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法話

幸せを心の柱に 1 心にある幸せの柱

このお話は平成27年6月25日、伊那市のみはらしの宿「羽広荘」で、
長野県市町村職員年金受給者の方々に、
生活の安定と福祉の向上を助ける趣旨でお話ししたものです。
2回ほどにまとめて、文章にしてみます。

2つの柱

心の中に2つの柱があるとします。
1つは幸せを刻む柱で、もう1つは不幸を刻む柱です。

今まで生きてきて、その柱に、幸せを刻んだ数と、
不幸を刻んだ数を比べると、どちらが多いでしょうか。

もし幸せを刻んだ数の多い人は、生きる力があり、困難をはね返す力があります。
もし、不幸を刻んだ数の多い人は、おそらく愚痴が口からこぼれ落ち、
不満の日々を送ることが多いでしょう。

たとえば、今日も美味しく朝飯がいただけた。
元気で仕事もできた。ありがたい。
そう思い、心の柱に、その幸せを刻むのです。

あるいは、こんなに一生けん命働いているのに、認めてくれない。不満だ。
そんな思いが柱に刻み込まれると、幸せでない事ごとが知らず増えていき、
やがて生きる力を失っていくのです。

柱のきず

私の子ども達がまだ小さかったころ、
柱に身長をはかって、鉛筆で線を引いたことを覚えています。
線を引いたそこには、計った日にちを書きこんで、記録しておきます。

そんな子ども達も大人になりましたが、
今でも、その柱に記した記録を見ることができます。

静岡市に生まれた海野厚(うんのあつし)が作詞した
「背(せい)くらべ」という歌があります。
その詩を曲にしたのが、長野県中野市に生まれた作曲家の中山晋平です。
1番の歌詞です。

柱のきずは おととしの
五月五日の 背くらべ
粽たべたべ 兄さんが
計ってくれた 背のたけ
きのうくらべりゃ 何のこと
やっと羽織の 紐のたけ

柱にきずをつけて、身長を計ったという歌で、
兄弟の仲の良さが伝わってきます。

この詩を作詞した時、海野は7人兄弟の長兄で、
1番下の弟とは17才はなれていました。
その弟の春樹の身長を計ったのです。
もっと背が伸びろ、という兄の思いが伝わってきます。
春樹がとてもかわいかったのです。

同じように、身長ではなく、幸せの事ごとを、心の柱に刻みこむのです。
今まで体験してきたこと、守ってあげたこと、守られてきたこと、
家庭での些細な事のなかにあった幸せ、家族の対話、あるいは友との触れ合い、
会社での出来事、また教えてくれたことや、学んだことなど、
そこに幸せを再発見して、心の柱に幸せの事ごとを記していきます。

この「背くらべ」の2番に出て来る「一はやっぱり 富士の山」のように、
富士の山と同じくらいのたくさんの幸せを、心の柱に刻んでいくのです。
そんな生き方が、充実した人生を作り出していきます。

幸せを思い返してみる

人生を思い返せば、心の支えになっている幸せを見つけることができます。
忘れている尊い出来事や幸せを思い返すと、生きる力になっていきます。

次の投書を読んでください。
46才の男性で「母に頭が上がらなかったが」という題です。

「母に頭が上がらなかったが」

父は小柄で無口だった。
母の尻に敷かれていた父を、
私は当時の人気漫画「ダメおやじ」の主人公に重ね合わせていた。

思春期の頃、私は学校で人間関係に悩んでいた時期があった。
ある夜、眠れないでいる私に、父は「お母さんには内緒やで」と言いながら、
郷里の奄美焼酎を勧め、1杯だけ一緒に飲みながら、
ゆっくり私の話に耳を傾けてくれた。

結婚したときには「夫婦は我慢が大切や」と言ってくれた。
父らしい言葉だと苦笑したが、晩年は「お母さんのことを頼む」とよく言われた。
あれほど母には頭が上がらなかったのに、その言葉には深い愛情が感じられた。

その父が逝って10年がたつ。
今頃になって父の器の大きさがわかるようになった。
時折、奄美焼酎を飲みながら、あの深夜の飲み会を思い出すと、
深い感謝の念が湧いてくる。

(産経新聞 平成27年6月12日付)

父の想い出を振り返っています。
そして過ぎ去った事ごとのなかに、幸せを感じ取っています。
奄美焼酎を一緒に飲みながら語り合ったこと。
結婚したときに、「夫婦は我慢が大切や」と言われたこと。
晩年「お母さんのことを頼む」と言われたこと。
それらの事ごとが、幸せの柱にちゃんと刻まれていて、
それがやがて、父の器の大きさを感じ取らせ、
さらには深い感謝の念に結晶させています。
幸せは、生きる大きな力になることがわかります。

不幸を心に刻みこまない

各新聞には、必ず悩み相談が掲載されています。
さまざまな問題を抱え、悩んでいる人が多いのがわかります。
その中で、こんな悩みを抱えている人がいました。

40代の女性ですが、姑と上手くいかないというのです。
他県に住む姑と舅が彼女の家に泊りにきて、
「何日滞在するのですか」と聞いただけで、姑は「嫁が追い出した」と泣いて帰ってしまう。
彼女の悪口を彼女の実家に言い、彼女の夫にも「嫁は家族じゃない」と言い張る。
法事があれば、「お金を持たせて息子(夫)だけ来い」と言う。
どうしたらよいか、助けてください。

こんな意味の悩み相談でした。
これに解答した方は、「そんなに嫁が嫌いなら、嫁をやめます」
という手もあると言っていましたが、そんな攻め方も、一つの方法かもしれません。

このような自分を不幸にすると思われる出来事は、
心の柱に刻むのでなく、水に流していくことです。
今自分が幸せであることを思い返し、その幸せの思いで、心を満たす。
すると、不思議に生きる力がわいてきます。

「幸せの思いで心を満たす」
そんな努力が必要かもしれません。
あまり、不幸を心の柱に刻んではいけないのです。

考えることのできる幸せ

このお話をした当時(平成27年)、
新聞で400万部も売れているという本が紹介されていました。

私自身、お話をする時が多いので、
そのような本はなるべく読むように心がけているので、
さっそく購入して読んでみました。

あえてその本の紹介をしませんが、
100才をこえた、ずいぶん年配の女性の方が書かれたものです。
たくさんの学びがある本ですが、その中に、
「どうしたら死はこわくなくなるのか」という章があって、
この方は、「考えをやめれば怖くない。ただ『無』になる」と書いていました。
この場合、考えるのをやめるというのは、もったいなことです。
(ただ「死が無になる」については次回に書きます)

パスカル(1623~1662)という人が「パンセ」という本を出しています。
有名な本なので、知っている人も多いと思います。私が持っている本は中公文庫のものです。
パスカルはフランスの哲学者であり、数学者、物理学者でもあります。
日本でいえば、江戸時代初期に活躍した人です。

パスカルが33才のころ、姉の娘のマルグリット(当時100才)が、
ながらく重い涙腺炎(るいせんえん)をわずらっていました。
あるとき、キリストの荊(いばら)の一部と考えられていた
聖荊(せいけい)に触れただけで、治ってしまったという奇跡に出会います。
神への信仰を深めた体験をしたのです。

この「パンセ」の中に、次のように書かれているところがあります。
抜き出してみます。

考えが人間に偉大さをつくる。 人間はひとくきの葦(あし)にすぎない。
自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。
われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。
考えることによって、私は宇宙をつつむ。

考えることの、偉大さを書いています。

考えて幸せを手にする

考えることで、さまざまなものが出来てきました。
飛行機は、ライト兄弟が1903年、有人動力飛行を成功させたのが始まりです。
それまで、どれほど考え考え抜いて飛行機を作ったことでしょうか。
飛行機ばかりでなく、さまざまな物が、考えることで出来上がってきました。

発明家のエジソンも1300もの発明をしています。
エピソードのひとつに、1つの物事に熱中すると、他の事は完全に忘れてしまい、
彼が考えごとをしていたとき、話しかけてきた妻のミナに「君は誰だ?」と質問し、
ミナに怒られたことがあったと。

物ばかりでなく、詩や短歌、俳句や川柳、楽曲など、
あらゆるものが考え考えられて、1つの作品が作られています。
短歌を載せてみます。女性の作品です。

夫逝けばすべて美化され
       争いて泣きたることも綿菓子のなか

(読売新聞 平成26年9月29日付)

栗木京子さんの選出で、評には
「いさかうこともあった夫だが、亡くなってみると思い出すのはすべて美しい。
 歳月を振り返る客観的な眼差(まなざ)しが感じられる。
 『綿菓子のなか』の甘さとはかなさが印象深い」
とあります。

今回のお話のテーマで言えば、美化されるところが、
心の柱に幸せを刻んだとも受け取ることができます。
幸せを思い返すと、過ぎ去った昔の夫とのいさかいも、
幸せの景色として心の眼に映るのでしょう。

綿菓子の表現もよく考えられていて、評で語られているように、
甘くて口の中でとけてしまう、そんな昔の事ごとを上手に表しています。
きっと、考える時間も楽しく、できた作品が新聞に載り「優」をつけられ、
幸せの時を過ごしたことでしょう。

幸せの宝を探す

今皆さんが読んでいる「法愛」も、考え考えて作っています。
作っているときは、正直、とても大変です。
でも、自分でもいい作品ができた時は喜びを感じます。

当時(平成27年)、このお話をしたとき、
そのときの「法愛」9月号の最後に書いた詩を朗読しています。
ここでも載せてみます。

夫逝けばすべて美化され
       争いて泣きたることも綿菓子のなか

(読売新聞 平成26年9月29日付)

幸せの宝

この世は
知らないことばかり
ひまわりの
葉っぱの表面さえ知らない
顕微鏡でよく見れば
まったく
違った世界がそこにある

日常の身近なところに
謙虚に向き合ってみる

平凡に満ちた
日暮しのなかに
あたりまえな
家族との触れ合いのなかに

たくさんの宝を探し出せる
自分を見つめ
相手を見つめ
探し出してみよう
幸せの宝を・・・

何気ない小さな幸せに気づく

あたりまえのなかに、たくさんの幸せがあります。
それに気づいて、心の柱に、ていねいに、その幸せを刻んでいくのです。

かつて病気をし、18日ほど入院したことがありました。
手術を受けた数日は寝たきりで、クシャミをしてはいけないと言われました。
今は平気でクシャミができますが、当時いけないと言われても、
出てしまったことがあり、大変なことになりました。
クシャミができることさえ幸せなのだと気づきました。

また看護師さんがテキパキと動いています。
点滴を換え、体温や血圧を計り、食事を持ってきてくれたり。
その動きが早くスムーズで、寝たきりの私にはできません。
「ああ、あんなに元気に動きまわれるというのは、すごいこと。私も早くそうなりたい」
と切に思ったものです。元気で歩け、動けるというのは幸せなことなのだと、学びました。
それを心の柱に刻み、忘れないでいます。

何気ないことの中に幸せを見つけ、それを心の柱に刻みこんでいく。
そうすることで、強く生きられるようになるのです。

(つづく)