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法話

幸せを心の柱に 2 幸せを壊す生き方

先月は「心にある幸せの柱」に、不幸なことごとを刻むのでなく、
自分が気づいた幸せを刻み込むこと。
それが幸せになる方法だというお話をしました。続きです。

幸せになんか、なれない

幸せを心の柱に刻むと強く生きられるようになるのですが、
そんな幸せを壊してしまい、幸せになれない生き方をするには、
どんな考え方をすればいいのでしょう。

まず、「幸せになんか、なれない」と思うことです。
自分の思っていることを強く念じていると、そうなる確率が高くなるのです。
「できない」と思っていると「できない」のです。
この品物は買わないと思っていれば、決して買わないでしょう。

今年5月24日に札幌中央卸売市場で、
贈答品の夕張メロンが初競りで、2個、270万円で競り落とされました。
昨年はコロナで12万円。一昨年はなんと500万円でした。
そんなメロンを一般の庶民が買うでしょうか。おそらく「買わない」と思います。
買わないと思えば、買わないのです。

同じように、「幸せになれない」と思えば幸せにはなれません。
「幸せと素直に言える人が勝ち」という川柳がありましたが、
そんな人が幸せになれるのです。

1億円は使えない

このお話をしたのが平成27年の時で、
その当時、アメリカのスポーツ選手の長者番付けを調べてみました。
1番がボクシングのフロイド・メイウェザーという人で、日本円にすると369億円でした。
当時ヤンキーズに属していた田中投手は約28億円、58位です。
テニスの錦織選手は92位で、24億円でした。みな努力して勝ち取ったものです。

そんな調べ物をしていると、「1億円相続して不安」という悩み相談がありました。
この人は50代の独身女性で、独身の弟と母が相次いで亡くなり、
相続した財産が合計で1億円以上になったというのです。
この女性は貧乏性で、買い物は特売品を探し、贅沢はしない。
そんな生活を送ってきたのです。

この大金を何に使ったらいいか分からず、
人生の指針を失ってしまったような感じがして、
どのような心持ちで暮らしていけばよいのか教えてください。
そんな悩みでした。

お金がないという悩みは耳にしたことがありますが、
お金がありすぎて、人生の指針を失ってしまうという人もいるのですね。

「使えない」と思ってしまうと「使えない」のです。
同じように「幸せになれない」と思えば幸せになれないのです。

念ずれば花開く

詩人である坂村真民さんが、こんな詩を残しています。
「念ずれば花ひらく」という題で、有名なので知っている人も多いと思います)。

念ずれば花ひらく

 念ずれば
 花ひらく

苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そうしてそのたびに
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった

(『詩集念ずれば花ひらく』 サンマーク出版より引用

この詩の題は、坂村真民さんの直筆で、碑になり、
全国にたくさん建てられています。私のお寺にも、この碑が立っています。

幸せになれると念じれば、やがて幸せの花が咲くのです。

死んだら無にはならない

先月「死は考えなければこわくない。ただ『無』なる」と。
そんなことが書かれている本のお話をしました。
でも、この考えでは幸せにはなれません。

現在この「法愛」の中で、詩で表現をしながら書いている『法華経』というお経は、
あの世(かの世)と、来世を否定しては成り立たないお経です。
少し難しくなりますが、あの世のことを、仏教ではどうのとらえているかお話しします。

まず、間違った見方に二つあって、
一つは断見(だんけん)で、もう一つは常見(じょうけん)があります。

断見はあの世はないという見方です。これは間違いであるというのです。
常見はあの世はあるのだけれども、今現在の立場である私が、
同じように、あの世に行き生まれ変わるというのは間違った見方であるというのです。

インドではカースト制度があって、たとえばクシャトリアである王侯武士は、
どんな生き方をしても、あの世でも来世でもクシャトリアであると考えました。
この常見は間違いで、「どう生きたか」という、その人の行いによって、
あの世でも来世でも変化していくというのが、お釈迦様が説かれた教えです。

まとめれば、あの世は確かにあり、この世の行いや生き方によって、
あの世の行き場所が問われるということです。

ですから、今回のテーマから言えば、
どれだけ幸せを心の柱に刻み込んだか、ということが大事になるのです。

その幸せも、自分のみの幸せだけでなく、
相手の幸せをも考え、生きて来たか、ということになります。

今生きている時に、どう生きたらよいかを考え、
できれば自らの幸せと相手の幸せを考え生きていきたいと、そう念じることです。
そう念じて、尊い生き方の花が咲くのです。

幸せを心の柱に 3 幸せには力がある

幸せは不幸を払う

幸せには生きる力があります。

どんな形で、その幸せの力が姿を現すのでしょう。
一つは、幸せは不幸を払う力があるのです。

たとえば、相手から悪口や嫌みを言われたり、
いじめにあったりすると、みな心が痛み傷つきます。
傷つきやすい人は、いつまでもその言葉や行為が忘れられず、
それが恨み心になるときもあります。

そんなとき、幸せをたくさん持っている人は、
その不幸な思いを払い、消し去ってしまう力があるのです。

たとえば、無駄にお金を使ってしまった。
そんな体験があったとします。
でも、生活費は十分ある。
そんな人は無駄に使ってしまったことを後悔こそしますが、
いつまでもお金を無駄に使ってしまったことに、とらわれてはいません。

そうでなく、生活費が足りなく困っている人にとって、
無駄に使ってしまったお金は戻ってきません。
明日の生活費をどうしようと思い悩むものです。
生活費が充分ある状態は、幸せをたくさん心の柱に刻んでいる人になります。

このお話を文章にしていたとき、こんな投書を見つけました。
17才の高校生の投書です。

日記で幸せに気づく

「自分は幸せじゃあない」
そう思ってしまう人はいるでしょう。
私は、つらいことがあった時にそう思いました。

しかし、日記を始めたことで変わりました。
その日記には一日一つ、今日うれしかったことや楽しかったこと、
幸せと感じたことを書きます。
そして、何かつらいことがあった時に日記を見返すのです。

そうすれば、「自分は意外と幸せ者だ」と気づく瞬間に出会えます。
これからも日記を書き続けたいです。

(読売新聞 令和3年11月2日付)

「自分は幸せではない」という思いを、誰もが経験していることでしょう。
そんなつらい時に、幸せを書き込んだ日記を見るというのです。
そうすると、「自分が意外と幸せ者だ」と気づく。そう書いています。
たくさんの幸せが不幸な思いを払い、消し去ってしまうのです。

悲しみや淋しさを抱き取る力

最近、ある女性が亡くなりました。
長年透析をし、亡くなる4年ほどは入院生活でした。
73年の生涯で、女性として、もう少し生きていただきたい、そんな年齢です。

その方の葬儀の時、こんな言葉を使って、その人の生き方をお話ししました。

一粒を尊ぶ心あって、苦しみを知らず。
一衣を与える情けあって、世は常に楽し。

この言葉の意味は
「とても小さなことだけれども、
 幸せを見つけて大切にすれば、苦しみが消える。
 とても小さなことだけれども、
 幸せを相手に与えてあげると、つねに喜びを持って生きられる」
となります。

残された人たちは、この方からいただいた、たくさんの幸せを心に抱き取ると、
淋しい思いが少しずつ消えていき、
共に生きたことに感謝と喜びを感じるようになるのです。
その方の幸せを、次のような文章で表現してくれました。

家族思いのお母さん。
お父さんや娘たち、そして孫たちをいつも気にかけてくれました。

誕生日ケーキを作ってくれたり、
孫の運動会にはお弁当を作って応援に来てくれました。
お母さんのケーキ、唐揚げ大好きでした。

笑顔がとても可愛らしいお母さん。
顔をくしゃっとさせて笑う笑顔が、とても素敵でした。
入院中の看護師さん達の癒しになったそうです。

好奇心旺盛で活動的なお母さん。
透析を始めても、旅行に出かけたり、友達と逢ったり、楽しそうでしたね。
相撲が好きで、野球が大好き。

そして、おしゃれなお母さん。
お出かけするときには、いつも仕度を整え、メイクもきちんとしていました。
爪のお手入れもきちんとして、いつもきれいでした。

永い間ありがとう。
お疲れ様でした。
ゆっくり休んでください。

あなたがいてくれて、とても助かり、幸せでした。
ほんとうにありがとう。

こんなお別れの言葉を家族のみなさんが残してくれました。
共に培ったたくさんの幸せは、つらさはもちろん、
悲しみや淋しさを抱きながら強く生きていく力になるのです。

幸せを黄金色に光らせるため

自分が幸せになることは大切なことです。
そして相手を幸せにしてあげることも、さらに大切な生き方です。

自分がいつも幸せで、その幸せな思いを相手に分けてあげる。
そこから得られる幸せは、心の柱に黄金色で刻みこまれます。
ですから、幸せが倍増するのです。

家族のために身を尽くして働き、86才で亡くなられた女性に贈る、
家族みなさんのお別れの言葉を、もう一つのせてみます。

いつも明るく元気でニコニコしていて、幸せをいっぱいくれてありがとう。
草取りや畑仕事、暑い日も寒い日も黙々と働いて、その生きる姿に教えられました。

お茶の時間になると、みんなを呼んでくれて、
お菓子も出してくれ、家族団らんを作ってくれましたね。

車を運転し、あちこちに連れていってくれました。感謝しています。
野菜の肉巻き、スイートポテト、爆弾コロッケ美味しかった。

家に人が訪ねてくると必ずお茶を飲んでと言って、人を愛する気持ちが深かった。
子どもが大好きで、孫やひ孫をとても大切にしてくれました。ありがとう。

おじいちゃんが寝たきりになって15年、献身的に介護をしていました。
愚痴をこぼさず、その姿勢に人の生き方を教えられました。

「和」を大事にし、
みんなが仲良く、和気あいあいと暮らせるようにと、
いつも気を配っていただきました。

思い返すと、たくさんの恩をいただいた私たちです。
感謝の思いを込めて言います。

お母さん、おばあちゃん、今まで本当にありがとう。

亡くなられた女性の生き方が見えてきます。

亡くなって「無」になるのではなく、みんなの幸せのために生きた、
そんな、この世とは次元の異なったあたたかな光の世界に昇っていくのです。
相手を思い幸せにしてあげる、尊い生き方です。
きっとこの人の心の柱には、幸せが黄金色で記されていることでしょう。

今まで「心の柱に幸せを刻む」というお話をしてきました。
このお話のまとめとして、もう一度振り返ってみます。

小さな幸せでも、それに気づいて、その幸せを心の柱に刻む。
別の言い方をすれば、心のノートに書きこむ。
その幸せの量が多いほど、幸せになることができ、
その幸せが生きる力になって、困難も乗り越えていくことができる。

そして唯一の幸せは、自分の幸せのみにとどまらず、相手を幸せにしてあげる。
その幸せが、自分にとって、さらに尊い幸せとなっていく。
そんなお話でした。