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法話

尊さを見つけだす力 3 困難から立ち直ろうとする尊さ

先月は「目に見えないところにある尊さ」というお話を致しました。
神仏は見えませんが、私達の幸せをいつも願い見守ってくださっています。
そう信じて生きる人生が尊いのだというお話でした。続きです。

小さいことのコンプレックス

誰にでも一つや二つは、コンプレックスがあると思います。
コンプレックスとは、自分が他より劣っているという感情で、
劣等感とも説明されています。
ですから、このコンプレックスで悩み苦しむのです。

ある調査によれば、
20代から50代の男女にコンプレックスがあるかどうかと聞いたところ、
約93%の人がコンプレックスを持っているという調査があります。

その内容は、背が低いとか目が小さい、太っているとか痩せている、
顔がでかいとか、中には、大人っぽい服がどうしても似合わないなどがあります。

こんな詩を見つけました。
この人は背が低いことでコンプレックスを感じ、悩んでいたのですが、
ある人の言葉で、上手に克服しています。
「ちいさい女」という題で、43才の女性の詩です。

「ちいさい女」

ある人が言った
背が小さいのは
才能だと
それまで背伸びをして
ヒールを履(は)くことしか
考えなかった私
ふと気付いた
私は決して
人を上から
見下ろしたことがない
背が高かったら
あなたを
見上げることも
なかったのだと

(産経新聞 平成27年4月17日付)

こんな詩です。

背が低いためにヒールをいつも履いていた。
でも、人を見下ろしたことがない。

これは相手を見下したり、自分が傲慢になって、
相手を傷つけたことがないことを意味していると思います。

もし背が高かったら、傲慢になってあなたを見下げ、
尊敬することもなかったかもしれない、
今は謙虚にあなたの良いところを見ることができています。
そんな意味にもとれます。

背が低いという事実は変えられません。
そのコンプレックスを精神的な考え方で克服しようとしています。
その生き方が尊いわけです。

大きいためのコンプレックス

逆に、身長が高すぎて、それがコンプレックスになっている人もいます。

私が中学生だったころ、
2メートルほどの背丈がある北原君という男性がいました。
自転車通学で、かれが自転車に乗ると、その自転車が三輪車のように見えて、
当時はそれがおかしく、からかったりしました。

彼が身長にコンプレックスを感じていたかは定かではありませんが、
彼がバスケットボールの選手になり、中学の県大会で3位になったのを思い出します。
それほど、バスケには、彼が必要であったのでしょう。
高校は、県外の、どこかのバスケの強い学校に引き抜かれて行きました。

バレーボールで1992年と1996年の五輪に出た、大林素子さんがいます。
彼女は現在186センチほどあるようですが、小学校の頃、すでに1700センチあり、
それが原因でいじめにあったのです。
それで、高い身長にコンプレックスを持ち、
いつも目立たないように、下を向いていたといいます。

高校に入って、バレーの力を少しずつつけ、
全国大会のポスターのモデルに抜てきされて、
そのとき初めて自分を受け入れられるようになり、
胸を張って道を歩けるようになったというのです。

学生時代からの経験で、
「人生死ぬまで努力が必要で、あきらめたら終わり」
という言葉を生きる糧にしていると聞きます。

努力してバレーボールの選手となり、
その努力が認められ、高い身長のコンプレックスから脱したわけです。
その生き方も尊いと思います。

失敗から立ち上がる尊さ

誰でも失敗はあります。
その失敗で自分がつぶれてしまうか、
そうでなくて、その失敗を、これからの生き方にどう生かすかで、
生きる尊さが変わってきます。

この「法愛」という冊子は、1200部ほど作っていて、
表紙は色のついたコピー用紙を使っています。

初めの頃、白い表紙でしたが、ある女性に「法愛」をお渡しすると
「もう、これもらいました」というのです。
月が違っていて、内容も違うのですが分からなかったのです。
そこで、月ごとに違う色のコピー用紙で発行することにしました。

表紙の花の絵は、花のイラストカット集からコピーして取り、
詩の下に張りつけ、印刷するのです。そのとき、注意しないと、
その花のカットが裏返しになって、印刷されてしまいます。

息子が印刷をしていたある時(平成27年5月初旬)、
300枚ほど表紙を刷って、気がついたのです。
花のカットの絵が裏返しになって、花の絵が映っていなくて、
何やら線のようなもののみが詩の下に印刷されています。
失敗したのです。

「ああ、300枚も刷ってしまってもったいない。どうしよう」
そう思って、5月の詩を読んだのです。
そして、立ち直りました。
ちょうど、良い詩に巡り逢ったといえます。

こんな詩でした。
「何度でも」という題です。

「何度でも」

人は失敗をかさねると
そのたびに恥ずかしく思い
力を落として逃げたくなります

でも 誰でも失敗はするのです
前向きに生きようとしているから
失敗があるのです

だから失敗するたびに
やり直そう
この失敗から学ぼうと思って
何度でも立ち上がるのです

やがて
立ち上がる力が成功を引き寄せ
今までの失敗が
黄金色に変わります

失敗をしても
何度でも立ち上がるのです

準備を怠らない

私が中学生のときです。
伊那市の中学生のスケート大会があって、
それに出ないかと体育の先生に言われました。

当時はグランドに水を張って凍らせ、そこでスケートの大会をしたのです。
今では温暖になって、そんなことはできませんが。

大会の前の日、心配ごとがありました。
スケートの刃を磨いてなかったので、そのまま大会に出て大丈夫だろうか、
上手に滑ることができるだろうか、ということでした。

グランドを何周かする競技でしたが、スタートした直前に転んでしまいました。
氷がすべすべで、スケートの刃が氷に食い込みません。
そこで棄権(きけん)をすればよかったのですが、そんな芸当もできません。

転びそうになりながら、みんなと半周も遅れ、
転びそうになるたびに、笑い声と「ああ、大丈夫か」という声を聞きながら、
ゴールしました。
ゴールしたときには、大きな拍手をしていただきましたが、
恥ずかしさでいっぱいでした。

私に大会に出ることを進めた先生は、
ゴールした私の姿を見て、首をかしげ、何の言葉もかけてくれませんでした。
今でもその時の悔しい思いは忘れません。
スケートの刃をしっかり研(とい)いでいれば、
みんなと同じくらいにゴールできたのにと、今でも思っています。

そこから学ぶことがあります。
それは用意を怠らない、ということでした。

先に、大林素子さんのことを書きましたが、
彼女が中1の新人戦のとき下手であったのに、ずっと試合に出されたといいます。
部員からブーイングの嵐を受け、顧問の先生からは、
「練習していない者に落ち込む資格はない」とびしっと言われたのです。
理由は、悔しい思いをさせるために、あえて試合に出させたということでした。
そのとき、努力しなくてはうまくなれないことに気づいたといいます。

何ごとも、努力し、準備を怠らないことです。

スケートの失敗から、
1時間の法話でも、拙い話ではありますが、
努力を惜しまず、準備をして、演題に立つことを心がけています。

尊さを見つけだす力 4 尊さを身につける方法

尊さに関心を持つ

最後の章として、
今までお話ししてきた尊さを、どのように見つけ、
自分のものにしていったらよいかを考えてみます。

まず考えられることは、尊さということに関心を持つことです。
人としての尊さとは何か、生きるうえでの尊さとはどういうものか、
どう生きたら尊い人生を送ることができるのかなど、
この問いに関心を持ち、日々を暮らしていくのです。

関心がないものには、興味を抱くこともなく、学ぼうともしません。
音楽に関心のある人は、音楽を聴いたり、
自分の関心のある楽器を習うかもしれません。
草花に関心のある人は、本を買い求めて、
草花の名を覚えたり、育てたりするかもしれません。

ある家に二宮金次郎の石像が置いてあるところがあります。
少年の姿で、背には薪を負い、手には本を開いて読みふけっている、
そんな姿をしています。

勤勉さを大事にしているのでしょう。
その石像を建てた人は、とても勤勉で、たくさんの資料のファイルを集め、
それが家の中には収まらず、小屋を立てて、
そこに、その資料をきれいに収めていたのです。
その小屋の中を見せていただいたことがありましたが、「すごい!」の一言です。
金次郎の石像に関心を持つことで、勤勉さを身につけた人だと思います。

誰からでも学ぶ精神を大切にする

吉川英治が「われ以外みな師」という言葉を残しています。
これを実践するのは難しいことです。
尊敬できる人や、歴史に名を遺した人の意見や考えは受け入れやすいのですが、
年下や子ども、あるいは尊敬できないような人、嫌いな人の意見を、
自らの学びにするのは、なかなかできないことです。

お寺の裏庭で、何か動物の鳴く声がして、
どこから聞こえてくるのかと探してみると、
近くの水の流れていない川に、タヌキが横になって死にかけていました。
もう逃げる力もありません。
「こんなところで死なないでくれ」と思いながら、
少し時間をおいて、再びそこに行くと、すでにタヌキが死んでいます。
可哀そうに思い、山に穴を掘って、お地蔵様のお札と共に、埋葬しました。

そのとき、やはりお地蔵様は偉いものだと思ったのです。
タヌキ君と共に、埋葬されて、その地蔵様の使命を果たしています。
お地蔵様は、代受苦(だいじゅく)といって、
相手の苦しみを代わりに受けてくださる働きをしています。
一枚のお札でありますが、その尊さに学ぶものがありました。
何からでも学ぼうと思えば、学べるのです。

いつも感謝の心を忘れない

いつも感謝の思い忘れないでいると、
人生の中で、代えがたい尊さを見つけ出すばかりでなく、
自らが尊い生き方ができるようになります。

最近「ヤングケアラー」という言葉がでてきました。
イギリスからこの言葉が来ているようですが、
日本語では「若年介護者」と意味するようです。
でも、一般の「介護」と少し違う意味で、
カタカナを使っているといいます。

家事をしたり、家族の中に病気や介護しなくてはならない人がいれば、
その人のお世話する子ども達のことをいいます。

立場はそれぞれですが、そこに感謝の「ありがとう」があると、
尊い生き方ができるようになります。

17才の女性の投書(毎日令和3年3月28日)がありました。
「胸に響く母の『ありがとう』」という題の投書です。

「胸に響く母の『ありがとう』」

うちは母子家庭です。
私が生まれて直後、父は病気で亡くなりました。
母は私より6つ上の兄と生まれたばかりの私を、
女手一つで育ててくれました。

私は小学校5年生の頃から、
母のお手伝いをするようになりました。
朝、登校前に3人分の洗濯物を干したり、
ゴミ捨てに行ったりしました。
中学に上がると、洗い物や掃除機がけ、
トイレと風呂掃除もしました。

休日の昼などゆっくり過ごせる時間を、
家の手伝いで奪われてしまうことが嫌でした。
けれど、母は昔から
「ありがとう、助かった」
と必ず私にお礼の言葉をかけてくれました。
その言葉が、とても胸に響きました。

小さい頃は、お手伝いをしなくてもいい友達を
うらやましがっていましたが、
今は小さい時からの経験によって
友達にはない家事の力がついていることを母に感謝しています。
これからも、母と助け合って生きていこうと思います。

(毎日新聞 令和3年3月28日付)

こんな投書です。

母の「ありがとう」に力を得、家事の力がついたのは母のおかげと感謝しています。 母も子も大変な思いをしているのに、そこに感謝の思いがあるからこそ、
明るく助け合って生きていけます。

このお話を一言でいえば、尊さを見つける力、
それは感謝の思いといえます。