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法話

花の心に学ぶ 2 花に学ぶ5つのこと

先月は花の中に神仏の思いをくみ取っていくというお話をしました。
そして、そんな花から学ぶ5つの大切な学びがあって、
1つ目とし「苦労をいとえば、花は咲かない」でした。
見えないところで、花も大変な苦労をして花を咲かせている、そんなお話でした。
今月は「花に学ぶ5つのこと」の続きで、2つ目からのお話になります。

高僧ならぬ使用人

花に学ぶ2つ目です。

それは「草の種ほど、生きる術がある」という学びです。
こんな格言があります。「身過(みす)ぎ世過すぎは、草の種」です。
「暮らしを営む手立ては、草(花)の種ほどある」という意味です。
人生にはたくさんの仕事がありますが、みな尊い生きるための手立てで、
その生きる姿を花から学び取るのです。

私はお寺を守っていますが、お経を唱えたり、本を読んだり、
お話を作ったりしているばかりではありません。
毎朝、庭掃除をし、草を取り、内外の掃除をし、汗を流しています。

あるとき、私が庭掃除をしていると、何の用事か忘れてしまいましたが、
檀家さんが夫婦で来られたことがありました。

私が庭で掃除をしている姿を見て、
奥様が「あれは使用人さんでしょう」と旦那さんに話しかけています。
旦那さんが「あれは和尚さんだよ」と言っています。

遠くで二人の会話を聞いて思ったのです。
汗を流しながら作務衣で草を取っている私の姿を奥様が使用人と見る。
「ああ、そんなふうに見られるんだ」と。
でも、そんなに嫌な気持ちにならなかったのです。

禅に関する昔話に、よくこんな話が出てきます。
ある禅の高僧が庭で草取りをしていて、
その高僧に逢うためにお寺を訪ねて来た人がいた。

その人が、「和尚さんに逢いたいのですが、いらっしゃいますか」と、
草を取っている使用人さんみたいな人に尋ねる。
すると、その人は「玄関で問うてみてください」と答える。

そして、その人が客間に通され、高僧と言われる人に会った。
すると、そのお坊さんが庭で草を取っていた汗まみれの人であった。

そんな話を思い出し、私は高僧ではないけれども、
草取りに徹しているその姿が、生きる尊い姿であることを思ったのです。

新幹線のお掃除

私が若いころ、本山によく行っては研修の手伝いをしたり、
いろいろな会合に出ていました。

その時、車で行かないときには、バスで名古屋まで出て、
名古屋から新幹線を使い京都で降り、本山に行くのです。

ある年に、長女に逢うために山形に行ったことがありました。
東京駅で東北新幹線に乗るのですが、ホームで電車を待っていると、
7~8人ほどの男女の方々が列になってやってきます。
素敵な帽子にぬいぐるみのペンダントをつけ、おそろいの制服を着て、礼儀正しく、
お客様の邪魔にならないように電車が来るのを待っています。

「あれ、誰だ!」と、名古屋や京都駅では見ない、
初めてみる光景に、その人たちを見つめてしまいました。
東京駅についた新幹線をお掃除する人たちでした。

普通1両は約25メートル。客席数は100。
それを1人で担当します。ボタンを押して座席の向きを進行方向に変え、
テーブルをすべて拭き、窓枠も拭き、カバーも汚れているものは変えます。
床のゴミを拾い、汚れていれば拭取ります。
それを7分以内でし、余った時間は、遅れている人を助けます。
世界最速の清掃です。

心温まるストーリー

新幹線のお掃除に興味を持つと、ある本に出合いました。
『新幹線お掃除の天使たち』(遠藤功 あさ出版)です。
その中の女性のエピソードを、ひとつ紹介します。

60歳過ぎて、この新幹線のお掃除のパートを始めた私。
でも、「掃除のおばさん」をしていることだけは、誰にも知られたくない。

娘は「お母さん、そんな仕事しかないの」、
夫は「親戚にばれないようにしてくれ」と言う。

仕事をしていくうちに、
この清掃の人たちは、自分が考えていたような人とは違った。
自分の仕事が終わると、まだ終わっていない場所を手伝う。
ホームで困っている人がいれば助けてあげる。

仕事を始めて1年目の春。
赤いジャンパーに、帽子には桜の造花を飾る。
みんな、とっても似合う。

ホームで毅然として整列し、お辞儀をする。
そのとき、車窓のガラス越しに、目が合った人がいた。
それは夫の妹。私の横で肩をたたく、夫の弟。

見られた・・・。
新幹線のお掃除をしているところを見られてしまった。
プライドの高い夫の兄弟たち。
恥ずかしい。夫へ申し訳ない。そんな気持ちがふつふつとわく。

1週間ほどして夫の妹から電話。
「働いているって聞いていたけれど、
 おねえさんがあんな立派な仕事をしているなんて思わなかったわ。
 すごいじゃない」と。

私はうれしくてうれしくて、なんて返事をしたらよいかわからなかった。

パートから正社員になる試験のとき、こう言った。
「私はこの会社に入るとき、プライドを捨てました。
 でも、この会社に入って、新しいプライドを得たんです」

役員の方々は、にっこり笑って、うなずいた。

今までの自分のプライドを捨て、「掃除のおばさん」と言われてもしかたがない。
でも、新幹線の掃除を通して、この仕事がとても尊い仕事であると知り、
この仕事にプライドを持つことができた。そう語っています。

掃除という生きる術。
掃除をするという種から、きれいな花を咲かせた尊いエピソードです。

謙虚に学んで、行う

3番目に、花から学ぶことは「謙虚に学ぶ」ということです。
こんな格言があります。「草うつむいて、百を知る」です。
意味は、花を支える葉は、うつむくように下を指しています。
それを控えめな謙虚さで表し、物事をよく知ることにたとえているのです。

私の母は、もう亡くなりましたが、
母が年を取るにしたがい、手や足に力がなくなってくるのです。
ペットボトルのフタが開けられず、
スリッパで歩くにも廊下をパタパタと大きな音を立て歩いていました。
「年を取ると、力がなくなってくるのだなあ」と思ったものです。

あるとき、知人の和尚さんが、
「内の母は、戸を閉めるときに、思い切り音をたててしめる。
 しょうがないもんだ」
と不満を言うのです。もう80才過ぎています。

そこで私は
「それはねえ、年を取ってきて、手に力がなくなってきたからだよ。
 戸を静かに締めるのには、力がいるんだ」
と言いました。

すると、その和尚さん。
「ああ、そういうことか。目からうろこが落ちたようだ」と。
はっきりわかったということです。

ある男性は、
「内の母は、戸もしっかりしめられない。しょうがないもんだ」
と、怒ったように言います。
そこで、「それはね・・・」と言うと、その男性、
「そんなことを聞きに来たのではありません」と。
私の「それは年を取って力がなくなってきたからですよ」という言葉を聞きません。

その男性のお母さんが、
私に相談します。息子と仲良く暮らすにはどうしたらよいかと。
そこで私は言いました。「わるいね。ありがとうね」と、それだけ言ってください。
後で、そのお母さんに聞くと、「和尚さん、和尚さんの言うとおりだった」と、
笑顔で答えてくれました。

謙虚に学ぶ姿勢のほうが、幸せを得る確率は高いのです。
花に謙虚に学ぶという姿を見たら、それを神仏から来た教えかもしれないと謙虚に受け取り、
学んでいく生き方が大切なのです。

学んで努力し、自分の花を咲かせる

学んで、ただ知識としてためておくのではなく、
その学びを自分のものにしていく努力も必要です。
「苦労をいとえば花は咲かない」です。

「声と容姿今では喜び」という投書で学んでみます。66才の女性です。

60代も半ばを過ぎて、生きてみなければわからないとつくづく思う。

つらいことが多々あって。私の声もその一つ。
音楽のテストは1オクターブ下げてしか歌えず、皆に笑われた。
低く、太い声。母も恥ずかしいと言った。

それが半世紀も経つと、低い声も以前より認められるような世の中になった。
自分も努力した。丸く、やわらかい声になるように意識し、
話し方もゆっくり優しくを心がけた。
すると、劣等感の源だった声を好きだとか、良い声だとか言う人が現れた。

つらかったことのもう一つは容姿。
世間から「お母さんは綺麗なのに似なかった」とよく言われた。
大人になって、笑顔しかないと思い定め、練習した。
今やすっかり、笑顔は私の自然な顔になった。
誰も美人とは言ってくれないけれど、笑顔を褒めてくれる。

何十年も先に何が待っているのか、生きてみなければわからない。
周囲の人も世の中の価値観も、そして何より自分も変化する。
胸にしまった昔の出来事も、その頃の友人に話せるようになった。
幸せだと感じなければ幸せの風は吹かない。
今は毎日が幸せで感謝の日となった。

(朝日新聞 平成27年3月3日)

努力練習の結果、幸せになりました。
花も語っているかもしれません。
「幸せだと感じなければ幸せの風は吹かない」と。
花のような笑顔は、まわりを明るくします。

桜の花のように、さらさらと生きる

4番目は「桜の花のように、さらさら散って、とらわれない」です。

桜の花は1年に何度も咲きません。
春になって1週間から10日ほどで散っていきます。
花びらが木を離れて散っていく様子は、とてもきれいです。

その姿から、とらわれない生き方をする、という神仏の声が聞こえてきます。
人の生き方として、嫌なこと不満なことは、さらさらと捨ててしまう、ということです。

東京の練馬区のあるスーパーのトイレに
妻の遺骨を捨てる(平成27年4月23日のこと)という記事が新聞に載っていました。
68才の男性で書類送検されました。
理由を聞くと、「生前、妻には苦労をかけられ、憎んでいた」と語ったようです。

誰にも憎らしいと思った経験があるかもしれません。
その思いをいつまでも持っているのも自由ですが、
そんな錆たクギは心から抜いて、捨ててしまうことです。
あの桜の花びらが、とらわれなく、木から離れていくように、です。

誰もが、やがて桜の花のように散っていきます。
亡くなっていかなくてはなりません。
そのとき、この世にとらわれて死にたくないと強く思っていると、
身体から魂が抜け出せなくなります。

それは、いつまでも桜の木に張り付いている花のようで、
そこにいつまでいても、花も枯れ醜くなるだけです。
そうならないためにも、静かに、身体から抜け出し、さらさらと舞いながら天に昇っていくのです。

ある夕方、夫の顔を何も言わず静かに眺め、
その翌朝亡くなったという妻である女性がいました。
あの世から迎えにくることを知り、愛する夫に感謝の眼差しをむけ、
きっと「今までありがとう」と、心の中で伝えたのでしょう。

お迎えが来たら、迎えに来た神仏の手を取り、
とらわれなく、身体という木から、すみやかに離れ、
魂という花になって天に飛翔していくのです。

花に神仏の思いを見る

5番目は「他のための苦労は、美しい花のよう」です。

花も無心に咲いているように見えますが、
きっとそのほほえみで人の心を癒し幸せにすることを願っているはずです。

「時の花を挿頭(かんざし)にせよ」という格言があります。
小さいころ、特に女の子はレンゲやシロツメクサなど編んで、頭にのせて遊んでいました。
花には神が宿るといいます。花を頭に飾ることで、
花の霊力をいただけて、私たちが守られる、そんな意味の格言です。

そんな花のように、自らの霊力で、他の人のために生きる。
とても尊い生き方です。前述した本の中に、こんな文章がありました。
詩のような表現にしてあります。

車両のデッキの出口で、
前のお客様が落とされたゴミを
後ろのお客様が拾い
ゴミ受けに入れてくださいました。
気持ちを込めて
「ありがとうございます!」
と言ったら、
笑顔で「こちらこそありがとう」
と言われました。
たったそれだけのことでしたが、
一日さわやかな、
気持ちのよい日でした。

『新幹線お掃除の天使たち』(遠藤功 あさ出版)

新幹線のお掃除をしていて、お客様がゴミを拾い、ゴミ受けに入れてくれた。
「ありがとう」と言う。すると、ゴミを拾いゴミ受けに入れた人は、
清掃をしている人に「こちらこそありがとう」と言う。

新幹線のお掃除の大変さを知っているのでしょう。
この会話には爽やかさがあります。欲や計(はか)らいがありません。
他のために、感謝の言葉を告げる、美しい人と人との触れ合いです。

神仏は花にさまざまな意味を込めて、花をお創りになりました。
どうぞ、それぞれの咲く花たちに、神仏の思いをくみ取り、
その姿を見ながら、花に学んでください。