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法話

丁寧に生きる 3 心をこめて生きる

前回は、序として「丁寧に生きる」糸口のようなお話をしました。
その中である投書から、さまざまな考え方を学びました。
今回は、丁寧に生きるとはどういうことであるのかを、もう少し深く考えていきます。

両手でいただく

みな、心安らかに暮らしたいと思っていることでしょう。
でも、人生にはたくさんの波風が起こり、心を乱すことがたくさんあります。
その中で、丁寧に生きることが心の安らぎを得、
幸せに暮らしていく、一つの生き方といえます。

ノートルダム清心学園の理事長をしていた渡辺和子さんがおられました。
出された本がたくさんあって、その中に『面倒だから、し
よう』(幻冬舎)という本があります。

一度速読し、別の日に、つれづれにまかせて、
ぱらぱらめくっていると、第一章が「ていねいに生きる」とあります。
一度読んだときには気がつかなかったのですが、
このお話を作っているときに、パッと目に止まったのです。不思議です。

もう一度読み直してみて、正しく生きていくうえで、
「ああ、同じことを考えている人がいるのだなあ」と思ったのです。
この章の中に、相田みつをさんの詩を載せていました。
「現代版禅問答」という題だそうです。

「現代版禅問答」

「仏さまの教えとは
なんですか?」
ゆうびん屋さんが困らない
ようにね
手紙のあて名を
わかりやすく
正確に書くことだよ
「なんだ、そんなあたりまえの
ことですか」
そうだよ そのあたりまえの
ことを こころをこめて
実行していくことだよ

(相田みつを)

こんな詩を載せて、
渡辺さんは、心をこめて字を書くことの大切さを思っている時、
また違った一つの言葉に出会ったと、次の言葉を載せています。

「人のいのちも、ものも、両手でいただきなさい」

この言葉から、こうも書いています。
卒業証書や賞状をいただくとき、両手でいただきます。
赤ちゃんを抱く時も、両手で抱き上げる。そこにはていねいさがある。

そして、もし「現代版キリスト教問答」があって、
「神さまの教えとは何ですか」と問われたとしたら、 「あたりまえのことを、心をこめて実行すること。
 与えられるひとつひとつのいのちも、両手でいただくこと」
と答えるでしょう。こう書いて、この章を閉じています。

ここでは、仏さまの教えも神さまの教えも、
「どんな小さなことでも、心をこめて、ていねいに接し、生きていく」
となります。

大切な宝として

このお話をした平成27年に、
ある方から便箋5枚に書かれた手紙をいただきました。
52才の男性で、その手紙には訳あって、
栃木県のある刑務所で服役しているというのです。

なぜ、こんな人から手紙が来るのだろうと思いながら、
その手紙を読み進めていると、独房での孤独を語りながら、
こんな文面が3枚目に出てきました。

二年前かな、知人から一冊の小冊子を差し入れしていただきました。
それは護国寺が発行された「法愛2012年6月号」でした。

ムショではこの種類の純精神的な糧はほとんどありません。
貸出しの官本は大部分はこの近辺の図書館の破棄本です。
「法愛」は小生の乾いた心田に、
みずみずしい泉のように甘露を与えていただきました。
三年前の印刷物ですが、今でも大切に保存しており、
勿論、ずっと大切な宝として手元に置いておきます。

こんな文章です。

そして是非、「法愛」を送ってくださいとあり、
さっそく、送って差し上げました。

この手紙を読み、誰がこの人に差し入れしたんだろう、
栃木にある刑務所だから、まったく護国寺とは縁のない所なのに、
と思わずにはいられませんでした。

この手紙は、相田みつをさんの詩にあるように、
とても丁寧な字でわかりやすく書かれていて、
このような立場の人の心の中に、「法愛」の教えがしみ込んでいくことを、
とてもありがたく感じたことでした。

この「法愛」を両手で受け取り読む。
そんな丁寧さが感じられ、そう受け取り読めば、
心の安らぎが広がってくるのだと思います。

言葉の力

この手紙に出て来る、
2012年の6月の「法愛」に何を書いたのだろうかと、とても関心が出て来て、
今まで書いて保存してある「法愛」のファイルの中から探して読んでみました。

メイン法話は「愛語の花びら舞う季節」というテーマでのお話。
最後の詩が「言葉の力」でした。
そういえば当時、この詩を筆字で書にしたいという人がいました。
「どうぞ自由に使ってください」というと、
後日、この言葉を書いた書を額にいれて持ってきてくださいました。
今でもお寺の玄関に飾ってあります。

その詩を載せてみます。
手紙をくださった男性もこの詩を読み、心田を潤したのかもしれません。

言葉の力

一つの言葉でほほえんで
一つの言葉で喧嘩する
一つの言葉でやる気を起こし
一つの言葉で挫折する
一つの言葉で安らいで
一つの言葉で不安になる

言葉には
不思議な力がある
そう知れば
上手に言葉を使うが良い

できることならば、言葉も丁寧に使えば、
自分自身も心が穏やかになり、聞いている相手も幸せを感じることができます。

思いはものに入りこむ

丁寧に生きるために、小さなことでも心をこめてする。
そんな話をしました。

不思議なことですが、
その思いがものに入りこむことを知っているでしょうか。
ものに入りこみ、その思いが相手に影響を与えていくのです。

たとえば、人が住んでいる家と、
人が住んでいない空き家とでは、雰囲気が違います。
人が住んでいない家は、なぜか淋しそうで活気がありません。
そう感じとる人はたくさんいるはずです。それはなぜでしょう。

人が住んでいると、家そのもに、家族のあたたかな思いが宿り、
その思いが、家に現れ出るからです。

家の玄関などは、その家の家族の思いが現れていて、
幸せに暮らしているのか、それともそうでないのかが分かる人もいるようです。
これは人の思いが家や玄関に入りこんで、思いの姿をそこに現すのです。

普段使っている布団を太陽の陽にほすことがあります。
その布団は太陽の陽を受けて、その布団の中に入ると、お日様の匂いがします。
太陽の陽の温もりが布団の中に入りこむからです。

そのように、人の思いも、ものに入りこむのです。
家や布団ばかりでなく、お料理や洗濯物、音楽、絵画、陶器、人の言葉にも、
その人の思いが入りこんで、相手に影響を与えていきます。

ありがとうの言葉でも、心から思って言っている場合と、
ありきたりな作法として言っている場合とでは、
そのありがとうに込められた思いは、当然違ってきます。

お経もそうです。
坊さんが深い悟りを持っていれば、そのお経にも、
その坊さんの亡き人への安らぎを願う丁寧な思いが込められていき、
救済力があります。

そうでなく、あの世も信じなくて、
ただお経をあげているような場合では、亡き方を成仏させる力は少ないでしょう。

美しく書かれた手紙に込められた思い

丁寧に物事を扱うことで、その思いが、さまざまなものに入り込み、
相手にいい影響を与えていくというお話をしました。

次の投書は、まさにそのことを教えていただくものです。
「先生からの手紙は一生の宝」という題で、
73才の男性の方が投稿されたものです。

「先生からの手紙は一生の宝」

私は小学校4年から柔道を始め、
高校に入った頃には名門大学からの誘いもありました。
まさに柔道が自分の生きがいでした。

しかし高校の試合で肘関節骨折と靭帯断裂の重傷を負ってしまいました。

その日から絶望の日が始まったのです。
そんな時に「博ちゃん、さぞかしお力落としのことでしょう。具合はどうですか?」
と書き出しで始まる美しい字で書かれた1通の封書が届きました。

小学校の担任だった女性の先生からの手紙でした。
「人間の一生はどんなに努力しても
 1度や2度、とてつもない不幸に見舞われるものなのです。
 これからの人生を大切に勇ましく立ち上がる男らしさを見せてください。
 先生は博ちゃんの本当の実力を信じています」

柔道は現役を退いたものの、
この手紙がなかったら今の私の人生はなかったと思います。
先生からの手紙は私の一生の宝物になりました。

(産経新聞 平成27年3月付)

美しい字で書かれた手紙で、その文の中に、
どんなに努力しても1度や2度、不幸に見舞まわれるという人生の在り方や、
かつての教え子に対して、励ましを与えながら、この男性の実力を信じている、
と書いています。

小学校で関りを持った先生で、この男性が怪我をしたのは高校生の時です。
普通であれば、年月が過ぎて、このような手紙を書くことなど考えられないことです。
手紙を受け取った博ちゃんは、この先生の思いを受け取り、立ち直っていきます。

文字の中に込められた先生の尊い思いが、人に生きる力を与えました。
この先生自身が、人生を丁寧に生き、小さなことでも大切にして生きている、
そんな生き方を思い起こさせる投書です。

あたたかな思いを大切にする

丁寧に生きる、その生き方の一つは、先にあげた渡辺和子さんの
「あたりまえのことを、心を込めて実行する」ということです。

心を込めるというのは、別な言い方をすれば、
「あたたかな温もり」を添えるということです。

時々、ブックオフに行って、本を探します。
特に、もう出版しないと思われる全集を探すのですが、
その日、ブックオフで目に止まったのが新美南吉(にいみなんきち)の全集でした。

12巻そろっています。誰だろうとじっと見ていると、一緒に来た妻が
「この人、童話作家で、『手ぶくろを買いに』っていう狐さんの童話の原作者だよ」
と言うのです。
「この人が書いたんだ」
と知り、さっそく買ってきました。

新美南吉(1913~1943)は日本の児童文学作家で、
結核で29才までしか生きられませんでしたが、
教師をしながら、たくさんの童話を残しました。

宮沢賢治は岩手県に生まれているので、北の賢治で、
愛知県に生まれた南吉は、南の南吉と言われた人です。

この「手ぶくろを買いに」という童話は、
全集の2巻に載っていて、たった6ページしかありません。
私が持っている絵本は黒井健の絵ですが、とても温もりのあるあたたかな絵です。
丁寧に描かれていて、やわらかな思いを与えてくれる絵です。
簡単にあらすじをお話しします。

白い雪が積もった寒い冬の日、
おかあさんキツネは冷たくなった我が子の手を見て、
子キツネに毛糸のてぶくろを買ってあげようと、町に出かけます。

おかあさんキツネは、以前人間にひどい目にあったので、
子キツネの手を人間の手にかえて、坊やだけ一人で行かせます。
子キツネは、お店の戸をたたき、間違ってキツネの手を出して、
この手にあった手ぶくろをくださいとお願いします。
お店のおじいさんは、キツネの手と分かっていても、
つかまえずに、笑顔で毛糸のてぶくろをわたしてあげます。

帰り道、ある窓の下を通りかかると、やさしい歌声がします。
「ねむれ、ねむれ、母の胸に、母の手に・・・」。
子どもに聞かせているお母さんの歌声でした。
人間のお母さんのやさしい歌声を聞いて、
子キツネは自分のお母さんが恋しくなって、
お母さんのもとへ跳んで帰りました。 

こんなお話です。

あたたかな温もりを思わせる童話です。
キツネのお母さんも、人間のお母さんも、
我が子にあたたかな思いを添えています。

丁寧に生きるとは、
こんなあたたかな思いを大切にしながら、
心をこめて生きることなのです。

(つづく)