようになった。
「片目をつぶる」というアドバイスはとても貴重に思える。

(産経新聞 平成27年1月19日付)

こんな投書です。

夫婦円満の秘訣は「片目をつぶる」ということ。
夫婦ばかりでなく友人や人間関係にも言える。

片目をつぶるというのは、
相手の足りないところや不快なところばかりを数えるのでなく、
互いに感謝をみいだす心がけが大切。そう書いています。

夫婦でいえば、
そんな片目をつぶる関係を作っていけばいいのですが、
中には、「落花、枝に返らず」のように、
二度とよい関係にもどらない、そんな夫婦もいます。

『夫に死んでほしい妻たち』(小林美希著)という本が出ていて、
その本の題名だけでも、「こんな恐ろしい本がでているのか」と、
一瞬疑ってしまったことがあります。

読んでみると、この「法愛」の話も届かないほど、
夫婦関係で悩み苦労している女性がいるようです。

夫が亡くなって開放感いっぱいで、イキイキしている女性。
家の中でいちいち夫にペコペコしなくてよくなった。
食事を考えて用意する煩わしさもない。気楽でいい。

こんなにまでならないよう、
世の男性は、この投書を読み、学び、
不満を言わずに、感謝の思いを深めることが大事です。

松の想い出

感謝するには、自らの我を抑え、
相手のことを思う気持ちを高めていくことです。

相手の気持ちを察し、
それが自らを支えてくれていると感じたとき、
自ずから感謝の思いはでてくるものです。

もう何年も前になりますが、
お寺の玄関の右横に赤松の木がありました。
それが枯れてしまったのです。

原因は定かではありませんが、
雪の季節には、緑の葉に白い雪が重なり、
自然の美しさを、その松が教えてくれました。

論語に出てくる私の好きな言葉の中に、
「歳寒くして、しかる後に松柏の後凋を知るなり」
があります。

春や夏に樹木がみな緑のとき、
松や柏(ひのき)などの常緑樹などの木の緑は目立たない。
しかし寒い時節になると、他のすべてが落葉したとき、
初めて松や常緑樹が目立つ。

そんなところから、人も危難のときに真価が分かるという意味です。
さらには努力を惜しまず、続けていくことで、
やがて努力の結果がでてくるとも受け取れる言葉です。

そんな松が枯れてしまったのです。
その松も父が山から取ってきて、庭に植え、大切に育て、
それなりに剪定し、形のよい姿にしたのです。
その松は、私の幼かったころからずっとあって、
その松が枯れて死んでしまったのです。

その松を伐採して、そこに巨石を置くことになりました。
松を伐採するとき、松に対して感謝を込めて小さなお葬式をしました。
そして伐採のときには、松が切られるのを見ていられませんでした。
松を天に送る感謝の言葉は、般若心経というお経でした。

帰ってきた遺骨

いつも気になっているのが、
東日本大震災で被災し亡くなった行方不明の方々のことです。

この3月11日で10年になります。
昨年の12月10日のまとめで、
まだ行方不明の方が2523人おられるようです。

そんななか、昨年の12月17日に、
石巻市の金華山沖で遺体が見つかったという記事が新聞に載っていました。
この金華山は行ったことがあったので、より身近に感じたのですが、
見つかった遺体は当時86歳の女性の遺体でした。
11年3月の震災から9年9カ月を経て遺族に戻ったのです。

いまだに捜索している方々に頭が下がるとともに、
今は亡き人の遺骨を手にした遺族の方々は、
さぞかし、発見してくださった方々に感謝の思いを抱いたことでしょう。
そして、その遺骨を手にした遺族のみなさんの思いはどうであったでしょう。
その遺骨は、感謝とともに、大切に供養されたことでしょう。

感謝の思いをどこまでも

感謝の思いは物にも、そして人の心にも深く染み入って、
幸せの園をそこに作っていきます。

ある投書に、
家電にもありがとうの言葉をかけている女性の話が出ていました。

妻の話声が脱衣所から聞こえてくる。
居間に戻ってきた妻に夫が「何を話していたの」と聞くと
「洗濯機に声を掛けていたの」と言う。

洗濯機に向かって
「きれいに洗濯してくださいね」
「きれいに洗ってくれてありがとう」。

冷蔵庫には「食材の保管ありがとう。助かります」
炊飯器には「おいしいご飯を炊いてくれてありがとう」。
そう言っては、家電に感謝している。
不思議に我が家の家電は長持ちしている。

そんな投書でした。 

不平を言い、相手に不満を持って暮らす一日もありましょう。
ありがとうと感謝の思いや言葉を添えて暮らす日もあります。
その生き方を重ねて一年が過ぎていきます。

そして、一生涯生きて、何と苦労の多い人生であったことか。
不幸な人生で、何一ついいことがなかた。
そう言って人生を終わるのも、その人の一生です。

そうではなく、何と支えられ生かされ、守られてきた人生であったか。
私を支えてくださった多くの人に感謝します。ありがとう。
そう言って人生を終わるのも、その人の人生です。

不満の言葉を並べて生きるか、感謝の言葉を語り生きるか。
どちらの人生を選ぶかは、読者の生き方しだいです。